本光寺と椿の花(津山市一宮)
2015年12月7日に本光寺を訪問してきました。ここの風景は今にも長継公が出て来そうでロマンを感じる所でとても好きです。その長継公(長継は初代藩主・森忠政公の外孫で、姓は関氏といい、森家の重臣だった。)は津山藩で最も長く藩を統治した人物で、森家の盛衰を見届けた唯一の人物だったのです。(2009年に取材したのに詳しく描いておりますのでどうぞ)
2015年12月7日に本光寺を訪問してきました。ここの風景は今にも長継公が出て来そうでロマンを感じる所でとても好きです。その長継公(長継は初代藩主・森忠政公の外孫で、姓は関氏といい、森家の重臣だった。)は津山藩で最も長く藩を統治した人物で、森家の盛衰を見届けた唯一の人物だったのです。(2009年に取材したのに詳しく描いておりますのでどうぞ)
2014年3月16日の千光寺のお花たちです。
2014年3月17日~24日まで、とっても綺麗な立石家の梅の花を楽しみました。
毎年、梅の花が散ってから気が付き今年こそはと気にしていたら綺麗な梅の花に出会えました。この立石岐さんはくらしを良くする為には、政治を変え、人民の国会を開くしかない」と国会開設請願の署名運動をしたり、衆議院議員を三期務めた津山の人です。(前回の取材はこちら)(立石岐ゆかりの津山協会)
2014年と3月2日と3月19日梅の花を探しに丹後山へ行って来ました。ここは昔、津山藩の重臣大塚丹後守の屋敷があったことが名前の由来。宮川を挟んで津山城跡と向き合い、桜の名所としても知られています。山頂には津山測候所や、キリ スト教の墓地等があります。城東地区と丹後山は深く関わり、山頂への道は5本を数えます。上之町通りから山頂までは10分で登れます。(2010年2月の丹後山)
2014年3月2日に津山城(鶴山公園)のお雛様を見に行き、ついでに散策してみました。
ぽかぽかの陽気に誘われて咲いている花がありました。一輪だけぽつんと咲いている花の名前はヒメリュウキンカだと教えていただきました。津山城(鶴山公園)内を回ると菜の花やフキノトウが顔をだしております。もう少しすると白モクレンの花が美しく咲くことでしょうね。
2014年3月1日に咲いていた田邑のフクジュソウ
当社の創建は不詳であるが、正平16年(1361)11月辛丑、山名時氏が吉野郡田殿村鞍掛城主美濃守赤松氏の支族佐用貞久、有元佐久等を攻め降伏させた。その際、当社に戦勝祈願の報恩として鳥居、額面を奉納した。
一級河川梶並川が神社前面(北側)で大きく歪曲し、水衝部となっていることから、度々冠水により田畑の被害があったと考えられ、氏子の治水祈願から主祭神である瀬織津姫命(セオリツヒメノミコト)を祀ったものと思われる。
大正10年7月20日村社列格。(岡山県神社庁HPより)
2014年2月22日に千光寺へマンサクの花を訪ねて行って来ました。
2-3月に葉に先駆けて花が咲く。花にはがく、花弁と雄蕊および仮雄蕊が4個ずつあり、雌蕊は2本の花柱を持つ。マンサクの語源は明らかでないが、早春に咲くことから、「まず咲く」「まんずさく」が東北地方で訛ったものともいわれている。(ウィキペディアより抜粋)
2014年2月22日美作市田殿にある田殿神社へセツブンソウ(節分草)を見に行きました。只今、真っ盛りでございます。小さな花で一生懸命太陽を見上げております。
セツブンソウ(節分草) は、キンポウゲ科セツブンソウ属の多年草。関東地方以西に分布し、石灰岩地域に多く見られる。高さ10cmほど。花期は2-3月で直径2cmの白い花を咲かせる。花弁に見えるのは萼片である。和名は、早春に芽を出し節分の頃に花を咲かせることからついた。可憐な花は人気が高く、現在は、乱獲や自生地の環境破壊によって希少植物になっている。(文:ウィキペディアより抜粋)
2014年2月14日・22日に千光寺さんへ椿の花を見に行って来ました。
相変わらず美しい色をしていました。今年は少し早く咲く椿があったりで、津山市の気候もだんだんと変わってきているようです。