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取材記事内をタグ「津山ゆかりの人」で検索した結果,27件の記事が見つかりました。

【津山人】 多胡昭彦さん(日本のアマチュア天文家)

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多胡昭彦さん(1932年生まれ)は日本のアマチュア天文家で、10数個の彗星や新星の発見者です。小惑星 (7830) Akihikotagoに命名されました。また、1996年に設立された岡山県柵原町の町立のさつき天文台で天文学の普及に尽くされました。
発見した彗星は、C/1968 H1 多胡・本田・山本彗星、C/1969 T1 多胡・佐藤・小坂彗星、C/1987 B1 西川・高見沢・多胡彗星がある。新星としてはV1493 Aql (みずがめ座新星1999)、V2275 Cyg (はくちょう座新星2001、no. 2)、V574 Pup (とも座新星2004)、V2467 Cyg (はくちょう座新星2007)があります。

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【津山人】箕作秋坪(1825-1886)

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文政8年(1825)、呰部教論所の学監 菊池文理の二男として阿賀郡下呰部村(現真庭市下呰部)に生まれる。江戸に出て箕作阮甫に蘭学を学び、後にその養子となった。
文 久元年(1861)、幕命により通商条約実施延期交渉のため、欧州六か国を訪問。また慶応2年(1866)には、北方領土境界交渉のためロシアを訪問する など、幕末の外交交渉に活躍した。維新後、英学塾「三叉学舎」を開設、原敬・東郷平八郎・平沼淑郎ら多くの門人を育成するとともに、森有礼・津田真道・福 沢諭吉らと明六社を興し、明治初期の代表的知識人として知られた。19年(1886)東京で没す。(資料提供:洋学資料館)

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「菊正宗酒造記念館」(菊正宗酒造九代目は津山人)

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旧酒造記念館は、1659年(万治2)に神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられた酒蔵を、昭和35年に現在の地に移築し、酒造記念館として保存・一般開放していたものです。
館内には、国指定・重要有形民俗文化財「灘の酒造用具」や所蔵する小道具類を展示。酒造りの歴史を今日に伝える資料館として、多くの来館者を数えていたそうですが、平成7年1月17日、旧酒造記念館は阪神淡路大震災によって倒壊。不幸中の幸いとして、収蔵の酒造用具や小道具類は、ほとんどが無事、あるいは修復可能な状態。4年後の平成11年1月25日に復興オープンしたそうです。(文:菊正宗記念館HPより抜粋)2014年5月4日取材

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名護屋山三郎キャラクターコンテスト 最優秀賞&優秀賞発表♬


イケメン戦国武将、名護屋山三郎キャラクターコンテストの
最優秀賞&優秀賞の発表が、桜満開の鶴山公園で行われ、

お客様や報道陣もたくさん集まっています。
4月5日、6日に行われた一般投票には2日間で約1,000票の投票があったそうです。

山三郎01.jpgのサムネイル画像 山三郎02.jpg

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【津山人】白石 靖さん(バンブークラフト アーティスト)

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昭和60年(1985)の年賀郵便切手にも使用された竹細工の作州牛、その作州牛を作る白石靖(きよし)さんをお尋ねしてきました。「16歳の時に父親を助けようと思い、家業の竹細工の見習いを始め、約3年の修行を経て昭和32年父親と一緒に試行錯誤しながら考案した作州牛が今では津山の代表的な郷土玩具と言われるようになった。」そうです。(2014年3月11日取材。)

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名護屋山三郎キャラクターコンテストの審査に参加しよう!


★名護屋山三郎キャラクターコンテスト 一般審査
◎4月5日(土)・6日(日)

◎津山さくらまつり会場(津山城・鶴山公園)

一次審査を通過した7点の応募作品が全て展示され、その中から来場者のみなさんの人気投票により優秀賞が選ばれます。お花見に出かけて、あなた好みのイケメンに投票しよう!!

★津山城Legend公式サイト
http://tsuyama-castle-legend.com/

▼一次審査を通過した7点の応募作品
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【津山人】 白石 哲 氏(1924~2012)

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三鬼の最後の弟子 白石 哲さん、俳号は白石不舎(しらいし ふしゃ)

大正13年(1924)、津山市生まれ。西東三鬼に師事。遺言により津山に西東三鬼之墓を造立す。以後俳壇と無縁も上京後三橋敏雄らと交遊、俳諧滞らず、昭和61年帰郷と共に、西東三鬼顕彰を志す。「綱」主宰。句集「作州」。西東三鬼賞委員会副委員長。
平成24年2月27日、逝去。

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【津山人】宇田川玄真(1769-1834)

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 宇田川玄真(榛斎)は明和6年(1769)伊勢国(現・三重県)の安岡家に生れる。若いころから、精力的に漢方医学を研究し、江戸に修行に出ます。江戸で玄随に出会い、西洋医学の正確さを諭されたことから、洋学の道に進むことを決意したといわれています。また、玄真は一時期、杉田玄白の婿養子となっていたことでも知られています。

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【津山人】津山生まれでパリ在住の画家・桜井由子さん

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2013年9月14日(土)~10月27日(日)まで、鏡野町生まれの彫刻家・桜井敏生さん (72歳)、津山生まれでパリ在住の画家・桜井由子さん(42歳)。石彫と油彩というまったく違った素材による二人の初の親子展が棟方志功・柳井道弘記念館 (M&Y記念館)にて行われています。(10月27日(日)迄開催)

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【津山人】宇田川玄随(1755-1797)

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宇田川玄随(うだがわげんずい)
 宇田川玄随は元々漢方医で、蘭学に対して「西夷之子鴃其舌而左其衽何足以掛歯牙(西洋人はモズのように口を尖らせ、左前の服着た野蛮人で、歯牙にも掛けることはない)」という態度をとっていました。しかし、解体新書翻訳メンバーの一人であった桂川甫周や大槻玄沢から話を聞き、西洋医学に目覚めると、玄白などにも教えを受け、蘭学者となっていったのです。

1792年(寛政4)年10月19日、玄随が主導し、津山在住の藩医をはじめ、町医者2名が参加して、津山ではじめての解臓(解剖)を行った。

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