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取材記事内を検索ワード「供養塔」で検索した結果,41件の記事が見つかりました。

竜堂山 瑞泉院(久米南町)

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竜堂山 瑞泉院(第二十二番)
 当山は元、竜堂山阿弥陀寺といい、弘仁十二年(821)三月、玄昉末流賢景がこの地の一草堂(古御堂)に掛錫した折に、弘法大師の作と伝えられる阿弥陀堂を発見したことに始まります。昼夜禅定修観を凝らしていたところ、一夜本尊を夢の中に感得するところとなり、四年後に阿弥陀寺が建立されたと伝えられています。ところが明治五年に無住無檀のため、ひとたび廃寺となりました。
 その後、竜王山城主・岸備前守氏秀の祈願所となり、墓所も当山に設けられました。
 しかしながら、朝夕聞き慣れた鐘の音を慕って、有徳の人々が本尊供養と旧蹟保存を志すところとなります。
 岸氏の末族を初め、心ある信徒らが勧進に動き、明治二十五年十月、高野山より瑞泉院を移転し、現在に至っています。
 仏頂山興禅寺跡(三村家親供養塔)
 永禄九年(1566)、備中成羽城主・三村家親が、兵六千を率いて本陣を興善寺におき戦死しました。供養塔が興善寺跡(下籾一四八一番地)にあります。時代が下って明治四十四年の六月に、瑞泉院と合併しました。

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二上山 両山寺(美咲町)

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高野山真言宗準別格本山両山寺
 当、両山寺は、人皇四十三代元明天皇の御宇和銅七年(714)開祖泰澄法師が観音の霊夢により草創されし霊刹で御本尊は、正観世音菩薩にして尊像は天竺毘首羯摩の作なり。山は二峯併立し恰かも金胎両部を表示し、一岳両峯真に天地自然の妙容なり、故に山を二上山と呼び、寺を両山寺と号す。開山の砌りは、真言、天台の二道場にして二十有余坊の僧坊、七堂伽藍を有し近国の名刹として頗る聞こえしがいつしか天台宗衰え真言一宗となり、現在は本坊一寺となり他は字名として残るにとどまり栄枯盛衰の跡を物語るにすぎない。養老年中(717~723)唐土の不空三蔵当山の本尊を加持し、国家安泰を志願し五智尊像を五重塔に納められるが、永禄八年(1565)尼子氏と毛利氏の奸戈により堂塔伽藍を焼失せり。此の時、本尊正観世音菩薩天野ヶ原に飛行士光明を放ちて赫々たるを朱雀天皇の御苗流僧正良尊大和尚直に尊像を守護し奉って、再び此の地に堂宇を建立し本尊を安置す今の本尊即ち是れなり。
なお、元禄元年(1688)十一月朔日、当国の大守長成公より万代不易の寄附顕然たり。而して当山、其境幽遽にして頂嶺の遠望は両眼象山恰かも平地の如く一度山頂に立てば雄大の気自ら迫り無二の霊場と言う可きである。また当山の鎮守護法善神は、仏法擁護、伽藍安全の守護神で、建治元年(1275)七月僧定乗護法の詑宣を得て、毎年陽暦八月十四日祭式(県指定重要無形民俗文化財)を修め天下泰平、万民快楽の祈念を行っている。 合掌(文:境内の案内板より)

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六十六部供養碑と塞の神(中北上)

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 六十六部供養碑と塞の神(明谷・原)
 六十六部の供養碑は満願供養のものであり、「奉納大乗妙転六十六部供養塔」と刻まれている。塞の神は原と明谷の境にあり、旅人や地区の安全と無病息災を祈願する。天保3年(1832)建立。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月23日撮影)

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原の供養碑・札場跡

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原の供養碑・札場跡(原)
 原の出雲街道旧道にあり、「間務阿弥陀仏三十一カ遍供養塔」と「天保三年吉祥日坪井上村中組構中」と刻まれている。札場跡は江戸時代に藩の奉行所から村人に知らせる場所があった所。
(文:出雲街道の史跡と文化財 津山市大井西自治協議会編)(2019年6月29日撮影)

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大峰山大権現(新野山形・杉宮)

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 大峰山大権現の石碑はよく光明真言百萬遍の石碑とともに建てられているものが多い。仏教上の権威を表す梵字が上に刻まれている。
 限りない仏の功徳を現わす「種子」はすべての功徳の生まれることを、草木の種子にたとえて刻まれるもので念仏供養塔などには阿弥陀の種子が多くみられる。
 大峰山大権現は奈良県にある大峰山に登り霊場に参拝するもので、山上ヶ岳から大日岳を主脈とした地域は古くから山岳信仰の地として知られている。
 4月から10月にかけて修験者の修行が行われており、それにちなんだ行事として地方でも「庚申侍」をする講が開かれるなどの大峰山信仰による延命招福を願う人達が村の辻や人目につきやすい路傍に石碑を建て村人の連携を深めていた。

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天狗供養塔(西上)

