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2016年2月のイナバ化粧品店

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2016年2月28日(日)イナバ化粧品店に伺いました。あいにくとママにはお目にかかれませんでしたが、店員の皆さんとワイワイガヤガヤお話ししてきました。津山ではもうすぐ「お雛まつり」や4月になると津山城(鶴山公園)である「津山さくらまつり」、また、「旧津山扇形機関車庫」・展示施設「津山まなびの鉄道館」が4月2日から営業開始となり賑やかになります。是非、この機会に津山にお出で下さいね。(上の写真はイナバ化粧品店さんから頂きました。)

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2015年 みまさかスローライフ列車

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2015年11月7日(土)みまさかスローライフ列車を追いかけてきました。子どもの頃の風情を思い出しつつ秋深まる因美線の駅を辿り、ついでに紅葉も満喫してきました。

津山駅を出発して、高野駅では、懐かしの昭和展、ポンポン菓子の無料配布。また、美作滝尾駅では、遠目から駅舎を撮影。映画「男はつらいよ」津山ロケ20周年写真・パネル展があったそうです。
美作加茂駅は、国内で最後まで腕木式信号機が使われていた貴重な駅だそうです。また、美作河井駅では、無料レンタル自転車を貸し出しや、「あば温泉または布滝(のんたき)」無料送迎バス運行されました。なんと参加費用無料だったそうです。【河井駅出発時の動画】

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岩谷山 「妙福寺」(津山市中北上)

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岩谷山 妙福寺(日蓮宗)沿革 (2012年5月13日取材)
 日蓮宗妙福寺の開基は、文明元年(1469年室町中期)日了聖人によるものであります。当初は坪井上福本の「寺山」にあったが、天正12年(1584年桃山中期)花房職秀により、現在の地に移されました。
 妙福寺は、岩屋城と関係は深く、天正10年(1582年)には、本能寺の変があり、続いて高松城の落城、この時の岩屋城主は中村頼宗でありました。頼宗は元来、毛利方であり、美作には毛利恩顧の者は多く、死をもって忠誠を表すことを決意していました。

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朝吉神社(津山市上村字王子屋敷)

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 上村朝吉神社(上村字王子屋敷)祭神 下照姫命御旅所。

 字キロロ659番地の野に在り「明治五年九月十六日朝吉神社御輿、始メテ此ノ地ニ渡り爾後、御旅所ト称ス」と神社誌にある。
 祭礼は昔、加茂郷の五社の一社として鴨神社(現西加茂神社)を中心に烏居野(中村)に神幸したしたと伝えられ、明治五年に神輿を新調しキロロ野を神幸行を神幸したと伝えられ、明治五年に神輿を新調しキロロ野を神幸行事を復活して現在に至っている。

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三嶋神社(津山市中村)

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三嶋神社
 勝加茂西中(現中村)字三嶋山にある。祭神は大山柢命であり、相殿はない。西賀茂神社の境外末社として、勝加茂西中(現中村)の氏神である。創建の年月は明らかではないが、賀茂郷五社の一社として、古来より祭祀せられている。(歴史めぐり資料より)2012.12.14取材

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豊岡神社(津山市坂上字大道東)

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 勝加茂坂上字大道東に豊岡神社がある。祭神は豊受姫命、配祀は水波能女命・志那津比古命を祀り、坂上の産土神である。本社の創立について「神社明細帳」に、天文三年(1534)ニ月九日出雲富田の城主、尼子経久がその武将三好安芸守に命じて社殿を造営すると記され、勝加茂東村誌にも同様な記載があるがそれをうらづける古文献等の資料はない。始めは村内の字から池畔に鎮座し、昭和十年に現在の位置に遷座した。むかし、産土神は勝加茂西上(現上村)の若王子権現であったが、明治十年氏子を離れ以来当社をもって産土神と定めたのである。(勝加茂村史・歴史めぐり資料より) 2012年11月26日取材

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二松神社(津山市新野東字二夕松)

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 文治2年(1186)美作の守護梶原景時が駿河国(静岡県)の浅間神社の分霊を勧請して、新野東村の二本の老松と大栗のあるところに社殿を造営し、二松花栗大明神祭と唱え、祭神木花咲耶姫命を祀ったといわれています。明治6年、二松神社と改称しました。(「美作神社資料」) (文:勝北町誌より抜粋)2012.10.25取材

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八幡神社(津山市下野田字西ノ山)

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 下野田字西の宮にある。野田上下の氏神であったが、明治五年氏子を分離して以来下野田の氏神となった。大正十三年『下野田誌』によれば、祭神は誉田別命(応神天皇)、相殿は足仲彦尊(仲哀天皇)・息長帯媛尊(神功皇后)・大鶴鷯尊(仁徳天皇)をまつる。

文治3年(1187)、美作の守護であった梶原景時が豊前国(大分県)宇佐八幡宮の分霊を勧請して本社を創建し、広野荘の総氏神としたという。

「東作誌」は野田・福井・田熊・河面の四か村の氏神であるので四社八幡宮としたと称した、と記している。(勝北町誌・歴史めぐり資料より)2012.10.2取材

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東賀茂神社(津山市安井字宇根)

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 『勝加茂村史』によれば、祭神は大山咋之命、相殿に伊那諾之命・素戔鳴命をまつっています。建長四年創建と伝えられ、明治二年に、勝加茂西中(現中村)から安井字宇根に遷座しました。明治五年日吉神社と改め、明治六年に東賀茂神社と改称しました。(勝北町誌より)

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