取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「山」で検索した結果,3453件の記事が見つかりました。

男女山 金光院 吉祥寺(鏡野町)

kichi14.jpg

 当山はかつて七百有余年の昔、男山(おんやま)の東麓に山を負い、香々美川を眼下に堂・伽藍の荘厳さは、想像に絶するものであったといいます。
 しかしながら、慶長年間に暴風雨のため、男女山の半腹より崩壊し、境内・外の土地、建物及び什器を流失するところとなりました。そのために字旧寺に移しましたが、その後再び洪水のために流失し、今の地に移しました。
 明和三年(1766)、観深上人が堂宇を建立し、大変壮観であったといいます。残念なことに明治十三年火災により焼失し、堂宇を再建しました。
 平成十六年より堂宇・境内の整備事業を行い、伽藍の荘厳大いに整い、現在に及んでおります。
(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年9月16日)

男女山 金光院 吉祥寺(鏡野町)の続きを読む

美作の大庄屋巡り「井上家」

inoue1.jpg

井上家 井上勘三郎 勝北郡福井村 土浦藩
 家伝によれば、源頼朝に仕えた井上十郎左衛門義吉の後裔井上蔵人正清が播磨国乃井野から移住して岩黒城を築いた。一族は後藤勝基に仕え、天正7年(1579)三星城合戦で戦死した者もいた。正清の子孫が、福井村帰農したという。延享4年(1747)、土浦藩は吉野郡、勝北郡の1万9千石余を領し、天明2年(1782)大庄屋として近長村甲田猪吉、福井村井上勘三郎を任命した。
 大庄屋としての記録はなく不明である。福井村正伝寺、八幡神社の延享元年の棟札に、庄屋井上五郎兵衛の名がある。
 福井村は、広戸川が形成した低地と、低丘陵の村である。森藩改易後、幕府領となり、延享4年(1747)常陸土浦領となった。

美作の大庄屋巡り「井上家」の続きを読む

「お城のマルシェ」オープン1周年記念イベント!

marumaru.jpg

 昨年の10月7日山下の津山観光センター内に農産物直売コーナー「お城のマルシェ」が開設されました。地元の皆さんにも親しまれる観光センターに成れるようにと開設されたこの「お城のマルシェ」ですが、2019年10月13日・14日と一周年記念のイベントが開催されています。
新鮮なお野菜100円均一(農産物100円均一祭り)をはじめ、グルメテント!ガラポン抽選会、津山のお酒などなどが出店されていました。また、1000円以上お買い上げの方に先着50名に13日は津山産コシヒカリの新米、14日はたまごプレゼント!があります。

「お城のマルシェ」オープン1周年記念イベント!の続きを読む

蕎麦尾山 光明院 金剛頂寺(鏡野町)

65-4.jpg

 当山は、大宝三年(703)の開山と伝えられています。開基は不詳ですが、一説に鑑真和尚の説があります。
 弘法大師が美作路を巡錫の道すがら、蕎麦尾山に立ち寄られ、しばらく足を留め修業をされましたが、その折、近くの岩の塊を祈念し、手に持てる五鈷で岩角を打つと、忽ち澄み切った水がほとばしり出ました。大師は傍らに八大龍王及び弥勒菩薩を祀り、この霊水を本尊に供えられました。以来この霊水は、弘法大師の閼伽池として後世に伝えられ、今も霊水の枯れることなく現存しています。
 平安、鎌倉時代には特に栄え山上には伽藍がそびえ、参道の途中には小堂が建立され、高野山になぞられてこの堂を女人堂といい、当時女性はこの堂までしかお参りできませんでした。
 慶長十一年(1606)、当時の住職快秀が、ある夜の夢に、「この寺には以前銘鐘があったが、地中に埋められている。早く掘出しなさい。鐘のある場所は浴室の側の芭蕉の根元だ。」と告げて消え去りました。夢から覚めた住職は早速芭蕉の根元を掘ると、五尺余りの見事な梵鐘が出てきました。その銘には「美作国蕎麦尾山光明院 法界衆生平等利益之為也 嘉元四年(1306)丙午年正月二十八日」と刻まれていました。嘉元四年は鎌倉末期であります。
 戦前地元に良い音色を響かせ親しまれていた銘鐘も、戦時中に供出させられ、今はありません。

