真木山 長福寺(美作市真神)
長福寺の文化財 (2015年7月4日取材)
当寺は奈良時代の天平宝字元年(757年)女帝孝謙天皇の勅願により、唐の鑑真和尚が真木山頂に開基し、弘安8年(1285年) になり天台宗の円源上人が中興した。明徳年間(1390年頃)に真言宗の寺となり、山上に65坊が建ち並び隆盛をきわめていたが、享保16年(1731年)寺領を30石に減らされたため、僧坊を22ヵ寺に合併した。その後明治維新で4ヵ寺となり明治9年奥の院の長福寺ただ1ヵ寺となった。大正14年焼失 し昭和3年現在地に移転した。(文:長福寺案内板より)
池の中には可愛いスイレンの花と人面魚のような鯉が泳いでいました。
鐘楼門
長福寺は、奈良時代の天平宝字元年(757年)女帝孝謙天皇の勅願により、唐の鑑真和尚が開基されたと伝えられる真言宗の名刹です。
この寺は、もとは真木山の山上にあり、盛時には60余坊が建並んでいたと伝えられていますが、度重なる火災で衰ろえ、昭和3年三重塔だけ残して現在地に移しました。そして塔もいたみがひどくなり、解体修理で昭和26年に現在地に移しました。この塔は県下最古の木造建築物で、鎌倉時代の様式をよく伝え、国の重要文化財に指定されています。環境庁・岡山県(看板より)
三重塔とアジサイの花が咲いていて美しい景色でした。
所蔵の国指定重要文化財は次のとおりである。
十一面観音立像 明治34年指定
長福寺の本尊で像高2.58m、檜の寄木造り、風貌は豪放で平安初期行基の作と伝えられている。
三重塔 大正10年指定
3間4面、こけら茸、棟札には鎌倉中期弘安8年(1285年)の再建と記され、県下最古の木造建築である。全体の均衡がよく、細部も雄大堅実でよく鎌倉時代の特色をしめしている。昭和26年解体し山上より現地に修理移築した。総高22.07mである。
十二天像図 12幅 明治34年指定
従1.10m、横0.37mの絹本著色画で、帝釈、水、焰摩、毘沙門、伊舎那、風、羅刹、火、梵、地、日、月の十二天からなり、南北朝時代増吽の作と伝えられている。
両界曼荼羅図 2幅 明治34年指定
従1.65m、横1.25mの絹本著色画で、胎蔵界、金剛界の二幅からなり室町時代、梅岡備後守りの作である。
不動明王像図 1幅 明治34年指定
従1.34m、横0.74mの絹本著色画で、平安時代の春日基光の作と伝えられている。
昭和55年3月
平成27年6月改
真木山長福寺
美作市教育委員会