取材記事内を検索ワード「」で検索した結果,202件の記事が見つかりました。
名を長継山千年寺といい、長継が自身の生前墓(寿塔=逆修塔)を建立した寺です。 今は、桜の木が大きく育って、とても綺麗に整備されていました。
現存するものは境内地と風致林、それから長継公五輪墓(津山市の文化財)を中心に石柵、石窓和尚・関森和尚の碑、仏殿(本堂)・寿光堂の礎石、中の段は鐘楼、井戸、禁葷酒の石柱、山門の礎石、刹竿の双柱の1本、三箇所の石段、千年寺への道しるべ石柱2本、下に井戸1箇所と南側の山即ち玉几岡に生き仏(開山鐡堂和尚)の墓があります。(庫裡を取壊した後、大東亜戦中に疎開して来ておられ、昭和50年千年寺徒弟となった梅本南山翁が昭和61年まで居住)
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/sennenji/index.html
高野山真言宗 新善光寺は山号を金森山と称し、天長八年(831)弘法大師によって開基され、本尊は阿弥陀如来である。鎌倉時代の遊行聖で時宗の開祖一遍上人(1238~1289)の遍歴の生涯を描いた絵巻物「一遍聖絵」(国宝・京都歓喜光寺蔵1299完成)の中の、第八美作一宮中山神社の絵巻の詞書の一節に「それ(註・一の宮)をたちて、かなもりと申所におはしたりけるに・・・」と記されており「かなもり」とは金森山を指すものであると古くから伝えられている。
一切を捨てて一生を旅のうちにあって念仏の教えを説いた一遍上人が弘安九年(1286)美作一宮から当山にきて滞在したのである。
入り口にある「茶屋林道標」は市指定重要文化財(建造物)。
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/shinzenkoji/index.html