竜堂山 瑞泉院(久米南町)

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竜堂山 瑞泉院(第二十二番)
 当山は元、竜堂山阿弥陀寺といい、弘仁十二年(821)三月、玄昉末流賢景がこの地の一草堂(古御堂)に掛錫した折に、弘法大師の作と伝えられる阿弥陀堂を発見したことに始まります。昼夜禅定修観を凝らしていたところ、一夜本尊を夢の中に感得するところとなり、四年後に阿弥陀寺が建立されたと伝えられています。ところが明治五年に無住無檀のため、ひとたび廃寺となりました。
 その後、竜王山城主・岸備前守氏秀の祈願所となり、墓所も当山に設けられました。
 しかしながら、朝夕聞き慣れた鐘の音を慕って、有徳の人々が本尊供養と旧蹟保存を志すところとなります。
 岸氏の末族を初め、心ある信徒らが勧進に動き、明治二十五年十月、高野山より瑞泉院を移転し、現在に至っています。
 仏頂山興禅寺跡(三村家親供養塔)
 永禄九年(1566)、備中成羽城主・三村家親が、兵六千を率いて本陣を興善寺におき戦死しました。供養塔が興善寺跡(下籾一四八一番地)にあります。時代が下って明治四十四年の六月に、瑞泉院と合併しました。

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墓地                      本堂

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境内

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 この宝篋印塔は岸備前守氏秀の供養塔である。室町時代末期の様式で桃山時代の造立と推定される。
元禄二(1689)年津山藩森家の家老長尾隼人勝明編纂の『作陽誌』にも記述がみられる。
この墓地は岸氏が所有しており、昭和三十二年二月二十六日に久米南町重要文化財として指定されている。

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稲荷

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「日本の棚田百選」上籾(お寺近くにあった棚田)
1999年7月26日農林水産省により「日本の棚田百選」134地区(117市町村)の認定がされた。久米南町では上籾と北庄の2ヶ所が認定され、当地区の面積は22haであり「耕して天に至る」景観は心にある ふるさとの姿です。(田の枚数=1000枚、農家戸数=42戸、平均勾配=1/7)
(2019年9月7日撮影)