![津山の今昔を辿ってみました。(1)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/miyagawa-thumb-120x120-91196.jpg)
津山の今昔を辿ってみました。(1)
![明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/1-thumb-120x120-91748.jpg)
明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。
![三嶋神社(津山市中村)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2012/12/mi3-thumb-120x120-100276.jpg)
三嶋神社(津山市中村)
![金峯山修験本宗 長命山 多寶寺(旧勝北町)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2012/10/%E5%A4%9A%E5%AF%B61-thumb-120x120-101961.jpg)
金峯山修験本宗 長命山 多寶寺(旧勝北町)
![豊岡神社(津山市坂上字大道東)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2012/11/haiden-thumb-120x120-102579.jpg)
下野田字西の宮にある。野田上下の氏神であったが、明治五年氏子を分離して以来下野田の氏神となった。大正十三年『下野田誌』によれば、祭神は誉田別命(応神天皇)、相殿は足仲彦尊(仲哀天皇)・息長帯媛尊(神功皇后)・大鶴鷯尊(仁徳天皇)をまつる。
文治3年(1187)、美作の守護であった梶原景時が豊前国(大分県)宇佐八幡宮の分霊を勧請して本社を創建し、広野荘の総氏神としたという。
「東作誌」は野田・福井・田熊・河面の四か村の氏神であるので四社八幡宮としたと称した、と記している。(勝北町誌・歴史めぐり資料より)2012.10.2取材
鳥居と表参道
灯籠
拝殿
本殿
本殿
灯籠
末社神
参道と景色