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取材記事内を検索ワード「雪」で検索した結果,172件の記事が見つかりました。

津山城(鶴山公園)の冬景色2017

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津山城(鶴山公園)の冬景色(2017年1月15日撮影)
「日本100名城」に認定されている津山城(鶴山公園)の素晴らしいと思うところが、何といっても石垣ですね。他県の友人が訪ねてきて「素晴らしい石垣ねぇ~」と誰もが言うのです。あるのが当たり前に思っていた津山市民の私はそんな言葉を聞くたびに津山城(鶴山公園)の石垣のすごさを実感するのです。(過去の取材「石垣編」です。)

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衆楽園の冬景色2017

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衆楽園の雪景色(2017年1月15日撮影)
雪が積もって朝の散歩はできませんでしたが、昼から衆楽園に出かけて雪景色を眺めながら散歩してきました。お天気は曇り時々青空でしたが、雪景色を撮ろうと若者数人がカメラ片手にそれぞれの衆楽園をカメラに収めていました。この衆楽園は、明暦年間(1655~1658年)に津山藩2代藩主森長継が、京都から小堀遠州流の作庭師を招いて造営した近世池泉廻遊式の大名庭園です。

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美作加茂駅で見かけた除雪列車 MC-4640

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美作加茂駅に可愛い除雪列車 MC-4640が泊まっていました。除雪車というと大きな車体をイメージしていたのですが、この除雪車はコンパクトで何だかほほえましくて写真に収めて帰ってきました。津山市内は殆ど雪が解けているのに対して美作加茂駅周辺はまだまだ雪が沢山残っている中でひときわ目立つ色が印象的でした。この線路の除雪作業を行うラッセル車は発明者のラッセルさんの名前だったんだと後から知りました。(2017年1月19日撮影)

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ひろしまドリミネーション2016

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「ひろしまドリミネーション2016」(2016年11月17日~2017年1月3日 17:30~22:30)は、平和大通りの緑地帯を中心に美しくライトアップする冬の一大イベントだとホテルでお聞きして、早速出かけてみました。今年は「おとぎの国」がコンセプトだそうで約140万球の光が灯ったそうです。通りには海外の方やお友達・家族といったバラエティーに富んだ人々が楽しんでおられました。今年は宮島で初日の出を見ようと31日に津山を出て広島泊、元旦を津山以外で過すのは初めてでした。せっかくなので紹介してみました。(2016年12月31日撮影)

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初日の出スポットとゆく年くる年の過去の取材まとめ

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2016年の那岐山麓「山の駅」から見たご来光です。

皆様はどんなゆく年くる年をお迎えでしょうか?「津山瓦版」も今年は12年目を迎えます。ここまで続けて来られたのも皆様のご支援のおかげと厚く御礼を申し上げます。今年もスタッフ一同、津山の情報や近隣の情報をお送りしていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。「Facebook]」も見てね!

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そば粉聖人 遍照院是空法師(美作市)

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そば粉上人(遍照院是空法師-高木蜂次郎)
 英田郡美作町殿所に嘉永4年(1851)に生まれた遍照院是空法師(大正7年入寂)は、そば粉上人と称えられている。上人は、19歳のある夜霊夢を感じ信仰の道に入ったといわれ、発心以来五穀を絶ちそば粉に漬物のみ食べ、また一切の火気を断って風呂に入らず水ごりをとるといった、常人を離れた荒修行を続けた。
 難病患者に対しては、わが身が代わってその苦痛を受けると祈祷し、自分の指を切断していた。入寂時満足な指は親指一本だけであったという。勝央町にも当時植月、小矢田にたびたび訪れており、上人の功徳により立ち直ったという患者が多い。
 上人の高徳を慕い、その後権田甚四郎らの人びとによって城山(小矢田)の登り坂に、奉唱大師講、大日如来その他の板碑が建立されている。その隣に上人を供養する堂宇が建てられた。(当時の堂宇は破損し新しく小さな祠がつくられている)また供養とは別に上人の面影を山田照雲(一刀彫)が彫刻している。「昭和3年5月戸倉山勧請、辺照院是空師 哲刀彫」と記されている。(戸倉山勧請は誤記とおもわれる。この山は城山である)
(文:勝央町史より)(写真:2016年12月10日撮影)