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 西上の山形仙のふもとに天狗供養塔の石碑がある。この天狗供養塔は昔鞍馬山に住んでいた天狗(修験者)が、この西上の地に舞い降り無病息災を祈願し暮らしていた。
 時が過ぎて天狗の話も薄らいでいたが、ある時土地の住民が家を建てて暮らしていると、主人が病にかかり祈祷師に拝んでもらうと「この家の下に鞍馬から来た天狗が居り、自然石で供養塔を立てなさい」とのお告げがあったと言われさっそく供養塔を建てると主人も良くなった。 
 天狗の命日には(旧暦一月十八日)主人が拝んでいたそうだ。また、供養塔の下には般若心経の一字一石の文字を書いた石を埋めてあるとも言われている。

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馬頭観音(杉の宮・上村)

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 馬頭観音は大日様を本願とする馬の供養塔として建てられたものである。村にある2基の馬頭観音はどちらも建立年代が遅く、牛の守り神である大日様の石碑よりも数も少ない。
 この地方の農村はやはり牛が中心であって、近世になってから耕馬の導入が多くなり、そのため建立の時期とも符合するように思われる。
 馬車などの運搬手段による馬の利用が多くなり、一部の農家にとっては大きな収入源でもあった。牛の供養と同じように、死んだ馬の供養とともに無病息災を願い、大日如来の「種子」が石碑に刻まれている。

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大山みちを歩こう会(第5区)

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大山みちは、信仰と牛馬の道です。霊峰伯耆大山への参詣を目指す旅人と博労座で開催される市へ向かう牛馬の群れが行き交った道です。大山みちは、岡山市の足守より粟井温泉~掛畑~千升乢~加茂市場~尾原~真庭市鰻田~鹿田~落合~久世~三坂峠~禾津~藤森~延助~内海乢を経て、鳥取県御机~鍵掛峠~大山寺に通ずるルートです。現在ではその殆んどが一般道路に併合吸収され、往時の姿を留めている箇所はあまり見ることは出来ません。
現在、「大山みち」を6分割して、歩く会が実施されていますが、今回はその5回目(5区)に当たります。5区のコースは2コースに分かれます。本道は、柞乢越えで距離も短く急ぎの旅人に利用されて来ました。もう1つのコースは、湯原温泉に1泊して休養を取り、旧二川村の三世七原、小童谷(湯原ダムにより水没)を経由して、野田で本道に合流する道でしたが、現在は消滅してたどることは出来ません。
歩く会は、あと6区を残すのみとなりました。第1回は平成26年に既に終えていますが、釘貫小川から三坂峠を越えて久世に至る峠道です。この間は全体の約70%が山道です。第5・6区も山中の道で、それに次ぐ昔の面影を最も残している区間と言えます。  (第2回の様子はこちら

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日本野・開祖の墓碑(日本原)

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まちの文化財 日本野・開祖の墓地
顕彰される福田五兵衛
日本原の街のはずれ、日本坂の上の丘に苔むした自然石の墓碑がひっそりと建っている。この墓碑には
元文五申年 雲仙信士霊 九月初六日
此聖霊者国々嶋々無残
順廻仕依而諸人稱日本
五兵衛是以此所日本野ト申傅也
日本野元祖 俗名 福田五兵衛 と刻まれている。
 作陽誌によれば「正徳(1700年)の頃、日本廻国をして、終りにこの地に供養塔を築き、その側らに小さき家を建てて、往来の人を憩はしめ、あるいは行臥したる者などを宿めてもっぱら慈愛を施せしかば、誰言ふとなく「日本廻国茶屋」と呼びならわせしを、後には略して日本とばかり唱うるごとくなれり。後にその野をも日本野と稱するも時勢と言うべし」と記されている。
 この墓の王は、雲仙信士で、日本野元祖福田五兵衛である。墓碑は、後世この地の人々が五兵衛の徳を顕彰して建てたものと思われる。死没した当時、広戸五穀寺の過去帳には「日本」の地名はなく、五兵衛の没後五十年を経て天明五年六月八日「日本忠助の子」とあり、それ以後死亡者には、ことごとく「日本」という名称が付けられいる。
 「日本原」の地名は、日本廻国をして善行を積んだ福田五兵衛を偲んで名づけたものと思われる。
(勝北町文化財保護委員長・金田一記)(『平成5年発行:勝北風の里探訪』より)

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廻国供養の碑(中村)

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 近世において廻国聖と称す一種の聖が日本六十六国の霊場を遍歴し、一部づつの如法経を納めて歩いた。
 到るところで費用を勧進してゆき、頭を布で包み白衣に笈を背負い鉦を叩いて善根を勧進して歩く。一種特別な服装で遊行するものもあれば、巡礼姿に身をやつし廻国する農民も多かった。
 しかし本物の廻国聖でさえ六十六国を廻り尽くしたものはすくなく、遠国の道のりを他国の風物に接し、疲れと病を気づかう不安との戦いののち無事本願成就の暁に地元に廻国の記念碑を建てた。
廻国記念地蔵菩薩/中村 新善光寺/供養塔 一体

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