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取材記事内を検索ワード「山」で検索した結果,3340件の記事が見つかりました。

人気の「庭木剪定入門セミナー」に参加!

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 津山市生涯現役促進協議会が55歳以上を対象にした庭木剪定入門セミナーを開催されると聞き参加して来ました。庭木剪定の基礎知識から松の剪定までの連続した3日間で、低中木剪定の基礎知識から、松の選定、剪定後の仕上げや清掃までを、植木屋 内田博士先生から学んできました。今回は社会福祉法人鶯園内の植木の選定で定員を大きく上回る人気のセミナーでした。参加された皆さんは、ご自宅の庭木をなんとかせねばと参加された方が多かったと思いますが、卒業後はシルバー人材センター等のお仕事も紹介しますとのことでした。

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西寺町(西・東)

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西寺町西   
 城下町の建設期には武士や町人など、多種多様な宗派の人が集まり住むことによって城下町が出来ました。そうした人々の必要に応じて、津山藩は城下町の東西の端に各宗派の寺院を集めて寺町を作りました。東の寺町が丘陵上に配置されたのに対して、西寺町は町人町から続く主要な街道に沿う形で寺町が形成されました。高い土塀と豪壮な建築物が建ち並ぶ寺町は、城下町の防衛施設と位置づけられました。(『津山市史』第3巻より)
 寺町には立派な救護施設津山広済寮(定員80名)があります。平成23年(2011)には耐震建物に建て替えられました。
西寺町東 
 戦後配給物資を配分するために、町内会が分割されました。

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河原儀山 眞光寺(福田下村)

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河原儀山 眞光寺 大字福田下村
 作陽誌と宝暦5年の由緒書上帳によると承和元(834)年3月15日弘法大師の関闢で、旦那は左衛門殿大江行経である。大師の御弟子 南池院僧都源仁法印が担当しての草創であり、当然真言宗の寺院であった。其の98年程後、承平2(932)年、比叡山の民部大僧正が流しものになったか、それとも自分から身をかくす必要があっのか当国に下着した。そして福田下村の地で霊異を感じ、加賀国の白山権現を勧請して天台宗の寺院として念仏思念三昧に入ること百日、たちまち9万8千の軍神が机の4面に現れた。ということで、最初の98年程の間、真言宗であったものが承平2(932)年以降天台宗に変ったものである。

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安岡町

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 安岡町は津山城下の西の端となる町で、町名はこの地域から北に広がる丘陵地から名付けられたようです。町並みは寛永年間(1640頃)には成立していましたが、津山城下から外れている場所であるために町民は租税に苦しんでおりました。その後、南海(紀州)から移り住んでいた渡邊藤左衛門義信の命をかけた直訴により、茅町と安岡町は城下に編入される事になりました。その義挙を徳とし祠を建てて神と崇めたのが、義信神社として現在でも安岡町の守り神として町内に祀られています。

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2019 津山城(鶴山公園)の雪景色

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 2019年1月26日・27日と寒い日が続き、朝起きてみると雪が降り積もっていました。
それでも朝10時ごろには道路に積もった雪も溶けて、時折日差しも出てきたので雪景色を撮ってみようと津山城(鶴山公園)まで出向いて来ました。津山城(鶴山公園)では知り合いの方や、観光で来られている海外の方とすれ違いました。雪で化粧された石垣が美しく、また、木々に薄く積もった雪もとても綺麗でした。

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西新座西・西新座東(小田中)

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 寛永14年(1637)城西小田中村のうち本源寺から聖徳寺までの間に開いた侍の屋敷町で、大塚兵庫ら15人が住んだのが始めであるといわれています。元禄元年(1688)には戸数30戸ありましたが享保年間(1716頃)に屋敷を撤去して農地としました。現在150戸ほどありますが、城西通りの開通で風景も変わり住宅地帯の表情をみせています。西新座の一角に津山市立西小学校や城西保育園があります。大正15年(1926)ごろ建設され津山西尋常小学校として授業がおこなわれ、現在250人ほどで少子化の現状です。学校の裏側に昭和50年ごろ、スーパーニシナ・サンバレー店が開店され、食料品や生活雑貨など販売の店舗として繁盛していましたが、近くに近代的な大型スーパーなどの進出によって、しだいに客足がすくなくなり、平成13年の年末に閉店しました。

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自転車競技「BMX」でスポーツタウン津山に!

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 1月19日ウエストランドで開かれたSPORTS TOWN(BMX・リズムジャンプ・ケイキフラ10:00~13:00)は、スポーツによる津山まちづくり推進協議会 主催で、国際大会の新種目としても注目されている自転車競技「BMX」をはじめ、リズムジャンプなどを多くの人に知ってもらおうと企画されたプログラムでした。
 また、東京オリンピックから新種目として加わっている「BMX」の女子日本代表候補選手でプロライダーとして活躍中の大池水杜選手も岡山市から駆け付けて来られていました。

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美作の世直し一揆(加茂)

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 幕府の力が弱まり、世の中が不安になると、全国各地で100近くの一揆が起きています。藩の政治を改めることを要求したこの一揆を美作では改政一揆と呼んでいます。
 1866年11月24日の夜、行重村(加茂町)の真福寺の鐘を合図に、美作中に広がる一揆が起こりました。この一揆は、最初は行重村の直吉たち、10人ほどの農民が起こしたものでした。それがたちまち藩の政治に不満をもち、世直しを求めていた民衆の間に広がり、次の日に城下におしよせた一揆勢は、米屋や、藩と結びついた商人の家をおそいました。
 この年は大雨と冷害・台風などのため大凶作で、幕府の命令による二度目の長州出兵もあり、人夫の負担、物価の値上がりなどで、年貢の納期が近づくにつれ、農民の不満が高まっていました。
 ・今年の年貢を引き下げてほしい。
 ・年貢米を検査する役人の不正をやめさせてほしい。
 ・長州(山口県)への出兵に、人夫をかり出さないようにしてほしい。

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新茅町

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「新茅町は鉄砲町の西にありて1区域をなせり、東北は堤をもって鉄砲町、西寺町に界し西南は小田中村に限る、初め柳土手と称す。森氏流離の民をしてこの地に住せしむ。明治5年壬申戸籍編成にあたり改めて新茅町と称す。」(矢吹正則著『津山誌』)
 町の東端に大正の頃まで遠方よりお参りする人も多かったといわれている普門品観世音菩薩の石仏が在ります。その横に建立の由来は不明ですが、正面に南無阿弥陀仏、側面に五月吉氏と刻まれた墓があり、周囲には五輪塔が並んでいます。

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高瀬神社(日上)

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由緒
天平勝宝7年(755)村内に悪疫が流行して村民が多く死んだ。時に国分尼寺の尼憎が夢に素盞嗚神が現れて曰く、「我が社を天王山の東西畑に祀れ、疫病忽ちに止みなむ」と告げられた。尼僧はこれを村民に告げ、村民は一祠を建立して西畑天明神と称した。明治になり、高瀬神社と改称した。(文:『岡山県神社庁誌』より)(2019年1月14日撮影)

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