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取材記事内を検索ワード「出雲街道」で検索した結果,168件の記事が見つかりました。

西尾与九郎屋敷跡(中北上)

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西尾与九郎屋敷跡(岩屋)
 天正9年(1581)6月、宇喜多氏の支配下にあった岩屋城を毛利氏は32人の決死隊をもって「落とし雪隠」より攻め落城させた。勝利に貢献した西尾与九郎は毛利より感状(表彰状)を受けた。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)

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大山みちを歩こう会(第6区)

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大山みちを歩こう会(第6区)立石~延助間(9.7㎞ 実質距離 10.5㎞)
 令和元年5月19日(日)、主催:出雲街道 勝山宿の会
■大山みちとは
現在の真庭市久世を中心として、東西には五街道(東海、中仙、甲州、日光、奥州)に匹敵する、重要な出雲街道(姫路~松江)があります。出雲街道は雲州と大和朝廷や京大阪を結ぶ、幹線となっていました。また南北には、古くより「大山みち」と呼ばれた古道があり、備中の国分寺跡を発し、足守より粟井温泉~掛畑~千升乢~加茂市場~尾原~鰻出~鹿出~落合~久世~三坂峠~禾津~藤森~延助~内海乢を経て、御机~鍵掛峠~伯耆大山寺に通ずる道があります。陰陽を結ぶ代表的な路線であり、人、物、牛馬、文化を運び、また、農民一揆の道でもあり、大山詣での信仰の道でもありました。現在ではその殆どは、一般道路に併合吸収されて昔の姿は止めていません。

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原の供養碑・札場跡

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原の供養碑・札場跡(原)
 原の出雲街道旧道にあり、「間務阿弥陀仏三十一カ遍供養塔」と「天保三年吉祥日坪井上村中組構中」と刻まれている。札場跡は江戸時代に藩の奉行所から村人に知らせる場所があった所。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)

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山根の長者屋敷跡と貞清五輪の墓(坪井下)

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 山根の長者屋敷跡と貞清五輪の墓(山根)
天文の頃、貞清四郎左衛門が山根市場に居住しており、山根の長者と呼ばれていた。今も屋敷跡に古井戸がある。この屋敷跡の東の国道を超えた田の中に五輪塔がある。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月23日撮影)

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坪井鉱山選鉱場跡・茶臼山古墳(坪井上)

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 坪井上立野の谷にあり黄銅鉱を産出。文久元年(1861)の頃採掘を始めた。明治30年頃から大正にかけては一時大盛況となったが、大正末に休山。昭和10年頃、昭和鉱山KKが再度始めたが終戦後銅価の暴落で閉山。すぐ後ろの山が茶臼山古墳である。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)

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