作州民芸館で和傘デザイン展がありました。
作州民芸館にて 和傘デザイン展があり、和傘デザインコンテストの受賞作品や、ミニ和傘が展示してありました。津山市小田中出身の和傘職人小林旅人さんが、実施したデザインコンテストの作品を展示しておられるそうです。沢山の和傘の作品を懐かしく拝見しました。(2015年6月21日取材)
作州民芸館にて 和傘デザイン展があり、和傘デザインコンテストの受賞作品や、ミニ和傘が展示してありました。津山市小田中出身の和傘職人小林旅人さんが、実施したデザインコンテストの作品を展示しておられるそうです。沢山の和傘の作品を懐かしく拝見しました。(2015年6月21日取材)
森藩の銃卒を置いたことから、鉄砲町とされる。古くは西鉄砲町といっていたが、林田町から中之町の土手筋の東鉄砲町が廃されてから西の字は消えた。
鉄砲町の旧土手の遺構のとこ・西端の通り〉に七五三稲荷と繁守稲荷が鎮座している。このうち七五三稲荷大明神(おしめさま)は古い。元はもっと上の旧土手のところにあったが、査転の末、明治に現在の地に移された。繁守稲荷はその時、伏見稲荷を勧請して新しく建立。
「おしめさま」の御神体は盗難にあい、もとの成り立ちは不詳。(2015年5月9日取材)
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楞厳山 慈恩寺:観音堂内、本体約4.6メートルの巨大な十一面観世音菩薩像は、樹齢約2000年の「木曽檜」の一木彫りで造られている仏像です。四方を囲う四天 王像も約3メートルもあり、樹齢1800年の「姫小松」の一木彫り。制作年月日は大正初期から約6年間かけて作成されたもの。(2015年6月13日・6月22日取材)※前回の取材はこちらをご覧ください。
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安岡町から吉井川の川原におりると、川の流れの中に昭和40年代中頃まで四角く切り出した石の台があった。我々が子どもの頃にはフナやコイ、ギギなどの魚種が豊富な良い釣り場であったが、ここはもともと江戸期から続く『トウフ』と呼ばれる船着き場であった。ここを見下ろす川土手には今でも金比羅大権現と書かれた石灯籠がたっている。これは江戸期に城下町の一部として安岡町が編入された事で、船頭町から移転した西端の船着き場として高瀬舟や木材の切り出しの筏の往来に使われてきた常夜灯で有るように思われる。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)
具象から抽象絵画への移行中、渡西して30数年が過ぎてしまいました。その間ひたすら絵画を通して精神の自由を獲得することに専念した日々のように思われます。6月より、保田扶佐子美術館の常設展が新しくなりましたので、ご来店をお待ちしております。
※お知らせ:平成27年7月8日(水)~14日(火)岡山高島屋7階美術画廊にて「保田扶佐子絵画展」」を開催いたします。(2015年6月21日取材)
保田扶佐子美術館(津山市押入97-11 Tel&Fax:0868-26-5711)
開館日 土曜日、日曜日 10:00~17:00 拝観料:無料
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「現代の浮世絵師」と言われる立原位貫氏。 ▲「風来壮日」平賀源内をモデルにした作品です。
彼は、下絵、彫り、摺りを一人でこなすだけでなく、江戸時代の浮世絵の技法や絵の具、紙にこだわり、当時の浮世絵の姿や色を復刻作品として再現してきました。同時にオリジナル作品も多数制作しています。
当館では、コレクションの中から毎年テーマを決めて立原氏の作品展を実施し、浮世絵の技法による版画の魅力を紹介しています。
今年度の展示では立原氏の最新オリジナル作品を展示します。
さまざまな題材を江戸時代の浮世絵の伝統技法で制作する立原氏。彼が作り出す現代の浮世絵とはどのような作品となるのか?
立原位貫の生み出す美の世界を楽しんでいただける作品展です。
第六回 作州維新文庫所蔵展 新収蔵「郷土文人画人遺墨展」が2015年6月6日(土)・7日(日)
の両日(10時~15時まで)主催 作州維新文庫(旅館 お多福)であります。入場無料なのでふるってお出かけください。作州維新文庫についてはこちらをご覧くださいね!
お問合せ:旅館「お多福」 岡山県津山市山下28-2 TEL 0868-23-0125
徳守神社 摂社「住吉神社社殿」〔平成17年津山市文化財に指定〕
社伝によれば、慶長九年、森長継公が津山城下の総鎮守として建立した徳守神社の元本殿とされています。その根拠として、この社殿の建築構造から建立年代を推定すると17世紀初期まで遡ることが出来ます。
現在同じ建築様式で現存している建物としては、八出天満宮本殿「寛永十四年(1637)」千代稲荷神社本殿「天和三年(1683)」〔いずれも津山市指定文化財〕があるが、これらと比較しても数十年は先行した建物と推定されています。
昭和20年代、河野磐さんが津山市民に映画を告知するため描いた映画ポスターもお借りして飾っています。
由緒沿革 創立年代は詳かでない初の折居神社又は折居八幡宮と稱へて居た。
寛平四子年再建したが慶安4年11月火災のため神器奮記全く焼失して傳ふるものがない後寛文元年假宮を建て元禄二巳年9月10日と正徳3年8月と天文2年5月との三回に建立又は修繕して今日に至った。
明治12年9月22日村社に列し大正4年10月村内無挌社八坂神社及稲荷神社を合祀した。
社殿 本殿梁行4尺 桁行4尺5寸(元文2年建設)、拝殿梁行2間半 桁行3間 幣殿、神庫(以上明治11年建設) (文:『久米郡誌』より) 2014年3月29日取材