勝北郡古吉野村 村誌
諏訪神社を取材するにあたって、宮司の末裔である出雲井隼麻さんに古吉野村の歴史をお聞きしてきましたので紹介してみます。(明治24年4月石川秀助筆)
諏訪神社を取材するにあたって、宮司の末裔である出雲井隼麻さんに古吉野村の歴史をお聞きしてきましたので紹介してみます。(明治24年4月石川秀助筆)
[歴史]
 古代から江戸時代に至る岡山県北東部の行政区画、東は播磨、西は備中、南は備前、北は因幡、伯耆の諸国に接する。「続日本記」和銅6年(713)4月3日の条に、備前国の、英多、勝田、苫田、久米、大庭、真嶋(島)の6郡を割いて、初めて美作国を置いたとある。美作は、「和名抄」では、<美萬佐加>と読む。国衙(こくが)は苫田郡(とまだ)内(現津山市総社)、国分寺は勝田郡(現津山市国分寺)に置かれた。863年(貞観5)苫田郡を苫西、苫東と分割する。奈良時代の終わりから平安、鎌倉時代にかけて多くの荘園が成立した。神護寺領佐良庄をはじめ、稲岡庄、梶並庄、倭文庄(しとりの)、河内庄、英多保、林野保、真島庄などが有名。武士団としては"菅家党"が有名。平安末期には稲岡庄で法然が誕生した。
2016年(平成28年)1月1日の小田中にある白加美神社の境内の様子です。境内は静まり返っていて音ひとつない状態でした。本殿は主神にふさわしく神明造(しんめいづくり)で、しかも、他の形式の介在をまったく許さず、正統性をよく保っていることは、市内に数社ある神明造社殿のうちでは抜群と言われております。本殿の前方に近くから廊下・幣殿・神楽殿・拝殿が直線上に並んでいて鉄板葺の廊下以外は桟瓦葺です。(詳しくはこちらから)←
長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した千年寺に椿の花を求めて行って来ました。現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は 鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。(詳しくは2009年の取材をご覧ください) 2015年12月28日撮影
中山神社にあるムクの木は推定樹齢500年で、名木100選に選ばれています。
 ムクの木は神社の鳥居の傍に植えられ、500年経った今は見上げるばかりの大木となっています。(2014年1月24日撮影)中山神社2009年6月6日取材
2015年12月3日(木)~12月10日(木)市指定重要文化財 旧妹尾銀行林田支店(旧洋学資料館)に於いて「尾上紫舟と内田鶴雲」がありました。二人は共に津山の生まれだったそうで、尾上柴舟は、明治9~昭和32津山市田町生まれ、内田鶴雲は、明治31~昭和53津山市新野山形(旧勝北町)生まれです。「旧妹尾銀行林田支店」は、市指定重要文化財(建造物)で、昭和53年~平成21年津山洋学資料館として利用していた建物です。神社仏閣風の外観を持つ本館とレンガ造りの展示室からなる和洋折衷の建物で、大正期の優れた建築技術を示す近代建築の建物です。(2015年12月9日撮影)
2016年1月1日午前1時40分頃の田町にある出雲大社美作分院の初詣の様子を取材してきました。既に2時近くになっていましたが、大勢の老若男女で賑わっていました。若い方たちはおみくじを引いて今年一年を占っておられました。また、中に入ってお祓いを受ける方も大勢来られていたようです。
2016年1月1日徳守神社の初詣風景を撮らせていただきました。午前1時30分にもかかわらず境内にはまだ多くの若者が参拝していらっしゃいました。昨年何度も足を運ばせて頂き、多くの事を教えて頂きましたことを感謝し御礼を言ってきました。(以前の取材です。)
2016年1月1日の田神社の初詣風景の取材です。小雨がぱらついていましたが、見上げると夜空にはお月さまや星が輝いていました。午前1時前でしたが次々とお参りされる地元の方に混ざって昨年の取材御礼をしてきました。また、甘酒とおでんのお接待があり、甘酒をいただいてほっこりして田神社を後にしました。(2014年4月28日田神社取材)
2016年1月1日(火)時折小雨が降る中山神社。今年は若人の楽しそうな声が境内に響いていたので、頼もしく感じました。また、境内では恒例のお接待や獅子舞がありました。今年一年が津山瓦版にとっても、皆様にとって良いお年となります様にとお祈りしてきました。