愛染寺四国八十八ヶ所霊場お砂踏み
2017年4月29日(土)10:00~四国八十八ヶ所霊場お砂踏み(三年に一度)がありました。「お砂踏み」とは、四国遍路ができない人の為に、四国遍路を身近に感じられるようにと八十八ヶ所霊場の砂を踏みながらゆっくりと巡ってお蔭をいただく行事だそうです。また、写経をや写仏を描いたりしながら無心になって心を落ち着くひと時を過ごすそうです。境内にはぼたんの花が美しく咲いていました。(情報提供:愛染寺密教婦人会)
2017年4月29日(土)10:00~四国八十八ヶ所霊場お砂踏み(三年に一度)がありました。「お砂踏み」とは、四国遍路ができない人の為に、四国遍路を身近に感じられるようにと八十八ヶ所霊場の砂を踏みながらゆっくりと巡ってお蔭をいただく行事だそうです。また、写経をや写仏を描いたりしながら無心になって心を落ち着くひと時を過ごすそうです。境内にはぼたんの花が美しく咲いていました。(情報提供:愛染寺密教婦人会)
アルネが出来る前の津山一番街(協同組合津山一番街は、昭和38年4月4日の設立です。)
津山一番街はJR津山駅から北へ400m程の市街中央部にあり、鶴山通り京町交差点から西へ長さ200m程続くアーケード商店街で、かつての出雲街道筋に沿っています。
平成6年に付け替えられたアーケード入口には「ソシオ」のロゴが記され、現在商店街は「ソシオ一番街」といわれています。(文:おかやま商店街ナビより)(写真提供:中山須美子さん)
表神門は「四脚門」ともいわれ、榎材の四柱に支えられている。なかでも表側の二本は「鏡柱」といい表向きに矢防ぎの幅を持つ。屋根は平入切妻破風造り、総体「医薬門」という形式で前後非対称でバランスを保つ構造である。
この門はかつて津山城大手二の丸にあったもので、城中にあった時も扉を持たぬ門であったことが城の古図に見られる。津山城の今に残る数少ない建造物として貴重なものである。
明治7年7月に神門として中山神社に移築された。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)
2017年5月25日に勝央町にある横山さん宅へ伺いました。いつもなら日曜日に出かけるのですが、今年はスケジュールが合わずに門扉の外から撮影させていただきました。後日、奥様から「主人が喜ぶと思います。」とお話し下さいました。(昨年のバラの花の様子です。)
2017年5月25日にAさん宅へ伺いました。ここは素敵なお庭が造られていて、日本庭園が右半分で左半分はイングリッシュガーデンの様になっています。この庭に入るとバナナの匂いのする木が植えられていて花が咲くと本当にバナナの匂いが香ってくる素敵なお庭でした。
2017年5月25日に美作市の平山さん宅のバラのお庭を拝見してきました。5月28日がオープンガーデンだそうですが、少し早く伺って来ました。お庭全体が緑色で生き生きとしていました。その緑の中に様々なお花が咲いてとても素敵でした。(昨年のオープンガーデンの時に伺った時の様子です。)
2017年5月29日に津山市領家にある甲本通晴さん宅のバラ園をお尋ねしてきました。昨年もお尋ねしましたが、少し早目で蕾が多かったのですが、今年は少し遅めだったようで甲本さんから「今年は少し遅いよ」とのことでした。咲き誇ったバラの花が綺麗に撮ってと30度を超すような暑さの中でも凛として咲いていてくれて私を癒してくれました。こんなに多くのバラたちのお世話は大変でしょうね。甲本さん楽しませてくださってありがとうございました。(2016年のバラの花の取材)
中山神社は西国壱の軍神(厳島・吉備津と並んでその筆頭)であり、天下の大変・大乱に際しては朝廷より全国7社の一つとして特別の護国祈願を仰せつかる。例えば天慶2年(939年)平将門の乱、弘安4年(1281年)の元寇など。その祭事は格別の秘儀で、現小原地区内大築公園あたり、昔は鬱蒼たる「雫が森」その中に中山の離宮たる大築神社があった。
秘祭「鉾立て」に神事は大築の境内で行われた。中央に大鉾、四方に小鉾を立て、大鉾前に祭壇を設けて荘厳神秘の深夜の祭典であったという。鉾立石はそれらの鉾を立てた基石で、上面中央に凹みがある。
現在中山神社境内本殿南(国司神社)の段に、有志による由来記の碑とともに、その一石が置かれている。また祭事の行われた雫が森の跡あたりにもその一つが置かれ、地元の有志による説明板が立っている。 中山境内の石と小原のそれとは鉾立の凹みの形状が異なる点も興味を引くところである。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日撮影)
2017年5月30日イナバ化粧品店を飛び出し、津山市領家にある甲本通晴さん宅のバラ園をお尋ねして来ました。今日は5月だというのに30度を超す暑さの津山市内です。ママ曰く「地球が爆発するんじゃないかと思うくらい暑いわ~。」そんな中、ドライブがてらママとママのお友達と久米方面(圓光寺、甲本バラ園、津山圏域クリーンセンター)へ出かけてきました。
中山神社の北側を流れる鵜羽川に二抱えほどの大きな岩がある。
神社伝説によると「中山の神が霧山の磐座にいたとき、永代鎮座の場所を定める目的で鵜の羽を流し、止まった所に居を構える」とした。長良川の麓の石で止まり、『羽留石』として今でも里人の寄進による注連縄が張られている。(文:『美作一宮 郷土の遺産』より)(2017年4月1日取材)