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取材記事内を検索ワード「お祭り」で検索した結果,163件の記事が見つかりました。

川崎町内会納涼祭

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▲津山ご当地アイドルSaKuLo♥eが出演した川崎町内会納涼祭 (2011.7.30取材)

2011年7月30日(土)午後6時~9時までカワイハウス駐車場にて川崎町内青壮年部主催、川崎町内会各種団体の協力で開催。当日はゆかた姿の子供達が大勢来て引換券でお菓子をもらったりして大いに楽しんでいました。また、川崎水連会の皆さんの踊りが披露されました。昨年より人数も増えていて盛り上がっていました。2010年の様子(取材記事)はこちらです。

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堂明様(堀坂地区)

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堂明様
 中土居にある堂明様は毎年4月3日を中心に土居でお祭りをしている八幡道地蔵(通称:堂明様)であり、寛文11年(1671年)新野上分字今宮から現在地に移したものです。この地蔵菩薩様は当時村落でよくないことが次々と起き、こうした悪事をおさめるため、お祀りされていると言い伝えられており、この時期は西法寺が堀坂へ引遷してきた同じ頃です。
 お地蔵様は広大無辺な宇宙を浄化する無限の徳相で、無信心の人でも罪多き人でも、一心にお地蔵さんに念じればその罪を浄化し、病苦も災難も全て救済してくださると伝えられています。(津山市堀坂町内会発行:わがまちの史跡より)

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津山で一番早い夏祭り「八頭(やかみ)神社」

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▲八頭(やかみ)神社の夏祭りが2011年7月3日(日)にありました。この夏祭りは津山市の中で一番早い夏祭りだそうです。ちなみに秋祭りも一番早いそうですよ。ここを皮切りに津山の夏祭りが始まります。

八頭神社は新職人町・桶屋町・新魚町・吹屋町の四町内でお祀りしているそうです。お祭りは毎年焼き鳥をしたり賑やかに執り行われているようです。近年お御輿もあるのだそうですが、修復も中々前に進まないそうです。

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津山城(鶴山公園)さくらまつりイベント

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▲2011.4.17(日)津山さくらまつりのイベント会場

多くのお客様にお出でいただきお陰さまで完売となりました。ありがとうございました。

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石山寺

森忠政が津山城の築城に際し、石垣に使用する石材の切り出しをこの地にて行いましたが、事故などが少なくありませんでした。そのため、家臣に命じて摩利支天を勧進し、お祭りしました。それ以来、庶民の祈願所として崇敬され、石山摩利支天として今日に至っています。
https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/tera/ishiyamadera/index.html
桜:https://www.e-tsuyama.com/kankou/report/2010/04/post-27.html

青木山 寂静院 聖徳寺 (小田中)

聖徳寺

青木山 寂静院 聖徳寺の開基

 当山は、和銅7年(714年)6 月に、神融禅師によって開創されたお寺です。昔は現在の苫田郡鏡野町上森原にお寺がありました。 その当時は青木山極楽寺寂静院といいました。その後、慶長の始めに森 忠政公が津山の守護となって築城のみぎり、当時の住職快音上人は現在の地津山市小田 中に移しました。この地は昔聖徳太子が諸国を遊化され立ち寄られた場所である。正保年に、寂静院に一堂を建立し、聖徳太子の像を安置することを人々により 願われた。当時の快映上人は四天王寺に詣で太子を拝見する。孝養の御影を写し帰って、微妙の尊像を彫刻し御頭に仏舎利を納め奉って、当寺の本尊として安置 した。これ以降、聖徳太子の霊地となり。寂静院改め聖徳寺と号した。(情報提供:聖徳寺)

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つやま雛めぐり(作州城東屋敷・城東むかし町家)

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作州城東屋敷の豪華なひな壇です。

2011年3月3日(木)~6日(日) (午前10時~午後5時まで)来てみんちゃい、歩いてみんちゃい、見てみんちゃい、津山城下町「雛めぐり」が開催されました。当日城東地区では様々なおもてなしの行事が執り行われました。作州城東屋敷では、段飾りと御殿のお雛様の展示やお茶のおもてなし、城東むかし町家ではお雛様と掛け軸の展示がありました。

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雛めぐり「津山駅・おたふく旅館・江川・えとあーと」

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▲津山駅では雛めぐり期間中(2011年3月5・6日)、臨時列車「JRひなまつり列車」が運行されました。新見駅=岩山駅=中国勝山駅=美作千代駅=津山駅。(10:42発のお内裏様号と14:15着のお内裏様号)華麗な踊り連がお出迎えとお見送りをしてくださいました。

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阿波八幡神社

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花祭りの起源と阿波八幡神社(2010.11.3)
阿波八幡神社は、JR因美線美作河井駅より北へ約4キロメートル、旧阿波村(現津山市阿波)字位登山(大ヶ山の東麓の端)鎮座する。主神は誉田別命(15代応神天皇)で、足仲彦命(14代仲哀天皇)・息長足媛命(神功皇后)を配祀した神社である。
口碑によると、慶雲2年(705)、現在の地より少し南に鴨神社が創祀されたと伝えられており、平城天皇の大同元年(806)8月15日筑紫の国(大分県)の宇佐八幡宮の分霊を勧請し、合祀して八幡宮と称し現在の地位登山に移遷したものである。(先年、阿波村文化財保護委員が宇佐八幡宮に行って分霊勧請の記録を確認している)
八幡宮は武神としてのソ崇敬も顕著になり、尼子晴久の中国経略に際しここ美作にも侵入し、さらに播磨の国に出兵する際戦捷を祈願して阿波八幡宮の社殿を焼き払い、その後、戦捷奉實のための家臣村上左京進時泰に命じて社殿を再建した。
弘治4年(1558)年6月のことである。(社蔵の棟礼による)
当時の社殿は、宮4間4面、高さ3間1尺5寸(神主兵部より森美作守への上申書による)とあり、結構壮大な社殿であった。
現在の社殿は寛延2年(1749)村内氏子中により再建されたものである。
高山城(矢筈山)主 草苅景継は良(鬼門)の鎮護として崇敬し社領を寄進し、津山城主森忠政も城の民の鎮護として崇敬したという記録も伝えられている。(2010年 阿波神社の花祭りの様子
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