蕎麦尾山 光明院 金剛頂寺(鏡野町)の続きを読む

「津山まちなか博物館」が、バール横丁に移転しました。

machinakahakubutsukan1.jpg

「津山まちなか博物館」が2019年9月14日に、本町三丁目「バール横丁」に移転オープンしました。
津山まちづくり倶楽部のメンバー所有のアンティークな物や珍しい骨董など、選りすぐった逸品が装いも新たに展示されています。(2019年9月28日撮影)

「津山まちなか博物館」が、バール横丁に移転しました。の続きを読む

法崋山 大円院 弘秀寺(鏡野町)

kousyuji11.jpg

 当山は神亀元年(724)行基菩薩の開基と伝えられ、正平七年(1352)近衛関白経忠公を葬り、菩提寺となりました。今でも子孫のお参りがあります。
 昭和16年までは法華山大円寺であり、現在の奥の院は天楽山弘秀寺といいました。昭和17年に、二ヵ寺を一ヵ寺にして、法崋山弘秀寺と改めました。
 その昔は、大円寺と弘秀寺の間に十二坊のお寺がありましたが、消失してしまいました。寺名は残っております。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年9月29日)

法崋山 大円院 弘秀寺(鏡野町)の続きを読む

「つやま自然のふしぎ館」の可愛い動物たち

kawaii-shizen13.jpg

・オコジョ(Ermine)食肉目 イタチ科
イギリスを含むヨーロッパ中北部、アジア中北部、北米に分布する。自分の体よりも大きいノウサギやライチョウを捕食することがある。

 博物館の建物は、昔の高等学校を改築したもので 展示総数は約22,000点あるそうです。ここに載っているのは、ほんの少しですが、館内にはめずらしい動物達がいっぱいです。インドライオンやローランドゴリラといった動物のはく製は世界でも珍しく、希少動物の取引を禁じる「ワシントン条約」発効前に館が設立されたために実現した貴重なものです。

「つやま自然のふしぎ館」の可愛い動物たちの続きを読む

津山・城西まるごと博物館フェア2019

2019marugoto26.jpg

 津山市城西地区は、津山藩初代藩主・森忠政公が祭られている本源寺をはじめ、17か寺が集まった寺町や、城下町鎮守の徳守神社があります。大正時代に商業で栄えたこの地域で毎年秋に行われる津山・城西まるごと博物館フェアは、いまやみんなが楽しみにしている津山を代表するイベントのひとつです。クラフト展や屋台村が軒を連ねて今年も大変な人出で賑わいましたが、中でも若僧会の皆さんのウィットに富んだ明るい悩み相談の答えが大うけでした。

津山・城西まるごと博物館フェア2019の続きを読む

出雲街道原の旧道・息継ぎの井戸

6-29izumokaidou2.jpg

出雲街道原の旧道・息継ぎの井戸(原)
 追分の三差路の約100m東で国道181号線と旧国道から分岐して北側の山沿いに残る、旧出雲街道は約900mあり、原地区の明谷入り口の塞の神で国道のため消えている。道中に「息継ぎの井戸」と呼ばれる古井戸がある。(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)

出雲街道原の旧道・息継ぎの井戸の続きを読む

明徳山 上野寺(鏡野町)

uenoji2.jpg

 当山は、天平年中に行基菩薩が一刀三礼により、本尊を勧請し、一宇を創建したと伝わります。
平安朝の一條天皇の時代に、陰陽博士清明・道満の二人が日本興地図を納めるために、数日当山にとどまり、石函を作り地図を納めたといわれ、石を切り出した場所にお寺が建立され、上野山明徳寺と号しました。
 戦国乱世の天正九年(1581)、毛利軍の西屋城攻略の戦火に巻き込まれ、堂宇全て灰燼と化しますが、慶長年間、釈龍圓上人により中興再建され、この時に寺号と山号を入れ替え、明徳山上野寺と改称されました。
 寛政年中の『寺院本末帳』には「西々條郡函村妙徳山世尊院上野寺」との記述も見え、時代の変遷を経て、現在の地に法灯を伝えております。(文:『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より)(写真:2019年9月15日)

明徳山 上野寺(鏡野町)の続きを読む