2014年7月のイナバ化粧品店
今月のイナバ化粧品店内の様子です。いつも店内は賑やなのですが、今日は常連さんなのか、気の合った仲間的が集っているという感じでした。料理の話になってママからこっそり教えてもらったのですが、「お父さんがお料理してくれるんよ~、それが、美味しいのよ!」だって。なんとも羨ましい限り。
今月のイナバ化粧品店内の様子です。いつも店内は賑やなのですが、今日は常連さんなのか、気の合った仲間的が集っているという感じでした。料理の話になってママからこっそり教えてもらったのですが、「お父さんがお料理してくれるんよ~、それが、美味しいのよ!」だって。なんとも羨ましい限り。
2014年7月27日(日)は天神様の夏祭り!ーお涼みで「サマージャンボ」を当てようー
この日午前中は、湯立て神事・無病息災と豊作を祈願する神事がありました。今年の豊不作の掛けは?
午後5時からは、第6回奉納「梅の種飛ばし大会」がありました。金賞:お米20kg、銀賞:お米15kg、銅賞:お米10kg、入賞:お米2kgが授与されました。また、「津山鶴丸太鼓」・奉納演奏があり、境内に響く魂をゆさぶるような、素敵な演奏でした。その後、線香花火相撲があり、商品に花火をもらって嬉しそうにしていました。また、真夏の夜の夢ゲーム・・・なんと!あなたに1等があたれば、サマージャンボ30枚、2等2人の20枚、3等8人に10枚があたり賑やかなうちに天神様の夏祭りが終わりました。
箕作阮甫と東海道
1853(嘉永6)年、ロシアから開国交渉の使節としてプチャーチンが来航し、箕作阮甫はその対応御用を命じられました。長崎でロシア使節との外交交渉を終えた阮甫は、山陽道、東海道を経て江戸へ戻ります。その途中、小倉でペリーの再来を知らされ、また、広島の沼田では急ぎ戻ってくるよう指示を受け津山への墓参も中止して、先を急ぎました。
阮甫が足早に通り過ぎた東海道は江戸時代の主要街道で、多くの浮世絵師がその宿場を描いています。阮甫の日記「西征紀行」の記述とともに各宿場の様子をご覧ください。
今年もウッドパーク声ヶ乢の紫陽花が綺麗に咲き誇っていました。(取材2014.7.1)
毎年、来ておりますが、今年の紫陽花は雨の後でもあり特別きれいに見えました。ここは、広戸仙への登山口にあたる標高530mにあり、津山の町並みを一望できる素晴らしい所です。
春にはソメイヨシノやヤエザクラ、ヤマザクラなど1200本の桜目当てに多くの人が訪れ、さくらまつりを楽しみます。また、秋には紅葉が美しい所でもあります。 ウッドパーク声ヶ乢の様子はこちらから
2014年7月1日(火)あじさい寺【長法寺】に行って来ました。
阿弥陀如来を本尊とし、脇侍に天台大師、伝教大師をおまつりしている。現在のお堂は弘化2年(1845年)西方にあったものを移し、阿弥陀堂兼客殿として再建す。
明治6年(1873年)津山城取り壊しの際贈られた。本丸御殿の鬼瓦、鯱(しゃち)、紫陽花(あじさい)の絵を描いた襖障子があります。2009年の紫陽花の様子はこちらから、名木百選 長法寺のイチョウ
平成26年7月9日(水)15:00~16:00「高倉ふれあいの森」オープニングセレモニーが高倉公民館にてありました。(主催は、高倉自治協議会・NPO法人たかくら村です。)プレパークで行う予定があいにくの雨で急遽高倉公民館にて行われました。高倉小学校の子どもたちも加わりテープカットの後、願い事を書いた風船を大空高く放ちました。
2014年7月11日(金)~13日(日)AM10:00~PM6:00(最終日PM5:00)
会場:津山市立文化展示ホール(アルネ4階)でありました。会場内には9名のインストラクターさんと生徒さんたちの楽しい作品が所狭しと並んで、観る人までも楽しくさせてくれました。
河辺の氏神様で、御神体:天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 御本尊:月夜見尊
(つくよみのみこと)がまつられており、境内には昔河辺村内に点在していた神様を移転し、まつってあります。本殿は、昔加茂川の近くにあった社を、山上がり(桝形に由来する)の際に、現在の場所に移転されました。
5月~7月頃にかけて、鮮やかな黄色の花をつけるオオキンケイギク。
九州各地の道端や河原などでよく見かけます。しかし、きれいな花だからといってご自宅のお庭や花壇に植えては絶対にいけません。
オオキンケイギクは、日本の生態系に重大な影響をおよぼすおそれがある植物として、外来生物法による「特定外来生物」に指定され、栽培、運搬、販売、野外に放つことなどが禁止されています。
※罰則 これらの項目に違反した場合、最高で個人の場合懲役3年以下もしくは300万円以下の罰金、法人の場合1億円以下の罰金が科せられます。(文:北九州市HPより)
⑥八神三宝荒神社
この神社は、昔国分寺奥の院に至る道沿い(地蔵谷)にまつられていた八体の神様が、まとめられおまつりされています。
昭和初期の姫新線開通頃までは、今の場所より数百メートル西の八神地区(立花団地付近)にまつられていたそうです。
地蔵谷・国分寺奥の院跡は、現在山道は通行不可能と思われます。
国分寺奥の院は愛宕神社の山の南側(河辺と反対側)に位置し、木立の中に石積みがわずかに残っています。