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第28回 出雲街道津山城東むかし町

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 2017年11月5日の津山市は良いお天気になりました。午前10時~重要伝統的建造物群保存地区一帯で「第28回 出雲街道津山城東むかし町」が賑やかに催されました。
 このイベントは、昔ながらの町並みが今も残る城東地区一帯を会場としたイベントです。出雲街道沿いの1.2kmが歩行者天国となり、時代行列や消防音楽隊パレード、時代仮装行列など様々なイベントが催され道行く人を楽しませてくださいました。出雲街道に着物姿の人々が往来していたんだと思うとロマンがありますね。(2016年の様子

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高校生と城東めぐりをして来ました。

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2016年3月22日、インターンシップで鏡野から津山市内の高校へ通っている高校生をお引き受けして城東地区を巡ってきました。感想に「普段はなかなか歩く機会のない城下町でしたが、ひとつひとつ丁寧に見たり、いろいろな方と話をしたりしながら歩くと、いつもは何気なく車から見ていた景色とは別の視点で見学することができました。また、何も知らずに歩くより、各地の説明を聞きながらめぐる城下町はひと味違う雰囲気でした。」と嬉しいレポートを残してくれました。
※平成25年8月7日、文部科学大臣から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

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津山・美作の国いにしえギャラリー by 江見写真館(第1回 梶村邸)

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梶村家の歴史
 梶村家はもとの屋号を米屋といい、元禄年間(1695年頃)には出雲街道の南側に居住し、その後現在の地に住んだようである。
 宝暦年間(1760年頃)には山内屋と称しているが、商いは不明である。明和4年(1767)に「札元並」という町役に任命され、五人扶持、名字を許され茂渡藤右衛門と改名、その後数代にわたり「札元」を勤めている。
 梶村姓を名乗るのは明治4年(1871)からである。明治中期には平五郎が県会議員として県政に貢献し、銀行業務に尽くすかたわら和歌を得意とし明治42年(1909)の歌会始に入選するなど、美作地方の歌壇の発展に尽くした。また、長男良次もガス会社・製紙会社などの経営に活躍した。
 なお、平五郎などの和歌の活動の場となったのが、当家の後の果樹園に建っていた「千草舎」(ちぐさのや)と呼ばれていた庵である。そこで、このたびの修理で茶室にこの名を引き継いだ。
(文:梶村邸説明パネルより)(写真提供:江見写真館、※写真撮影の年代は全て賀陽宮様がお出でになった昭和6年のものだそうです。)※写真は「津山瓦版」のみ使用可です。

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第27回 出雲街道 津山城東むかし町」のイベントが行われました。

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2016年11月6日(日)午前10時~重要伝統的建造物群保存地区一帯で「第27回 出雲街道 津山城東むかし町」のイベントが行われました。当日は曇りで少し雨もぱらついていて心配しましたが、何とか雨も降らずに皆さん楽しんでおられました。出雲街道沿いの1.2kmが歩行者天国となり、時代行列や津山城東音頭をはじめ、物産市やホルモンうどん、出雲街道そば、箕作うどん、猪鍋などのグルメ、消防音楽隊パレード、自衛隊パレード、オリエンテーリングなど様々なイベントが催されました。(2015年の様子)

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つやま城東まち歩き2016秋 アート&クラフト展

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2016年10月1日(土)・2日(日)つやま城東まち歩き2016秋 アート&クラフト展+手仕事体験(with第2回治徳美智子ふるさと人形展※人形展は10月1日~11月6日迄)が、歴史的な街並みがのこっている城東重要伝統建造物群保存地区で開催されました。私たちは10月2日落ち着いた雰囲気の中で可愛いお人形たちと出会い、楽しく城東まち歩きしてきました。また、着物で立ち寄るとプチサービスのお店もあったそうです。(2016年10月2日撮影)

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歴史と観光拠点「苅田酒造」

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 苅田酒造は宝暦8年(1758年)に創業。代表銘柄の「諸白」は江戸時代に書かれた「本朝食艦」の一説から取られたとされていわれ、250余年にわたって伝えられた伝統のお酒です。(現在は作られておりません。)苅田家は2013年12月、津山城下町最大の町家建築「苅田家住宅と酒造場」(市重要文化財)を津山市に寄付されました。今は津山市指定史跡です。母屋だけでも間口が10間半、奥行き9間あるそうです。国重要伝統的建造物群保存地区にある歴史と観光拠点として整備されて新しく生まれ変わるそうです。とても楽しみにしております。(2015年11月1日撮影)

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2015年 大隅神社の秋祭り

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2015年10月18日(日)快晴の秋晴れの中、大隅神社の秋祭りが執り行われました。この大隅様が津山まつりの最初のまつりとなります。神輿も重要伝統的建造物群保存地区を通られるた時は、往古の昔を偲ばせてくれるようなロマン溢れる風景でした。また、今年はだんじり全11臺が出動して賑やかで華やかなお祭りとなりました。イーストランドに勢ぞろいしただんじりの中を進む大隅神社のお神輿に皆さんが大きな声で声援を送っていました。

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全国土雛展-秋田・山形・兵庫・鹿児島-

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3/31(土)~04/8(日) 全国土雛展-秋田・山形・兵庫・鹿児島-

とても面白いお雛様です。男性がなで肩、女性がいかり肩で首が太いのが特徴です。愛嬌があって好きなお雛様です。みなさん、鶴山公園を廻った後、ぶらりと城東地区を廻ってみてくださいね。
時間:10時30分から18時(最終日は17時) 場所:うき草や ※4月4日(水)は休業問い合わせ:0868-22-8845(うき草や)

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箕作家の墓所

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箕作家の墓所

 箕作家の墓は、もと市内上之町の浄円寺内にあったが、阮甫が江戸に定住したあとここに移された。阮甫以降の省吾、麟祥など幕臣箕作家の墓所は、初め東京小石川の白山浄土寺にあったが、今は多磨霊園に移されている。秋坪・佳吉など津山箕作家の墓所や、奎吾・元八ら江戸箕作家の墓所ならびに大麓以降の菊池家の墓所は、ともに東京谷中墓地にある。

 箕作家旧宅が国の史跡に指定された昭和50年、宇田川・箕作顕彰会と津山市教育委員会により、解説板と標柱が設置された。しかし、歳月を経てそれらの傷みが激しいため、箕作阮甫の生誕二百周年にあたり、津山洋学資料館友の会が、広く市民の協力をえて整備したものである。(案内板より)
平成11年11月7日

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大隅神社の秋まつり

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2011年10月16日(日)大隅神社の秋の大祭がありました。秋晴れの中威勢よく町内を練り歩きました。大隅神社の御輿は天保13年に造られたもので、160年経っています。昨年修復されて生まれ変わりました。御神輿さまの四隅についているのは、小鳥(燕)、うさぎの絵は、因幡の白兎だそうです。

また、大隅神社には昭徳館「参集殿」があり、 昔はお参りする時に皆さんが集まる所で「おこもり殿」として使用されていたようです。※過去の取材記事はこちら 上記の写真提供:津山市秘書広報室

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