広野 田熊八幡宮秋祭り(2011年)
若くて溌溂とした担ぎてにおもわず拍手喝采!(2011年11月3日)
2011年11月3日に田熊八幡宮の秋祭りが執り行われました。
ドドーンドン・・・今年も宵祭りの太鼓の音が響く。町内の当番に当っている役員や若者が夜を通して太鼓を叩き、かがり火を焚く。午前2時頃になるとかなり冷えこみ、たき火で暖をとる。夜が明け朝7時頃から町内の人々が集まり始める。
午前9時、田熊八幡神社で祭礼をすますと、豆しぼり姿の若者たちは約400 kgのお神輿をかつぎ上げ、境内をねり歩く。その後お神輿は、傾斜約30度の坂道へと進む。最初の階段は、傾きが40度くらいはあろうか・・・。 ここが最初の難門。若者たちも、一歩一歩慎重にお神輿を前に進める。以下津山瓦版特集へとつづく 【田熊八幡宮の取材記事はこちら】
皆さまお疲れでした。無事に記念撮影ができました。
神事が始まる前に家族でこの急な参道を上っているところです。
子ども御輿も立派なものが3体あります。(上土居、中土居、下木)
地区の子どもや大人が沢山きています。
田熊八幡宮では巫女さんによる「浦安の舞」が奉納されます。
出発前には皆でお神酒をいただきます。
さぁ~、出発です。
最初の階段(約30度の坂道)を慎重におりるお御輿。
急な坂(傾きが約40度)を、慎重に降りるお御輿。
急な参道を降りきったところ。
子どもお御輿です。
子どもお御輿は元気がいい!可愛い!
家々を見回るお御輿。
神事場に登る坂道もけっこうな勾配です。
子どもお御輿も少し遅れて到着です。
神事場での神事
神事場にて巫女舞が舞われる。
神事場で子供達の健康を祈って。
神事場を出発、各地域を回るお御輿。
各、地区で休憩中!そこで、おもてなしが用意してあります。
お御輿をずっ~~~っと見守り続ける功労者。
途中、広戸川の中に入り、清めてから進むお御輿。
田園地帯をゆっくりと進むお御輿と長い間待っていた子どもとおじぃちゃん。
田熊八幡宮下の工場跡で最後の休憩。
最後の一息、階段を登る。【動画をご覧ください。動画1、動画2、動画3】
▲神社に無事に帰ってこれました。
御祭神(主神) 譽田別之命
御神体 第14代 仲哀天皇(應神天皇の父)
神功皇后(應神天皇の母)
第15代 應神天皇(西暦270年~313年)
創建 第52代嵯峨天皇の御代、弘仁12年(西暦822年)田熊、日和利山に豊後の国(現大分県宇佐市)に鎮座す総本社宇佐神社より神霊を勧請して、田熊八幡神社を建立、奉祀する。
御紋章 本殿大屋根の棟には、菊花の御紋章が燦然と輝き、又本殿の二枚開きの大扉に、右に天皇ゆかりの菊花、左に品位高い皇室瑞祥紋の桐の御紋章が彫刻されている。
再建 建武2年(西暦1335年)田熊の武将井上蔵人正清が八幡神社の河東、岩黒倉山に、山城を築城した際、その記念と城の安泰を祈願して再建した。
造営 寛文4年(西暦1664年)津山城二代目藩主森長継公は特に信仰の念厚く、各地の神社仏閣の改修を行った。田熊八幡神社も老朽し大破損していると聞かれ大家根の桧皮上葺や、各所の大修繕を寄進した。
農村歌舞伎舞台 明治4年(西暦1871年)皿回式、回り舞台が建築され現在も、尚、奈楽構造や保存の良好な事は、県内でも例が無いと昭和50年(西暦1975年)、国の重要民俗文化財に指定された。