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取材記事内を検索ワード「彼岸花」で検索した結果,29件の記事が見つかりました。

森の芸術祭「満奇洞」をミューズの会で訪れる

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 2024年11月13日にミューズの会の皆さんと新見市にある満奇洞を訪れました。
蜷川実花 with EiMさんの作品で、洞窟内の真っ赤な彼岸花と赤の照明で幻想的な世界が広がっていて印象的です。
 2024年9月28日(土)~11月24日(日)まで岡山県北を舞台に開催される国際芸術祭「森の芸術祭 晴れの国・岡山」のアート作品展示会場でもあります!
 満奇洞(まきどう)は、岡山県新見市豊永赤馬にあり、県の天然記念物に指定されている全長約450mの鍾乳洞で、1929(昭和4)年に歌人与謝野鉄幹・晶子夫婦が「奇に満ちた洞」と詠んだことから、満奇洞(まきどう)と呼ばれるようになったそうです。

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9月のイナバ化粧品店とHappy Birthday!

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 2022年9月23日、稲葉浩志さんの58歳の誕生日おめでとうございます。
浩志さんのお誕生日は9月23日ですが、一日遅れの24日イナバ化粧品店に伺ってきました。
 今日は、お彼岸でもあり、空を見上げれば秋晴れでとても爽やかな日となった津山市です。イナバ化粧品店に着いてみると、店内はファンの方で賑やかです。また、ファンの方から「津山瓦版見てるよ!」と声を掛けられ、嬉しかったです。
 ママはというとお元気で新しいスマホ操作を勉強中なのでした。朝夕が随分と涼しくなり、皆さんも風邪など召されないように気を付けてお過ごしくださいね。

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松栄山 長正寺(美作市)

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松栄山 長正寺(ちょうしょうじ)
 本堂の峻険な屋根が目を引きます。
 元々当所には、鎌倉時代中期に建立せられた比丘尼寺があり、桃山時代初期まで近くの大庵寺、後釈寺と並んで繁栄していました。
 天正7年(1579)、三星城主の後藤勝基が戦火に追われ大庵寺で自刃し、家臣の浮川将監も後を追って殉死しました。その妻が勝基と将監を弔うため、出家し理月妙智尼となり、焼失した大庵寺、後釈寺を取り立て、松永山長正寺を興したといわれています。その子勝吉も出家し、僧慧心となり、住職となりました。
 本尊聖如意輪観音は行基作といわれ、脇立の阿弥陀仏、不動明王、毘沙門は同じく行基、あるいは慧心作といわれています。  
 例年8月18日夕に、施餓鬼供養祭とともに、大数珠回し、盆踊りが行われ、地域の老若男女により賑わいます。
 近年檀信徒の切なる願いをもって、長寿ぽっくり観音を祀り、10月の末の日曜日に、大祈願祭を行っています。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月20日撮影)

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寶壽山浄光院 觀音寺(美咲町)

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 当山は、高貴山相傅寺第九世圓教僧都が、寛仁4年(1020)に、隠居寺として岡之坊遍照院を建立したのが始まりです。
 文安元年(1444)、兵火のため相傅寺焼失の際に、本尊であった六観音のうち、焼失を免れた十一面観世音菩薩を遷(うつ)して、法雲山観音寺と寺号を改めました。初代は宥快僧正です。
 庚正2年(1456)8月19日、第三世密厳上人が遷化した夜に失火により焼失しました。当時は、戦国時代でなかなか再建できずに廃寺となろうとしていたのを、明応9年(1500)に地頭職であった浦上左馬之助行重が、京都より俊玄増正を招き再建立しました。
 その後も、再三にわたって兵火や失火により焼失しましたが、嘉永6年(1853)に、中興第一世戒光法師が再建し、山号を寶壽山と改めました。
 再建立の年が、庚申の年に縁あるをもって、庚申(青面金剛)を勧請して鎮守としています。
 平成16年、現在の本堂と檀徒会館を建立し、平成19年に五大明王堂の新建立、鎮守堂の移転や境内整備を行い、今日に至っています。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月20日撮影)

