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取材記事内を検索ワード「社」で検索した結果,1121件の記事が見つかりました。

つやま自然のふしぎ館 ナイトミュージアム

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2013年5月11日午後7時スタートで、つやま自然のふしぎ館ナイトミュージアムが執り行われました。夜の館内を巡る初のナイトミュージアムに懐中電灯の中に浮かぶ剥製の顔を怖がりもせず食い入るように見つめる子ども達(公募で集まった家族連れら76人)と、大人も子どもと一緒にスタンプラリーを楽しんでいました。(次回は8月10~18日に開かれる予定。)主催:市民と市職員でつくる「T-10(定住)プロジェクト」

今年で開館50周年を迎えるつやま自然のふしぎ館は、津山社会教育文化財団が管理し、世界中の動物のはく製や昆虫標本など約2万点を所蔵。[その他の記事 2008年5月 化石編 貝編  海外の子ども達 2階 3階] 

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2013年 美作総社宮1300年祭

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2013年5月12日(日)午後1時より美作総社宮に於いて、美作総社宮1300年祭が執り行われました。当日は夏日の様な暑さにもかかわらず大勢の人がお参りに来ておられました。また、拝殿前では餅まき、お菓子やパンなどが撒かれ大きな歓声がこだましておりました。

 美作総社宮は欽明天皇25年に大己貴命をお祀りする社として始まり、和銅6年に美作国内912座の神を合祀し、美作国の総社となりました。

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2013年 ふるさと資料館「温故懐館」特別展

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津山市総社の小林敏隆さんのお宅で、ふるさと資料館「温故懐館」春の特別展が2013年5月1日~3日まで開かれました。「温故懐館」春の特別展は、津山市総社保育園近くに目印の看板がありました。今年は白と紫の藤の花やボタンの花がとっても綺麗に咲いて出迎えてくれました。

2010年の様子はこちら

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栃畑神社(津山市籾保)

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栃畑神社
主祭神 高皇産霊尊 袴幡千々姫命 饒速日命
由緒沿革 機織部がその祖神を勧請したものであると伝える。倭同年間国府が置かれ、総社の大祭が毎年執行せられるに当り、国司の預かったという。参集の儀は天正末年まで行われた。延宝四年国主森長継の三子長俊が産業織蚕の神として幣帛を奉って以来、歴代の藩主の崇敬が厚かった。現在の社殿は文政十一年十一月改築したもので、明治八年一月村社に列格した。

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2013年5月「おでかけしましょ in 津山」 稲葉さんゆかりの地を巡る!!!

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今回の旅はfacebook でのB'zファン繋がりで 「おでかけしましょ in 津山」ツアーを企画!
当日朝(5月4日)大阪駅に集合し、マイクロバスをレンタカーして いざ出発!
現地で3名と合流し 総勢21名
ツアー参加者は、埼玉 岐阜 京都 大阪 和歌山 兵庫 広島 岡山 からB'z大好き♪ 愉快なメンバーが集まりました!(^^)! 
旅の目的は「稲葉さんゆかりの地を巡る!!」
マメな幹事さん☆オリジナル「旅のしおり」までつくってくれました ARIGATO!

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勝部神社(津山市勝部)

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勝部神社について
一(名前について)
昔は様々な仕事に其の職種ごとに名前があり、住む地域も決められていました。今もその名残として、それらの仕事に従事していた地域の名前が残されています。(綾部、倭部(志戸部)等
「勝部」というのは、勾玉、玉、鏡など研磨する仕事をさし、一説には様々な職能集団の長(統括者)的役割を担うとも言われています。
「勝」とは、磨くという意味があり。この地域には、そういう職種の人がいた場所であり
「五十年程前には、東地区の池付近で水晶を取った事がある」と言う方も居られ、産出もしていたのではと考えられます。

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宇那提森(うなでがもり)のムクノ木(二宮)

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★宇那提の森(ムクノキ)(市指定天然記念物)2013年4月8日取材
巨木のムクノキは、古くから古歌にも名高い名所「宇那提が森」の跡で、もとは繁り栄えた森林でした。しかし、天正年間(1573年頃)宇喜多直家が防塁するため伐採したため、このムクノキ株のみが残ったと伝えられています。推定樹齢は700年で、主幹は根元周囲4m、高さ約10mです。

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【津山人】 米井源治郎之碑(下高倉東上塩)

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麒麟ビールの初代社長 米井源治郎之碑(2013年4月10日取材)

 上塩池西側の米井澄近宅沿いに「米井源次郎之碑」がある。蘭学者で医者の仁木永祐が籾保村に開いた籾山校に学び、上京して慶應義塾を卒業後、財界人として明治時代の近代国家確立の一翼を担った米井源治郎の功績を称えるために、生家の当主澄近氏が平成6年(1994)3月に建立した碑である。


 文久元年9月16日下高倉東1723番地に米井仲平の次男として誕生、蘭学者 仁木永祐氏の籾山校に学ぶ。後津山藩の豪商磯野氏の世話になり、慶応義塾に学び明治18年3月同校を卒業。後 磯野商店の大番頭として活躍。三菱銀行岩崎久彌氏に信頼され、麒麟ビール、明治ゴム、株式会社ヨネイ等の社長を努めると共に明治屋(旧磯野商店)二代目社長をも努めた。
 行年59才 葬儀には、天台宗の大僧正をはじめ多くの政界人や財界人が参列した。(文:米井源次郎之碑より)

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室尾神社(三宝神社)(加茂)

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 室尾神社は、青柳室尾の寺山に在り、祭神は『上加茂村誌』によると、大己貴命・大山紙命・木花咲耶姫命となっているが、『作陽誌』は、父国玉命・事代主命・宇賀魂命だといい、「此神はタタラ師の持来りし神なりと 故に金鋳護の神といふといふ 又山の神ともいふ」と記している。

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