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備中松山城(高梁市)

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備中松山城跡(高梁市内山下)国指定史跡
 備中松山城跡は、高梁市にある山城です。江戸時代に建てられた天守閣が現在も残る城は全国に12ありますが、そのうち最も標高の高い場所にある城がこの備中松山城で、天守閣は臥牛山の峰の一つ、小松山の山頂標高約430mに建てられています。
 備中松山城跡がある臥牛山には、南北に延びる尾根上に中世から近世にかけて城が築かれていて、それら全体が国の史跡に指定されています。史跡指定地は、臥牛山に8ヶ所点在しています。また、天守閣、二重櫓、三の平櫓東土塀は国の重要文化財(建造物)に指定されています。

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因美線 美作河井駅

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美作河井駅(みまさかかわいえき)は、岡山県津山市加茂町山下にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)因美線の駅である。
1931年(昭和6年)9月12日 - 因美南線 美作加茂駅 - 当駅間延伸により開業。当初は終着駅であった。1932年(昭和7年)7月1日 - 当駅 - 智頭駅間が開通し、途中駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR西日本に継承される。
1997年(平成9年)11月29日 - 無人化、棒線化。
岡山県の最北端に位置する駅である。快速は1日1往復のみ停車する。1999年10月にCTC化されるまでは、当駅が岡山支社と米子支社の指令上の境界駅と位置づけられている。駅の南西には、かつて除雪車の向きを変えるために使用されていた手動の転車台が存在する。使用されなくなって以降は土中に埋まっていたが、2007年4月に掘り起こされた。この転車台は2009年2月に近代化産業遺産の認定を受けた。(文:ウィキペディアより抜粋)(2016年5月13日・15日撮影)

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忠臣蔵四十七義士・神崎与五郎則安について

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脱藩藩士を厳しく批判した「赤城盟伝」を著した赤穂藩随一の酒豪
神崎与五郎則休(1666~1703)
志深浅働次47士中37番目
・酒好きで、ついたあだ名が「燗酒よかろう」(講談)
・短歌を詠み、俳句を作り、江農舎竹平と号す。
・「赤城盟伝」を前原伊助と共に記した。
・吉良邸近くに、前原と共に米屋を開き、探索にあたる。
生年・生国 寛文6年(1666)・美作国
役   職 徒目付、郡目付
行   年 38歳(元禄16年2月4日、切腹)
もと津山森家の家来だった。文武両道に秀でていただけでなく、俳句が得意でいくつか残されている。扇子や小物を売り歩いて吉良邸を探索した。前原宗房とともに「赤城盟伝」を著した。

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津山扇形機関車庫(機関庫)とDE50-1に萌える

歴史のたび津山遺産、萌えよ因美線。

津山扇形機関車庫(機関庫)とDE50-1に萌える

津山扇形機関車庫トップ 津山鉄道ミニガイド 津山鉄道史 津山鉄道遺産1 津山鉄道遺産2  鉄道資産について  津山扇形機関車庫(機関庫)とDE50-1 (2007年取材)

はじめに断っておきますが、私(瓦版スタッフT)はこれまで全く鉄道に興味はありませんでした。ですので、決して、マニアによるマニアのための記事 ではありません。鉄道に興味のなかったTにここまでの記事を書かせるだけの魅力がここにはあります。皆さんも歴史・鉄道浪漫に浸ってみてください。

なお、機関車庫は時々行われる見学会の時以外は立ち入ることはできません。駅の方の迷惑になるので、決して勝手に入らないようにしてください。平成 20年5月3〜6日、9〜11日、24〜25日の「懐かしの鉄道展示室」でも見学できますので、興味のあるかたはぜひ申し込んでみてください。(詳しくはJR西日本のページへ

最新の情報は JR西日本岡山支社営業課(086-225-1179)までご確認下さい。

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