合祀されている大日如来とお薬師様(福井)

fukui-daishi6.jpg

 福井の小字本平集落の西側は、丘陵性の山地であり、それぞれの谷筋に山道がついている。集落北端の山麓山道を少し上がると、谷筋に南面して仏様を祀っている比較的新しいお堂(逗子)がある。標札に「勝南霊場第弐拾弐番 御本尊薬師如来」とはっきり書かれている。また、内部の板には、「金剛三昧院第七五番 札所」とある。
 これが、本平の住民がお参りしえいるいわゆる「おやくしさん」である。さらに、祭壇を見ると、光背をもった小さな薬師様の像と共に、高さ1m近い梵字の刻まれた石碑が並んで祀られている。
 石碑の正面は、珍しく全て梵字で書かれており、この石碑は、本格的な信仰対象の石仏様であることが分かる。
 側面に「延享元甲子天十月二八日」と刻まれている。延享元年は1744年であり、徳川吉宗の政治が行われていた江戸時代半ばのかなり古いものである。清瀧寺さんの解読で判明したとのことであるが、梵字の石仏は、「大日如来」の仏様であり、河面の旧真加部街道筋の大日如来とは類型を異にしている。

fukui-daishi10.jpgfukui-daishi9.jpg

近くの大庄屋井上家の分家の方に案内していただきました。ご親切に感謝!

fukui-daishi8.jpgfukui-daishi1.jpg

 本平の薬師様は、明治の半ば頃、出雲の国(島根県)の一畑薬師より勧請され、民家に祀られたのが起源と言われている。当時、神田庸夫(いさお)という人が、自分の怪我や家族の病気という相次ぐ不幸にお寺詣でを思い立ち、出雲街道を全て歩いて、島根の一畑薬師にお参りした。そしてまた全部歩いて、背中に勧請した薬師様を背負って帰って来て、当初はわが家の空き地にお堂を建てたという。

fukui-daishi4.jpgfukui-daishi5.jpg

 これより近隣の者共々に信仰していたが、やがて世代も代わり老朽化したり子どもの遊び場となったりしたため、大日如来の安置してあった現在地に、移転が計画された。
 昭和60年、本平集落全戸から寄付を募って、現在見られる整ったお堂や雨よけの屋根ができ新装改築がなった。今は、本平全体の仏様として祀られている。

fukui-daishi3.jpgfukui-daishi2.jpg

合祀されている大日如来とお薬師様


 大日の日とは太陽を表しているが、大日如来とは太陽の光と違い日夜をつくられず、陰をも照らし、あまねく全体を照らす慈悲と知恵の仏そのものを意味している。密教では仏教的世界の中心仏とされ、曼荼羅(まんだら)では金剛界・胎蔵界の中央に、最大の大きさで表現される仏の中の最高の仏様である。
 一方、民衆の信仰としては、現世的利益の面からとくに作州地域では、牛の守護神や供養の仏として崇められたたり、諸病を治したり、安産の守り本尊として扱われ、身近な願いのかなう仏様として知られ普及して来ている。
 ここでは、大日如来本来の意味の仏様として信仰されている。
 また、薬師如来は、文字どおり医薬に最も権威を持つ仏で、精神的にも肉体的にも人間の苦悩(病)に応じて、それを治す力(薬)を与えてくれる救済の仏様である。民衆の信仰としては、持病の仏として信仰されたり、とくに眼病の人に御利益があると言われて、地域によっては向いめ(めの字を逆に書く)の絵馬を奉納したりして、治癒(ちゆ)を祈る習俗があった。(文:『広野の歴史散歩 宮澤靖彦 編著』より)(2019年10月16日撮影)