2015年塩手池の水中花火と阿波の花火
2015年8月12日のサマーフェスティバルin塩手の花火の様子です。(画像提供:山下幹芳さん)
雨の中で撮影されたそうで、傘指したり、カバーかけたりで、大変だったようですが、とても綺麗に写っていますね。
2015年8月12日のサマーフェスティバルin塩手の花火の様子です。(画像提供:山下幹芳さん)
雨の中で撮影されたそうで、傘指したり、カバーかけたりで、大変だったようですが、とても綺麗に写っていますね。
長福寺の文化財 (2015年7月4日取材)
当寺は奈良時代の天平宝字元年(757年)女帝孝謙天皇の勅願により、唐の鑑真和尚が真木山頂に開基し、弘安8年(1285年) になり天台宗の円源上人が中興した。明徳年間(1390年頃)に真言宗の寺となり、山上に65坊が建ち並び隆盛をきわめていたが、享保16年(1731年)寺領を30石に減らされたため、僧坊を22ヵ寺に合併した。その後明治維新で4ヵ寺となり明治9年奥の院の長福寺ただ1ヵ寺となった。大正14年焼失 し昭和3年現在地に移転した。(文:長福寺案内板より)
寺院の縁起と開山
真言の教は、古く平安期の昔より美作の各地域に布教され、多くの人たちに心のよりどころとして信仰されていた。
伝によると元弘の頃(1331)、大井庄坪井の地には真言の教が浸透し、衆徒法悦、そして寺門隆盛となり、寺城の地に寺坊十二ヶ寺も存在していたと言われている。
その隆盛の姿は現在総門の跡と考えられる仁王堂、梅ヶ坪御堂、また寺向、寺奥等の地名が残り往時の寺院仏閣の壮大さが偲ばれるのである。
中世における度々の戦乱により、寺院仏閣は兵火を被り衰退したが、真言の教は人々の深い信仰により絶えることなく続いていた。
毎年この季節になると国道179号線沿い鏡野町小座の野池に綺麗にハスの花が咲いているのを見かけます。いつもは車越しにしか見ていなかったのですが、今年は車を止めてじっくり見てみると、なんと可愛い沢山のハスの蕾を見ることが出来ました。まだ当分は楽しめそうです。(2015年7月5日・7月12日取材)
2015年7月7日は森忠政公の命日なので本源寺では法要が行われました。朝から小雨が降っていて遠くがかすんでいますが、とても今の季節にマッチして綺麗なのではと衆楽園に足を運んでみました。案の定、池には鷺が石の上で羽を休ませていていい感じです。雨の衆楽園もおつなものです。(2008年の衆楽園の記事はこちら)
国道429号線の植月附近を東に行くと、勝央北小の信号があります。その少し東に行くと右手に池があります。そこにハス池があり、毎年綺麗にハスの花が咲いています。(2015年6月23日・7月5日撮影)
2015年6月27日に美咲町にある「美咲花山園」へ行って来ました。ここは以前「あさひ花菖蒲園・牡丹園」という名前でしたが、現在では美咲花山公園という名前になっています。アジサイ100種類、2万株が植えられているそうです。この日はあいにくの曇り模様でしたが、ベビーカーを押した若い家族や老若男女が自然の中でくつろぐでおられました。
山陽花の寺二十四か寺開創5周年記念 花法要があるそうです。(2015年6月23日取材)
大聖寺にはアジサイを始め日本アジサイの古代原種ともいわれ自生する銀梅草などさまざまな山野草に彩られた庭園も一見の価値あり!
今年(2015年)のあじさい花まつりは7月12日(日曜日)まで開催しているそうです。
新屋敷 ベンチュリー(量水器)室
新屋敷から安岡町へ(旧道)出る短いトンネルの入口の手前北側に周囲を囲った小さな建物がある。水道の施設であることは、聞いているが...。浄水場の井汲場長にお聞きした。
昭和9年第1配水池から市内への流水量を知るためのベンチュリー(量水器)が設置された。現在は電磁流量計となったのでベンチュリーは使用していないとのこと。でも姿形は当時のままで、流量計室として、今でも使用されている。(文:津山城西の秘密のお宝が大集合より)
当山は天台宗二祖慈覚大師の創建による。
今からおよそ1150年の昔、開祖された円光寺は、当時その他に大日堂、薬師堂、西光寺、因果寺、宝林寺等の多くの諸堂があった。しかし、天文、永禄(1559年)の頃から次第にすたれはじめ、元禄2年(1689年)には、現在の円光寺だけとなった。
仁和3年(887)~寛平9年(897)代に精舎の創建を見るに至ったと伝えられている。当時は、宇多天皇の宇多をとって宇多寺と呼んだ。(2014年3月29日)