岡山県指定天然記念物「尾所の桜」枝の折損
岡山県指定天然記念物「尾所(おそ)の桜」の枝が折損しました。原因は、令和5年1月24日夕方から25日にかけての強風及び積雪による可能性が高いと推定されます。
折損の状況は、地上から約4.5mの高さにある、北西向きの直径約30cmの枝が、幹から約60cmの場所から折れており、折れた枝の長さは約8mです。なお、今後の対応については、岡山県教育委員会と協議のうえ対応を検討することとしています。(文:津山市文化課 文化財保護係)(2023年2月9日撮影)
岡山県指定天然記念物「尾所(おそ)の桜」の枝が折損しました。原因は、令和5年1月24日夕方から25日にかけての強風及び積雪による可能性が高いと推定されます。
折損の状況は、地上から約4.5mの高さにある、北西向きの直径約30cmの枝が、幹から約60cmの場所から折れており、折れた枝の長さは約8mです。なお、今後の対応については、岡山県教育委員会と協議のうえ対応を検討することとしています。(文:津山市文化課 文化財保護係)(2023年2月9日撮影)
津山市宮脇町にある徳守神社で、2023年2月3日(金) 13:00 〜節分祈願祭が執り行われました。
年の始めの春を迎えるにあたり、一年が平穏無事な年であるようにと願う節分祭です。無病息災と開運を願う人々が参列し、開運厄除祈願祭を執り行い、祈願祭修了後は特設舞台より厄落とし豆撒きが行われました。今年はコロナ禍で中止していた「鬼やらい」が執り行われ、境内は赤鬼や青鬼、子どもの鬼が走り回りとても賑やかな節分祭でした。
当寺は、和銅2年(709)、山麓の猟師兄弟が山中で一寸八分の千手観音を発見し、草堂に安置して、熱心にこれを祀ったことに始まります。以後、入唐沙門円誉上人が、唐より仏舎利や経像を持ち来たって、神林寺として開山したと記録されております。
後白河法皇の寄進や、源頼朝が梶原景時を奉行として堂塔を建立したなどの事蹟もある、作州での山上伽藍として最古の歴史をもつ寺院であります。
しかし、深山の中で無住となって久しく、今では南山麓の善福寺の境内に神林寺仮堂をたてて、本尊諸仏を安置し、仏具、古文書類もここに保管しております。
現在は、山上の本堂、鐘楼堂、仁王門も修復整備され、多くの花木が植えられ、檀徒一丸となって復興に努力しているところです。
なお、本尊は安産の霊験あらたかであります。(文:『高野山真言宗 美作霊場めぐり』より)(写真:2021年6月19日撮影)
登山は人気があるけど、なかなか一歩が踏み出せない...。 そんなあなたでも、気軽に登れる山「那岐山」。 那岐山は標高1240メートル、中国山地の主峰のひとつで氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されています。コースも色々楽しめ、小学生でも登れますので初心者の方にもおすすめです。
春の那岐連峰
2018年6月3日(日)に津山駅ホームで、津山市、美咲町、(公社)津山市観光協会と連携した、津山線開業120周年記念「美作国地酒列車」の歓迎おもてなし行事がありました。岡山駅を9:22分発で中国勝山駅12:18着、帰りは中国勝山駅15:35発の岡山駅18:50着の折り返し運転です。津山駅でお迎えしていたのですが、降りて来られた皆さんが楽しそうなので今度は乗ってみたいと思いました。それに「黄福のホルモンうどん」が販売(幸福のまち 美咲×牛肉の聖地 津山 特別企画)されているのを初めて知り、美味しそうなのでゲットして帰り美味しくいただきました。お味もまろやかでしたよ。
荒神様(2012年撮影)
ここは、旧勝北町の下村地区です。西加茂神社をすこし北に行ったところにあります。ご近所の土井さんにお聞きすると「旧勝加茂村の時は下村の八幡様と呼んでいました。詳しい事は解りませんが下村の人達で現在までお祀りしてきました。」と教えてくださいました。(2012年12月14日撮影)
勝北町安井宇根にある大師堂は、通称庵と呼んでおり、真言宗の祖弘法大師の像を祀る堂宇で奥行二間半桁行一間半で大正元年に建て替えられ、そのご二度の修復をへて今日に至っている。
大師堂の建立の由緒は定かでないが、明治初期に毘沙門天が勧請されてから別名毘沙門さまと呼ぶようになった。
そこには、数本の石仏が並び、中でも中央の地蔵菩薩は美しい姿をとどめている。
天明、寛政年間、この地方に多くの石仏を遺した泉州の石工、松尾伊八らの手によって造られたのではなかろうか。天明年間は、天変地妖相次いで起き、国中の者は草の根、木の皮まで食い尽くし飢と病で多くの人が死んでいった過酷な時代であった。飢餓は、八年にも及び諸国の百姓は地獄の苦しみに喘ぎ、何に救いを求めようもない村の人達は、僅かな浄財を出し合い地蔵さんを建て死んでいった人々の供養と菩薩の慈悲にすがった。
安井庵文書を繙くと庵には、代々庵僧が寄寓していたことが伝えられており、天保時代より出羽の国の三九郎夫婦、生国因州の庵僧、旧浜田藩の松田佳次郎などの庵僧の墓が近くの草叢に眠っており、他国の人々を庵僧として温かく迎え入れた厚い人情を村の人々は今でも誇りに思っている。
大師堂のかたわらには大きな庫裡があって昭和二十五年に取り壊し今は、堂宇一つを残すのみとなった。
苫勝霊場二十五番札所の大師堂は、毎年桜の花の咲く頃、苫勝霊場めぐりの遍路で賑い村の風物詩でもあったが、今では知る人もだんだん少なくなり、毎月二十一日の大師の縁日に古老達によって念仏が上げられている。
(勝北町文化財保護委員平田安男記)(平成12年12月19日取材)
2017年8月13日のお盆の日です。津山は、日中暑いけれども時折涼しい風もあり、少しは過ごしやすくなっているかな?と感じます。また、朝晩は幾分涼しくなっており、ヒグラシが泣いて秋の気配が感じられます。
今日の店内は、お盆の連休もあって沢山のファンの方たちで店内は混雑しておりました。その中で「あっ!津山瓦版!」と声かけてくださいましたお馴染みのファンの方と遭遇。覚えていてくださってとても嬉しかったです。
本年、津山城完成400年を記念し、従来行われていた徳守神社大祭を大きく進化させ、その一つの姿として、奴通りにて新たにお旅所を設け、津山総祓神事を執り行うこととなりました。
当社は、1604年に津山藩初代藩森忠政公にて現社地に造営されました。当時はまだ不安定な時代で津山城築城に当たり、津山城とその城下町の守護神として造営されたと伝えられています。大坂夏の陣にて使用された鉄盾を森公が当社に奉納されたのもその証の一つと言えるでしょう。
この度の徳守大祭は、当社の時代背景の具現化を目指し、甲冑と火縄銃をテーマに企画されております。当時津山でも組織されていた津山城鉄砲隊が、その子孫により復活をしており、今年よりと徳守大祭に初参加いたします。また、古くは徳守大祭の神輿行列はカ甲冑を装着しての所役もあり、この故事から現在甲冑を正装として活躍されている、備州岡山城鉄砲隊にもご参加いただきます。(文:徳守神社案内より)(2016年10月23日撮影)