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津山市(旧勝北町)の宝篋印塔

zenmen.jpg宝篋印塔(2011.6.12)
 宝篋印陀羅尼経を安置すると、三世一切の諸仏の全身舎利を奉蔵するものと信じられて作った塔を宝篋印塔という。基礎・塔身笠・相輪の部からなり層段を刻み、四隅に飾突をもつ笠部が特有である。また塔身に四仏梵字を刻し基礎の側部に年号等を記銘しているものがある。もともと供養塔であったが後には墓塔としても用いられたようである。
 勝北町では数多く発見されているが笠部のみであったり相輪のみであったりするものが多い。ここ工門の宝篋印塔は康永2年という南北朝時代の紀年銘があり、岡山県でもすぐれたものであるといえる。「沙弥」「比久尼」の文字は判読しがたい。

勝北町教育委員会
勝北町文化財保護委員会

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 この宝篋印塔は津山市勝北支所の向かい側にあります。

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 宝篋印塔より向かって左にある景色          ▲案内板

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観音堂遺跡
観音堂遺跡は勝北町役場の前、新野東字観音堂に所在する中世の墳墓遺跡です。ここには康永2年(1343)銘の刻まれた宝篋
印塔を始め数十基をこえる五輪塔が存在しておりこれらの石は供養塔あるいは墓塔として立てられていたものと思われます。ところが回道53号線拡幅工事に伴ってその遺跡の一部が切断されことになりました。このため勝北町教育委員会は岡山県教育委員会の協力を得、破壊される墓城の約半分を発掘調査することになりました。調査の結果、遺跡からは完全な形の蔵骨器二個体分をはじめ大型の備前焼瓶土師質の小皿、鍋などの破片が多数出土しました。中でもここに展示している右の壺には土師質小皿が、左の壺には青磁の碗が蓋に転用された状態で出土したものです。
なお右の壺は備前焼、左の壺は勝間田焼と考えられ、また青磁碗は中国の龍泉系統の窯で作られたもので、これらの遺物はその特徴から鎌倉時代中期のものと考えられます。
これらの遺物は県下での出土例はあまりなく特に壺については備前焼、あるいは勝間田焼初期の数少ない資料であり、また当時一般農民がもつことはなかったであろう中国製の青磁が蔵骨器に使用されている事実は当遺跡や中世墳墓を考える上で貴重な資料となるものと思われます。(民族資料館:説明より)