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取材記事内を検索ワード「神南備山」で検索した結果,23件の記事が見つかりました。

森の芸術祭「津山まなびの鉄道館」

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 昭和11年に建設された旧津山扇形機関車庫(現存する国内2番目の規模)では、車両、転車台、蒸気機関車の動輪などが展示されています。そして森の芸術祭の展示会場でもある津山まなびの鉄道館では、キムスージャ氏の作品 "息づかい" があり、高さ8メートルの旧津山扇形機関車庫にある2188枚のすべての窓にプリズムシートを施し、太陽光が当たると車庫の中に虹色の光が現れます。
 訪れた2024年11月20日は大勢のお客様でしたが、夕方の神南備山に日が沈む頃がとても綺麗と聞き、再度午後3時半頃伺いました。すると既に来られていた皆さんも情報を知られていた様で、日没のほんの一瞬ですが、虹色に彩られたD512や車庫内を盛んに撮られていました。

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2024年4月4日の神南備山展望台のさくら

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 神南備山展望台は「岡山県百名山」でもあり、津山市内が一望できる夜景スポットでもあります。
そして、さくらの名所(2014年4月10日のさくら)でもあります。2024年4月4日は曇り空で風が強くてせっかく咲いたさくらの花が可愛そうです。今年来てみると、展望台の横の広場がきれいに整備されていてイベントが開催されているそうです。10数人の方が来られていましたが、青空ならきっと素晴らしい景色が見えた事でしょう。神南備山展望台(2012.5.6取材

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神南備山にある「磐座」

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 神南備山にある割れ岩なので古代出雲王国の祭祀の場所だと思われます。神南備山は円錐形になっており、蛇がトグロを巻く姿を古代の出雲族の人たちは思い信仰していました。今でも出雲大社にいくと龍蛇神が祀られています。コロナ禍の終息を願い天津祝詞と『ひふみ祝詞』お経を唱えてきました。
 割れ岩に至る山道には途中に作陽高校が開墾したと言われている場所もあり、歴史の断層を辿りながらの探訪でもありました。一緒に行った方の姿が見えなくなり先に下山したのだろうと話をしていましたが、山道で道を間違えると大変なことになるので電話をしてみると全く違う道を降りていたようで、1つ間違えると事故にも繋がるところでした。親父が山に入る時には山の神に挨拶して入らないと怖いと、よく聞かされていたことを思い出した山登りでした。
 神南備山から岩が転げ落ちて高野神社のオノコロ岩(現在はありません)になったと伝えられていますが、これは古代出雲王国時代(神南備山信仰)からヤマト政権に移行した出来事を神話として伝えたのではないかと思っています。(レポート・写真:和仁隆明氏)(2022年2月8日撮影)

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作州忍者鶴山隊 令和3年度総会がありました。

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 作州忍者鶴山隊員ご支援くださっている皆様
 作州忍者鶴山隊令和3年度総会を(創設3年目)中央公民館(大谷)にて6月30日隊員37名とオブザーバー、来賓、マスコミ担当者等42有余名の出席を得て開催させて頂きました。
(現在登録隊員100名余りです。年/隊費納入者のみのカウントです。)
 開会は小西隊員の司会で始まり、来賓あいさつとして津山市観光協会 松岡裕司会長から励のお言葉を頂き、その後、議事に移り畑議長選出し各部門(会計報告・予算・事業報告と計画規約改正)と順調に審議可決され新たな役員体制が発表されました。そして、本年度の事業計画実現の隊員の皆さんには今迄以上のご協力ご尽力を賜りますことをお願いしました。
 ※今期の最重要計画は忍者のふるさと甲賀を訪問し我が町、我が城を築いてくれた甲賀忍者伴一族のルーツを辿るため甲賀研修が最も重要な計画です。
 セレモニーとして総会では本日3名の新入隊員には入隊証が手渡しされ、最後に、藤木副長からの九字護身法は起立し力の込めた誓いが唱えられました。
 そして、当日のお祝い印の「紅白饅頭」が記念品としてお渡しされ総会終了とさせて頂きました。 感謝                 令和3年7月吉日 作州忍者鶴山隊 隊長 克丸

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神楽尾公園(総社)

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 2020年6月7日の日曜日、津山市総社にある神楽尾公園に行ってきました。
この日はお天気も良く青空が広がっていました。新型コロナウイルス感染症の影響で遊びもままならなかった子ども達を連れた家族がやってきていました。この公園は一周350mのゴーカートコースがあり、子どもや大人にも人気のスポットです。また、長い滑り台やブランコ、野外施設(BBQ広場)もあります。