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吉見・堀坂・綾部の景色と彼岸花

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 2020年10月1日に津山市吉見・堀坂・綾部の景色と彼岸花を見に行ってきました。
私の大好きな景色の一つです。なだらかな坂と、稲刈りの済んだ田んぼの中に咲く鮮やかな赤い彼岸花はとても美しく、何度でも出会いたい景色です。(2016年の彼岸花

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川面に映る彼岸花(下野田)

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 2020年10月2日津山市下野田を流れる広戸川沿いの畔に奇麗に咲いている彼岸花を見つけた。
水面に美しく映る彼岸花はとても風情があり、思わず写真を撮ってきました。ここの川沿いは桜の花も奇麗に咲く所です。また、この彼岸花の咲く場所上流の上野田には「ほたる公園」があります。

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津山城(鶴山公園)の彼岸花

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2020年10月1日に津山城(鶴山公園)」の彼岸花を撮ってきました。
 今年はいつになく彼岸花の咲くのが少し遅く、9月の終わりから10月に入りやっと満開になりました。まだまだ蕾もあったので見頃が続きそうです。本丸で綺麗に咲いていた彼岸花は、今年は石垣の修復工事のため、石が沢山置いてあり彼岸花は見ることはできませんでした。この時期は公園内ではあまり色がない中、彼岸花の真っ赤な色がひときわ石垣に映えていました。

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蕎麦尾山 光明院 金剛頂寺(鏡野町)

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 当山は、大宝三年(703)の開山と伝えられています。開基は不詳ですが、一説に鑑真和尚の説があります。
 弘法大師が美作路を巡錫の道すがら、蕎麦尾山に立ち寄られ、しばらく足を留め修業をされましたが、その折、近くの岩の塊を祈念し、手に持てる五鈷で岩角を打つと、忽ち澄み切った水がほとばしり出ました。大師は傍らに八大龍王及び弥勒菩薩を祀り、この霊水を本尊に供えられました。以来この霊水は、弘法大師の閼伽池として後世に伝えられ、今も霊水の枯れることなく現存しています。
 平安、鎌倉時代には特に栄え山上には伽藍がそびえ、参道の途中には小堂が建立され、高野山になぞられてこの堂を女人堂といい、当時女性はこの堂までしかお参りできませんでした。
 慶長十一年(1606)、当時の住職快秀が、ある夜の夢に、「この寺には以前銘鐘があったが、地中に埋められている。早く掘出しなさい。鐘のある場所は浴室の側の芭蕉の根元だ。」と告げて消え去りました。夢から覚めた住職は早速芭蕉の根元を掘ると、五尺余りの見事な梵鐘が出てきました。その銘には「美作国蕎麦尾山光明院 法界衆生平等利益之為也 嘉元四年(1306)丙午年正月二十八日」と刻まれていました。嘉元四年は鎌倉末期であります。
 戦前地元に良い音色を響かせ親しまれていた銘鐘も、戦時中に供出させられ、今はありません。

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つやま城東まち歩き〜アート&クラフト展+手仕事体験〜2019

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 9月28日(土)、29日(日)に、津山城東重要伝統的建造物群保存地区とその周辺にて「つやま城東まち歩き〜アート&クラフト展+手仕事体験〜」が開催され賑わっていました。
 江戸時代以降に建てられた町家が保存されている城東地区は、重要伝統的建造物群保存地区になっています。その趣のある街並みでいろいろなアートが溶け込んで風情のある通りとなっていました。

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津山城(鶴山公園)の彼岸花

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 2019年9月29日に津山城(鶴山公園)の彼岸花を見に行って来ました。
今年は、お彼岸を少し通り過ぎた頃に満開となりました。今月はテレビで放映された影響もあって来られた人は「案外ええなぁ~。大きな城だったんだろうね~。」などと口々におっしゃっていました。また、年配者はつえをつきながら階段をやっとの思いで三の丸まで登って来られていましたが、それ以上登るのは断念。木陰でおしゃべりしながら、ゆっくりとお休みして帰られました。

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