2020ウッドパーク声ヶ乢の紫陽花(市場)
ウッドパーク声ヶ乢は、広戸仙への登山口にあたる標高530mにあり、勝北の町並みを一望できる高台にあります。
春にはソメイヨシノやヤエザクラ、ヤマザクラなど1200本の桜目当てに多くの人が訪れ、さくらまつりを楽しみます。また、秋には紅葉が美しい所でもあります。広戸仙への登山口がすぐ上にあり、登山者の車が多数止められていました。(2020年6月17日撮影)
ウッドパーク声ヶ乢は、広戸仙への登山口にあたる標高530mにあり、勝北の町並みを一望できる高台にあります。
春にはソメイヨシノやヤエザクラ、ヤマザクラなど1200本の桜目当てに多くの人が訪れ、さくらまつりを楽しみます。また、秋には紅葉が美しい所でもあります。広戸仙への登山口がすぐ上にあり、登山者の車が多数止められていました。(2020年6月17日撮影)
津山市上野田の広戸川沿いにある「ほたる公園」(津山市上野田329)です。この近くは良く通るのですが、まさか公園があるとは知りませんでした。しかも名前が「ほたる公園」です。
この広戸川は、普段はとても静かでおだやかな流れの川で、沿線はさくらの花が咲くころは一段ときれいです。また、この公園では上野田地内の方々が集まって夕涼み会などが行われ、地域の方々の交流の場となっているようです。(2020年4月6日撮影)
2020年4月4日・14日に、ウッドパーク声ヶ乢のさくらの開花が進んでいるか確かめにドライブに出かけてきました。4日は満開にはまだ1週間はかかると思われましたが、それでも何組かの家族が咲き始めた桜の木の下でお花見をしておられました。また、14日には満開を迎えている桜の木もありましたが、すでに散り始めているさくらの木が殆どでしたが、自然の中で映えていて奇麗でしたよ。
2020年4月11日の勝北総合スポーツ公園のつつじが満開を迎えていました。
夕暮れ時だったのですが近くを通ったので立ち寄ってみたら、目の前にはとても綺麗な風景が広がっていて感激しました。つつじの満開を眼にしたのは初めてだったので、まだまだ津山には私の知らない素敵なところが沢山あるなと思いながら散歩してきました。園内では、ご家族の方々がボールで遊んでいたり、散歩に来られていたりで賑やかでした。(2020年4月のさくら満開の時の取材)
時折小雨の降る日、遠くから黄色の、菜の花畑が見えてきます。ここは、津山市原地区にある小高い丘の上にある菜の花畑です。畑仕事に来られていた方にお聞きしたら、この菜の花は菜種油用に植えていらっしゃるそうです。それにしても、那岐連邦を借景に美しく咲いた菜の花畑で、心がやすまりました。近くには以前取材させてもらった羽出池の地蔵菩薩などがあり、何度か訪れていましたが菜の花畑は初めてでした。(2020年3月29日撮影)
勝北総合スポーツ公園のさくらの花が美しく咲いていました。
スポーツ公園のまわりの山々はさくらの花で霞がかっています。新型コロナウイルスのせいでしょうか、来られている方はまばらでした。また、展望台では二組のご夫婦がそれぞれ離れてお花見をされていました。公園内ではその他、椿の花と、さくらの花とのコラボが美しく、周りではツツジの花が咲き始めピンク色が鮮やかに目に入ります。早く新型コロナウイルスが終息することを祈るばかりです。岡山県津山市西下1100−1(2020年4月4日撮影)
下野田ウオーターパークは、国道429号線や県道415号線の交わる津山市下野田にあり、勝央町と町境を接しています。周りの大部分は森林と田畑で囲まれている静かなところですが、近くの工場跡地に住宅が増えてきています。また、すぐ隣には勝北浄化センターがあります。(2020年3月20日撮影)
石燈籠は仏堂に献燈する用具として中国・朝鮮をへて伝わり、後に神社にも用いられるようになった。
献燈は昼に法会を行う際、浄火としたもので、照明用具としてではなく仏前の燈明か法燈を意味するものである。
奈良時代前期の奈良当麻寺燈籠は我が国では最も古い。はじめ堂の正面にだけ建てたものが、室町時代末期より左右一対配されるようになった。
江戸時代から明治期にかけての形式の変化は著しく、より重量感と座りのよい四角形石灯籠に撥形の竿が利用されるようになった。(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)
2020年3月20日の勝北総合スポーツ公園です。
雲一つない青空の下、運動がてらにスポーツ公園まで行ってきました。公園内では小中学生、親と一緒に来てる子ども達のにぎやかな声がこだましていました。また、勝北総合スポーツ公園は、約18ヘクタールの広大な敷地に、野球場、流水プール、テニスコートや子どもの丘、ローラースベリ台など多くの施設があり様々なスポーツが楽しめるところです。
(2010年のプール取材記事です。)(秋の様子)(2007年勝北めぐり)
多くは文字塔であって自然石や角柱に「地神」あるいは「地神塔」と彫ったものである。大地の力が作物の豊作・不作を決める事から、農民の地神への信仰は根強いものだった。今でも家を建てる時などには地鎮祭を行っている。
百姓の神とか、あるいは春の社日に来て田畑に出て、秋に帰るまで作物を作っている神といわれ、小字単位で地神講が組織されている所もある。