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取材記事内を検索ワード「お祭り」で検索した結果,163件の記事が見つかりました。

高野神社「春まつり」がありました。

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2017年4月1日・2日に津山市二宮にある高野神社で「春まつり」がありました。
 4月1日には宵宮祭(16:00~16:40)、鎮守の森ライトアップ(日没後~21:00)が本殿・境内・参道・宇那堤森・立石邸でありました。また、4月2日には春まつり祭典(10:00~10:30)、国指定重要文化財の木造獅子2対(県下最古とされる平安時代の木造獅子)の特別拝観(10:45~16:00午後1:00からは一般の方も拝観)がありました。また、2日間限りの修繕特別御朱印がいただけました。(文:高野神社パンフレットより)(2017年4月2日撮影)2009年取材の様子はこちら

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金光山 多聞寺(下横野)

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津山市下横野 多聞寺
 多聞寺は、平安初期(西暦860年)に開祖された毘沙門天をお祭りするお寺で、当初は下高倉の寄松にありました。しかし、中世の山名・赤松の兵乱で兵火にかかり焼失しましたので、香々美の藤屋に避難しました。下横野の現在の地に再興されたのは、それから半世紀あまり経った西暦1500年以降で、盛衰を繰り返しながら今日に至っております。
 一宮大規模農道から下横野を望むと、一面に田園の広がる果ての、小高く白一直線の塀の中に多聞寺は、楼門・庫裏・客殿・本堂が調和よく佇んでいます。背後に中国山脈を控え、青空が広がるスケールの景観は、人々に故郷の安らぎと叙情を偲ばせることでしょう。

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兼田荒神社(川崎)

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兼田荒神社の由緒を探していろいろと調べてみましたが詳しいことがわからないので、兼田荒神社の世話役の高山琢三さんに伺ってきました。兼田荒神社は元々川崎八幡神社の末社だったとのことで、詳しい資料は全くないそうです。ただ、代々の言い伝えで町内のみんなで壊れたら建て替えて現在まで守って来られたそうです。(2015年10月18日取材)

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流田(ながれだ)組の荒神様(津山市野介代)

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流田(ながれだ)組の荒神様(2014.7.25取材)

 荒神の神は、文字どおり荒ぶる神であり、粗末にしては祟りがこわい霊力をもつ神様です。それだけに加護の力も大きいと信仰され、赤ちゃんのお宮参りの際にも、神社参詣後、必ず村内の荒神様にはお参りするという風習は続いています。さらに、上相・阿蘇の各組や稲穂・長内・海田熊原の例に見られるように、頭屋を中心に催される荒神祭りの日は、甘酒祭りとも言われ、荒神組の子供はもちろん、老若男女うちそろっての懇親会となっています。荒神信仰・荒神祭りは、株内や身ぢかな近隣住人の交流・親睦・連帯を大いに促進し、いわば村落共同体の結束に役立って来たといえましょう。(文:作州民間信仰代表 荒神様とそのお祀り 宮澤靖彦)

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東松原 大師堂(津山市林田)

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四国58番 東松原 大師堂(2014年6月29日撮影)
四国霊場の『栴檀山香園寺』を勧請しており、子安大師として地元の方々の信仰を集めています。先代が亡くなられ詳しい事はわかりませんでしたが、今でもご近所におられる方がきちんとお祀りされていて、掃除も行き届いていた大師堂です。

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田熊八幡の回り舞台は国の重要民俗文化財

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 今年(2016年)も津山地域のお祭りも最終になり、11月3日は阿波八幡神社の花祭り(岡山県の無形民俗文化財)、新野まつり(岡山県重要無形民俗文化財)、中山神社の秋祭り(本殿は国指定重要文化財)、田熊八幡宮の秋祭り回り舞台が国の重要民俗文化財)とあります。
 一昨年(2014年1月5日)に取材した田熊八幡宮を再度組んでみました。また、2015年11月1日(日)には、国指定重要有形民俗文化財「田熊回り舞台」の国指定40周年を記念した芸能・文化発表会が開催されました。(※2011年の特集)

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津山城完成400年記念「徳守神社の秋の大祭」

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本年、津山城完成400年を記念し、従来行われていた徳守神社大祭を大きく進化させ、その一つの姿として、奴通りにて新たにお旅所を設け、津山総祓神事を執り行うこととなりました。
 当社は、1604年に津山藩初代藩森忠政公にて現社地に造営されました。当時はまだ不安定な時代で津山城築城に当たり、津山城とその城下町の守護神として造営されたと伝えられています。大坂夏の陣にて使用された鉄盾を森公が当社に奉納されたのもその証の一つと言えるでしょう。
 この度の徳守大祭は、当社の時代背景の具現化を目指し、甲冑と火縄銃をテーマに企画されております。当時津山でも組織されていた津山城鉄砲隊が、その子孫により復活をしており、今年よりと徳守大祭に初参加いたします。また、古くは徳守大祭の神輿行列はカ甲冑を装着しての所役もあり、この故事から現在甲冑を正装として活躍されている、備州岡山城鉄砲隊にもご参加いただきます。(文:徳守神社案内より)(2016年10月23日撮影)

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徳守祭だんじり衣裳展

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 今年の徳守神社の秋祭りでは、12台のだんじりが出動するほか、南新座一丁目の舟形だんじり「南新丸」が展示されるなど盛り上がりをみせています。城西浪漫館では祭り気分を盛り上げようと徳守祭りだんじり若頭會との共催で開く今展では、各町内の特色ある法被や浴衣を集め、各町内のだんじりの写真と共に展示するほか、宮脇町、小性町の提灯や城西浪漫館所有のだんじり部材や西今町の半鐘などがご覧いただけます。(文:徳守祭だんじり衣裳展チラシより抜粋)(2016年10月16日撮影)

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千代稲荷神社(南方中)

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千代稲荷神社(2016年1月10日撮影)
 千代稲荷神社を19歳からお祀りしてきた山本純吉さん(90歳)にお尋ねしてきました。山本さんが子どもの頃からお稲荷さんとしてお祀りされていたそうです。「お社はあったけどボロボロだったので、寄附を募って屋根を変えたりその時々で修復して来たんです。ここは寄付で建てられたといっていいほどで、以前は土地の方よりは津山の方からやって来てお籠りをしておられました。これから次の世代に渡すときに、神様をお祀りするのは気持ちの問題。これからも何か一つでもしてみようと思ったらこの稲荷様を使って心を一つにしてくれと言っています。」とお話くださいました。今は10軒程でお祀りされているそうですが、平成23年からはお祭りが出来なくなったそうです。

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一刀一絵・・・浮世絵師・立原位貫 追悼展

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 8/12(金)より9/4(日)まで後期展「1991~2015 立原位貫へ」がありました。
今回はNHKのテレビとラジオ(岡山県)でもこの作品展が紹介されました。
オリジナル作品を中心に制作していた1990年代から再び浮世絵の復刻のプロジェクトに取り組んだ2015年3月の最後のオリジナル作品と、一昨年立原さんの手許に戻ってきた25歳のときに初めて彫った浮世絵作品など18点が展示されました。(2016年8月19日撮影)

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