河辺の清水邸は文化庁の登録有形文化財です。
河辺にある古民家清水邸は津山市有形文化財でもあるし、文化庁の登録有形文化財でもあります。
古い写真や民具農具などの資料の提供をしてもらった河辺町内旧道組合の清水奏博さんの本宅は、明治35年ごろの建築で梁の組み方が非常にめずらしい籠目小屋梁組といわれるもので、釘が使われていないなどの特殊な構造が認められ、平成21年4月に国の文化庁から登録有形文化財の指定を受けた。
(文:河辺の歴史を考える会発行の河辺のむかしと今より)(2016年2月19日撮影)
河辺にある古民家清水邸は津山市有形文化財でもあるし、文化庁の登録有形文化財でもあります。
古い写真や民具農具などの資料の提供をしてもらった河辺町内旧道組合の清水奏博さんの本宅は、明治35年ごろの建築で梁の組み方が非常にめずらしい籠目小屋梁組といわれるもので、釘が使われていないなどの特殊な構造が認められ、平成21年4月に国の文化庁から登録有形文化財の指定を受けた。
(文:河辺の歴史を考える会発行の河辺のむかしと今より)(2016年2月19日撮影)
2015年12月6日(日)津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐり「森長継の生母 渓花院ゆかりの史跡探訪」があり、宗永寺(本堂内・森家墓所)を拝見してきました。
宗永寺の由緒:山号は法源山、臨済宗東海派。長継が生母・渓花院の供養のため創建。家臣の市村重政・各務元正を奉行として堂宇を建立させ、明暦2年(1656)落成。方丈・書院・庫裏・廊下・中門・外門など、いずれも美麗を極めたという。渓花院の住持・正伝を開祖とし、渓花院の法名にちなんで宗永寺と命名、寺領として150石を寄進。森家の改易後は徐々に衰退し、天保年間に火災に遭うなどして、伽羅は昔の規模をとどめていないが、幕末に田中諦堂が住職となり、堂宇の修繕に努めた。明治17年(1884)の時点で境内は東西19間(約34m)・南北49間(約88m)あり、現状よりも北に大きく広がっていた。現在の本堂はかつて観音堂で、33体の観音像のほか、渓花院をはじめとする森家一門の位牌を安置する。(矢吹正則『津山誌』ほか参照)(文:津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐりより)
油地蔵(岡山県指定重要文化財)
字 石佛の土中より堀り出されたもので旧県道沿いに安座していたものを大正14年東光寺山門前に移したもの。花崗岩の上部を舟形におとし佛像を刻んでいる。右手には錫杖、左手に宝珠を持つ延命地蔵の相で重厚の感じの像容である。
左に「庚暦二庚申二月二十九日亥午後」(1380年)右脇に願主円佛敬白の銘がある。油をかけると如何なる難病にも御利益があると云われその為、油地蔵と呼ばれている。
県内外からの参拝者も多い。昭和34年1月13日、県の重要文化財として指定される。
2016年1月6日上山天皇・車戸神社に行って来ました。
上山天王様(亥子様)
福本部落の東方の小山「亥の子山」と呼ばれている頂上の平らな場所に祀られている。田畑や稲作等の守護神で五穀豊穣を願い毎年11月の亥の日に祭を行っている。上山牛頭天王とも云われている。亥の日にこたつを出せば火難にあわない。この日ろっく様にはぼたもちを供えるならわしが伝えられている。
車戸様
上山天王様(亥子様)と並んで「亥の子山」に祀られている神様で農家にとっては大切な財産である牛の神様で豊作と健康を願い祭をする。一方旧久米町領家にこれに関係した車戸様が立派な社に祀られていてそばに置かれている石牛は右向は福本地区に、左向は領家地内のものとなっている。関係がありそうである。(文提供:岩屋城を守る会 会長 北蕙兆氏)
西御殿
神代の十字路からも備前街道は県道に添うてはいるが間に田地をはさんだ左側の山裾の道であって此の道は柄尾谷池に差しかかって始めて右折して県道に吸収されて池畔を進めば、池土堤の右側に貴布祢神社の裏鳥居がある。
鳥居の前をすぎて県道が右に曲がるあたりの左向うに「西御殿」がある。立派な石垣がめぐらされていて、正面の石段を登ればそこは広い屋敷跡「殉難碑」が建てられており、久米町の重要文化財に指定されている。
[歴史]
古代から江戸時代に至る岡山県北東部の行政区画、東は播磨、西は備中、南は備前、北は因幡、伯耆の諸国に接する。「続日本記」和銅6年(713)4月3日の条に、備前国の、英多、勝田、苫田、久米、大庭、真嶋(島)の6郡を割いて、初めて美作国を置いたとある。美作は、「和名抄」では、<美萬佐加>と読む。国衙(こくが)は苫田郡(とまだ)内(現津山市総社)、国分寺は勝田郡(現津山市国分寺)に置かれた。863年(貞観5)苫田郡を苫西、苫東と分割する。奈良時代の終わりから平安、鎌倉時代にかけて多くの荘園が成立した。神護寺領佐良庄をはじめ、稲岡庄、梶並庄、倭文庄(しとりの)、河内庄、英多保、林野保、真島庄などが有名。武士団としては"菅家党"が有名。平安末期には稲岡庄で法然が誕生した。
田邊城について(2015年5月5日取材)
田邊城は今からおよそ430年前に建てられた標高約230メートルにある山城です。
山中には本丸、堀切、土塁、馬場などの跡が残っています。敵の侵入を防ぎ、見張りの役目を果たしたと考えられています。
所有者の田邊久吾さんによると、この城は田邊さんの先祖が城主をつとめていたそうです。
十数年前、田邊さんは城跡に戦死者の碑を建立し、桜の木を植樹されました。毎年春には桜まつりが開かれ、将兵や先祖の霊魂の供養をしています。田邊城址(2010.4月29日取材の様子はこちら)
今年は暖冬の為か紅葉もさほど進んでいませんでしたが、それでも大勢の観光客の皆様がお出でになって衆楽園の紅葉を楽しんでおられました。11月に入ると曇りや雨の日が多くなり、少し残念です。池の水どり達も岩の上で深まりゆく秋の一日を楽しんでいました。(2015年11月15日撮影)
矢筈城の概要(草苅衡継の矢筈城築城)(2011年~2015年10月31日取材)
矢筈城(高山城)は、津山市加茂町山下から知和にまたがる標高756メートルの矢筈山に、美作国と因幡国に勢力を有した国人領主の草苅衡継が、天文元年(1532)から翌2年(1533)にかけて築いた山城で、東西1,600メートル・南北500メートルの壮大な規模を誇る岡山県内で最大の中世山城です。
のどかな自然環境とお肌つるつるの温泉の湯が自慢の秘湯です。ジャグジーバス、ミストサウナ、フィンランドサウナ、機能回復訓練温水プール併設。
泉質:ラドン含有アルカリ性単純温泉(ラドン含有)
適応症:神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、疲労回復、健康増進など。
開場時間:11:00〜21:00(水曜休業)入場料:一般 500円・70歳以上 300円 小学生 200円(未就学児は無料)あば交流館にご宿泊の場合は入浴料は宿泊料金に含まれます。(2015年10月31日取材)