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井口公園(井口)

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 井口公園(津山市井口25-2)は、 津山市立養護老人ホーム ときわ園がすぐ隣にあり、神南備山の麓に位置する静かな環境の公園です。また、アジサイで有名な長法寺や、公益社団法人津山市シルバー人材センターも近くにある広々とした公園です。グラウンドが広くてサッカーや野球をして楽しむことが出来そうです。(2020年4月9日撮影)

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作州忍者鶴山隊結成一周年記念事業

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 2020年2月22日の午前中は生憎の雨模様となりましたが、午後からは雨も止んで甲賀、伊賀、近江、美濃等の国から友軍の参加を得て「作州忍者鶴山隊結成一周年記念事業」が執り行われました。午前の部には、あべ俊子衆議院議員がくノ一忍者姿で現れるサプライズもあり一段と盛り上がりました。

 「津山城に忍者、・・・・・・・と思いし行動開始したのが平成最後の年、31年2月22日(ニン・ニンじゃ)津山城にて5名の有志によりスタートし、忍者は " 学び " から原点に おくにじまん研究会長 藤木靖史さんによる津山城の魅力発見学習をはじめ、6月15日郷土史家 山田美那子先生の学習会を皮切りに元郷博物館館長 尾島治さま講師による学習会を毎月行って来ました。また、令和2年1月25日には忍者研究の一人者 三重大学の山田雄司教授の来津して頂き懇親、 激励等頂学習を重ねてまいりました。これからも活動を続け全国に鶴山隊や津山の魅力を発信したい。」と河部隊長です。

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神南備山展望台から津山市内を望む 2020冬

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 2020年1月26日(土)天気は曇りでしたが、冬とは思えないほど暖かい日となり、 久しぶりに神南備山展望台迄行ってみることにしました。この神南備山展望台からは津山まなびの鉄道館(扇形機関車庫)や、津山城(鶴山公園)など津山盆地を一望できる場所で見ごたえがあります。(2012年5月6日神南備山展望台の様子です。

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化石の世界(つやま自然のふしぎ館)

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 わが津山盆地は、はるかゆう久の昔し地質年代層を示す自然の博物館です。津山城址か、神南備山から、この盆地とそれをめぐる山々を望見すれば、日本列島の生い立ちの一大パノラマを思い浮かべることができましょう。古生代の終わりころには激しい地変があって津山市内から西方に亘っての基盤である結晶片岩類ができました。結晶片岩の山は山形仙、烏が仙、黒沢山のようにけわしい貎をしています。
変成しなかった古生層は津山から東や南方の基盤をつくりますが岩石が柔らかいので、南海台のようなゆるい山地をつくります。中生代の三畳紀にはこの一帯は海になりました。城山、観測所あたりや河面の近くで魚の介が見出されます。
ジュラ紀では地区地だったので地層はありませんが、白亜紀の後半は激しい火山活動がありました。那岐山系や佐良山から高比野山にかけた一帯にはその頃の熔岩や火山の噴出物が非常に厚く堆積しています。大きくみて2回に亘りましたが、後かのもののみでも厚さが1,000mを下りません。激しい振動を伴って沢山の火口から猛烈な噴火があって巨大な岩石が飛びかよい、多くの降灰によって天日は暗かったことでしょう。そして火山が衰えた白亜紀の末から新生代の第三紀のはじめにかけては、次第に地下に陥没して了いました。その時に深いところで花崗岩類が侵入しました。天狗寺山や錦織などの深成岩がこれです。

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美作の大庄屋巡り「植月家 植月六郎右衛門」

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 植月家 植月六郎右衛門 久米南条郡一方村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 植月氏は、美作菅家七党の一つである。家譜によれば、その子孫が宇喜多氏に仕えて一方村を与えられ、神南備山北麓に居を構えた。これが一方村植月氏の祖である。新右衛門が森藩の大庄屋を勤め、その後明治まで続いた。
大庄屋として
 植月新右衛門は承応2年(1653)の一方村の「山上り」や、延宝7年(1679)の皿川改修工事による広い新田作りに功績があった。皿川改修には下弓削村大庄屋河原善右衛門とともに尽力した。六郎右衛門は元禄一揆の記録を残し、山中一揆が起ると、120名の人夫を連れ、弓や鉄砲などを携帯して、鎮圧に出動する準備をした。澄江は、慶応2年(1866)長州戦争に郷夫隊総取締として従軍した。

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