風月軒
衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が 藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に 「衆楽園」として命名されました。
衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。
池は中島と中島にかかる橋によって、大まかに三つの水面に分かれており、北の池は東と北から築山が迫るなど、深み のある物静かな景観を作り出し、余芳閣 の2階からは、このような奥行きのある風景の背後に、はるか東方の山並みを借景として望むことができます。これに対して、中央から南の池は、池をめぐる道 づたいに広々とした水面の風景を楽しむことができます。
平成14年6月には国の名勝に指定されました。大名庭園としての国の指定は、岡山市の後楽園に次いで岡山県下で2例目です。
今は一般開放(入園無料)され、四季折々の美しさを見せ、市民や観光客に親しまれています。(文:津山市HPより)
紅葉するととても綺麗です。(2014紅葉・2012紅葉・2010紅葉・2009紅葉)
風月軒の周りの景色(2008年の取材はこちら)
風月軒の中を丸窓から望む
壁に架けられた額は津山出身の彫書家・彫無季氏の弟子の齊木丘菫さんの書
風月軒