天狗供養塔(西上)

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 西上の山形仙のふもとに天狗供養塔の石碑がある。この天狗供養塔は昔鞍馬山に住んでいた天狗(修験者)が、この西上の地に舞い降り無病息災を祈願し暮らしていた。
 時が過ぎて天狗の話も薄らいでいたが、ある時土地の住民が家を建てて暮らしていると、主人が病にかかり祈祷師に拝んでもらうと「この家の下に鞍馬から来た天狗が居り、自然石で供養塔を立てなさい」とのお告げがあったと言われさっそく供養塔を建てると主人も良くなった。 
 天狗の命日には(旧暦一月十八日)主人が拝んでいたそうだ。また、供養塔の下には般若心経の一字一石の文字を書いた石を埋めてあるとも言われている。

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現在は上高進さんがお祀りされているそうです。

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天狗供養塔(西上)
寸法 高さ65cm
造立年代 不詳
(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)(2019年2月12日撮影)


伝説秘めた"天狗様" 病救った供養の碑
 勝北町西上山形仙の裾野に「天狗供養塔」の石碑がある。
 この石碑にまつわる話は古い時代天狗のはなやかな頃、鞍馬山に住んでいた天狗(修験者かも)がやって来て西上の裾野の住み着き地区住民の安全と無病息災を祈祷してやったりして暮らしていたらしい。
 時が過ぎ天狗の噂も薄らいだころ、この土地の持ち主が家を建て平和な暮らしを営んでいた。ところが家の主人が病にかかり長い間患っていた。困った家の人が畑屋(勝央町)にいた女の祈祷師を呼んで拝んでもらったところ「この家は鞍馬から来た天狗を家の下に葬っている。そのたたりだ。この裏山に不動明王の石碑がある。それと同じ大きさの石碑を加茂川の自然石で作り供養をしてあげなさい」とお告げがあった。
 その通りにして拝むと主人の病は日に日に回復した。
 この話を聞いた近郷近在の人たちは、天狗の命日、旧暦の一月十八日には三十人ぐらいのお参りがあり、主人が拝んでやっていたそうだ。
 土地の人々は、この石碑を「天狗様」と呼んでいる。
 天狗とは、辞典によると「深山に住み、顔が赤く鼻が高くて空中を飛行するという想像上の怪物」とでている。中国では流星を天狗と呼んでいたので、中国から帰った僧が、すい星を見て「天狗のしわざ」と言ったのがはじまりらしい。
 天狗が持っている道具はかくれ蓑、笠、千里棒、衣、扇子などがあり人間が言葉たくみに交換し、その道具を使って金もうけをしたり財産をつくるが、おしまいには失敗する話が多い。
 どの話にも空を飛ぶか千里棒を使ってとてつもなく足の速い話、姿が人に見えないようにして酒を飲み、お金取るなど共通した話が多い。
 昔の人達が空を飛んでみたい。自分の姿が人に見えなかったらどんなに面白いだろうと、人々の願望があったのでしょう。
 天狗の株が上がったのは北条高時の時代。戦争や政権に介入してからで、鞍馬天狗には全国諸山の大天狗が数十狗いたそうです。(文:『勝北版マイタウン かつた記録集』より)