津山で一番早い夏祭り「八頭(やかみ)神社」
▲八頭(やかみ)神社の夏祭りが2011年7月3日(日)にありました。この夏祭りは津山市の中で一番早い夏祭りだそうです。ちなみに秋祭りも一番早いそうですよ。ここを皮切りに津山の夏祭りが始まります。
八頭神社は新職人町・桶屋町・新魚町・吹屋町の四町内でお祀りしているそうです。お祭りは毎年焼き鳥をしたり賑やかに執り行われているようです。近年お御輿もあるのだそうですが、修復も中々前に進まないそうです。
八頭神社(やかみじんじゃ)の夏祭りが2011年7月3日午後1時からありました。
八頭神社
鎮座地 津山市桶屋町一番地(308.59平方米)
旧社格 無格社
祭 神 倉稲魂命 相殿 火産霊神
由 緒 此の地は往昔苫田郡戸川庄と称した
明和7年(1770)神職熱田石見が勧請し
文化15年(1818)山城国の稲荷本社より正一位稲荷の神階を受け 其の後八頭神社と号するに至った
昭和21年(1946)宗教法人令による神社となり
昭和25年(1950)宗教法人法により宗教法人として登記した
宮 司 福田景門
神輿は明治16年(1883)大阪の鎌田市右衛門によって謹製されたものである
神 徳 倉稲魂命は豊受大神宮の荒御魂で五穀豊穣、商売繁昌の守り神であり 火産霊神は火の神で火難防除の神徳がある
氏 子 新職人町・桶屋町・新魚町・吹屋町(案内板より)
厳かに神事が執り行われています。
右隣には稲荷様もあります。
神事が終わったら、町内を一巡りします。
この日は屋台があり、焼肉の香ばしい匂いがしていました。また、みたらし団子がとても美味しかったです。
どうやらビンゴゲームもあるそうで、子供たちは待ち遠しい様子です。
八頭神社はアルネ津山の西側にある神社です。
どんな願い事があるのかな?ちなみに 「この夏祭りが末永く続いてほしい。」は長老の願いです。
昭和43年10月23日サンケイ新聞掲載
新魚町地車の縁起
入江賢二
秋高くさわやかなころとなれば、方々祭りの太鼓の音が聞こえ、楽しいものである。新魚町は地車(ダンジリ)は、津山で最も優秀な物であることは、自他共に許すところであって、古老の言い伝えによれば、文化12年乙亥、堺町の芦田屋善兵衛という人が、上方で初めて御輿太鼓(ダンジリ)を求めて帰り、在来の屋台よりは行動が自由なりと地車を造り、徳守神社祭礼御神幸に供奉したのが、津山における地車の初めである。
これにならい各町競って地車を造ったものであるが当時新魚町に魚問屋が多くいわゆる「ざこば気質」で繁昌をきわめた時であるから、資材を惜しまず、津山一番の物を造らんと秤屋(入江)万治郎、伊部屋(吉元)宗治郎、池淵屋(遠藤)義重等発起し、灘屋、村元屋、平田屋、油屋、博多屋、松屋、淀屋、亀屋などの協力を得て計画し、当時神社造りの名工高山近之助を棟梁として数名の巨匠を集め、卓越せる技能を集結し、ついにこの優美圧倒的の逸品を得たのである。この地車は御神幸にふさわしい彫刻である。特に装飾することなく、単に四本柱に太〆縄をまぐらし、それに御幣をつるすのみ。これは優美なる彫刻を誇らんがためにほかならず。
古老の言および古記録などより勘案し、創作は文久元治のころにて、工匠は、◇素○勇尊(すさのおのみこと)=備前邑久郡尻海村、井上幽斎・同幸治◇稲田姫=同人◇八頭大蛇・酒壺=作州横野、高山近之助照朝◇蛇の一部・その他=作州勝中村、門人 小林定吉なり。
明治末期ごろまでは、六十余人の人夫にてかついでいたが、大正の初め、各町とも馬車に乗せて引くこととなりたるが、新魚町のは超重量のため一般の馬車にては耐え難く、特にケヤキ造りにて堅固なる馬車を新調されたものである。(本年から自動車を使用す)また太鼓はまれな尤物で、その音色は金音を含み、他町の如く、釣り鐘を 用いることなく、遠方より、この太鼓の音色を聞き、新魚町の地車と知られたのである。
しかるに昭和10年、中国民報(現山陽新聞)社が岡山東山にて全国乗物博覧会を催されたる時、新魚町地車が地方代表として出陣しその優美さは何びとも賞賛を惜しまず大いに面目を施したり。その帰途、自動車の事故にて破損す。現在の太鼓は昭和13年、大阪にて新作したるものなれども、これもまれなる。尤物である。
このように新魚町の地車はまれに見る逸品たることは、自他共に認められる文化財なるが故に、子々孫々に至るまで長く大切に保存すべきものである。
津山地車が県の重要文化財の指定を受け、昭和43年10月22日、23日に明治百年記念事業として津山地車21台総出動に際し、新魚町もこれに参加することを記念し、とくに本縁起を記す。
平成10年9月吉日 有元 誠 謹書(案内板より)