美作の大庄屋巡り「木村家」

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木村家 木村治右衛門 勝南郡勝間田村 森藩~甲府領 完宿藩
大庄屋まで
 木村氏の出自は諸説ある。その一つは毛利氏の家臣龍門帯刀が帰農し、その子孫与左右衛門が木村を称したといわれるものである。
大庄屋として
 森藩の助成で、河原の多い勝間田の低地の大規模な開田工事が行われたとき、下山和十郎、木村治右衛門は、現在の新町、当時中河原と呼ばれた荒地を開発し、新田、井堰を造成した。その功績によって下山家は津山藩の本陣に、木村治右衛門は大庄屋に任命され、木村家は勝山藩、松江藩の本陣、脇本陣を勤めた。

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出雲街道沿いの木村本陣跡は只今空地になっています。

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出雲街道勝間田宿の木村脇本陣跡

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屋敷・墓地
 木村家の建物(脇本陣)は、勝田郡役所新築のときに取り壊され土蔵だけが残された。この土蔵は2016年、旧勝田郡役所とともに、国の登録有形文化財に指定された。墓地は滝川右岸の畑屋村内の丘陵地にある。菩提寺は浄土真宗正行寺(勝央町勝間田)、開基は木村氏である。
子孫
 木村瀬左衛門は、明治以後は戸長を勤めた。子孫は村長、町長を勤めた。

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この土蔵は2016年、旧勝田郡役所とともに、国の登録有形文化財に指定された。(文:『美作の大庄屋~故地をたずねる~』より)(2019年10月14日撮影)