![行啓道路(津山市山下)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/07/800%E8%A1%8C%E5%95%93%E9%81%93%E8%B7%AF-thumb-120x120-91204.jpg)
行啓道路(津山市山下)
![統合井堰(草加部)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/03/suidou4-thumb-120x120-91570.jpg)
統合井堰(草加部)
![明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/01/1-thumb-120x120-91748.jpg)
明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。
![近長代官屋敷跡(近長)](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/02/jinya8-thumb-120x120-95199.jpg)
近長代官屋敷跡(近長)
![明治27年(1894)美作津山市街図](https://www.e-tsuyama.com/report/assets_c/2015/04/chizu1-thumb-120x120-96694.jpg)
草加部地区の工業団地の西側のところで、加茂道に両側から山がせまり、地形が馬の鞍のようにせまくなっているところがある。この地は小字名が皆戦場と呼ばれているところがある。
土地の古老の話では、この地では度々戦があったと伝えられている。
地名は皆戦場であるが合戦場がなまったのではないかとも言われている。戦国時代、美作の地は山名・赤松・尼子・毛利・浦上・宇喜多の侵略を受け、争乱の地となりました。「皆戦場」という地名は『萩藩閥閲録』によれば、天正8年の岩尾山(医王山・祝山)城をめぐり、毛利と宇喜多の合戦に関連があるようです。合戦場は、広い一帯に及んだようで、刀や兜等も出土しています。
(文:平成15年度 第10回高野地区三世代交流ウォーキング大会資料より)2015年2月19日取材
飯綱さんに皆戦場跡地まで案内いただきました。
皆戦場踏切
皆戦場の説明板
古めかしい石が転がっていました。