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取材記事内を検索ワード「山」で検索した結果,3453件の記事が見つかりました。

大石内蔵助邸の長屋門

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大石邸長屋門 この門は、浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋である。門口約二十六・八メートル、奥行 約四・八メー トルの建物で、屋根瓦には双ツ巴の大石家の家紋がついており、元禄の昔に思いを馳せ、内蔵助の偉業を偲ぶ唯一の建物となっている。かっては、内蔵助と主税 の父子が朝夕出入りし、又元禄十四年三月主君の刃傷による江戸の悲報を伝える早打ちがたたいたのもこの門である。
 安政三年(一八五六年)に大修理が行われ、大正十二年国の史跡に指定された。
 更に昭和三十七年に屋根の大修理を行ったが老朽甚だしく、昭和五十二年十一月から国、県及び市の負担により、総工費三、一三八万余円をかけて全面解体修理を行い、昭和五十三年十月末に復元完了した。 赤穂義士会(文:説明板より)

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神崎与五郎と勝間田宿、下山本陣

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 忠臣蔵といえば、赤穂浪士の復讐の物語で、全国津々浦々まで知れ渡っている。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのが、元禄15年12月14日であったため、現在に至っても年の瀬が近つくと、必ずといっていいほどメディアによって放映さている。
 私が太平洋戦争のさなかに勝間田国民学校に在学していた頃、毎年12月14日には、先生に引率されて、黒土地区にある赤穂浪士の1人神崎与五郎の両親の墓参りをしていた。その頃から神崎与五郎が私たちの郷里で、家族と共に何年か過ごした後、播州赤穂藩に仕官したのどということが分かり、子ども心にも誇らしく思っていたものである。
 神崎与五郎則休は、美作津山藩主森家に仕えていた神崎又市光則を父として、寛文6年(1666)津山城下で生まれた。生母は元禄3年(1690)8月に病没し、津山市愛染寺に葬られている。

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義士木像法安殿・義士宝物殿別館(大石神社)

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 大石神社の境内にある義士木像法安殿なのですが、ここには神崎与五郎と茅野和助の木造があるとお聞きし、神崎与五郎や茅野和助がどのような姿だったのかを知りたいと思い訪ねてきました。
 説明板によると、「大石神社境内には四十七士の討入り関係遺品、浅野家・大石家に伝わる宝物を展示している義士宝物殿・同別館、義士自刀二百五十年を記念 し当代一流の彫刻家による浅野長矩像を始め四十七義士の木像を納めた義士木像法安殿、大石内蔵助邸長屋門・庭園の四ヶ所が資料館として拝観できる。」だそうです。

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毘沙門天 柴灯大護摩供 愛染寺(西寺町)

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2016年2月7日(日)午前8時30分から津山市西寺町の愛染寺に於いて毘沙門天王初詣が行われました。毘沙門天とは、戦勝祈願や現世利益をもたらす財宝、福徳の神様です。この日は朝から厄除祈願、諸願成就、商売繁盛、進学成就などを祈願する参拝者で賑わいました。本堂での大般若経転読の後、境内で行われた柴灯大護摩供。風もありもくもくと上がる煙を避けながら護摩木が次々と炎の中に投げられました。また、甘酒のお接待や津山鶴丸太鼓の奉納もあってほっこりしました。

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神崎与五郎・茅野和助直筆の書状が明顕寺にあった。

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真宗 大谷派の寺院、超日山 明顕寺(2015年3月15日撮影)
「忠臣蔵」で知られる赤穂義士の1人、神崎与五郎(1666~17033)が妻に宛てた直筆の手紙や、借用書など7点の史料が明顕寺(相生市陸本町)で発見された。今までは「赤穂義士の神崎与五郎関係の書状」と聞かされていたが、一般に公開されたことはなかったそうです。神崎は城明け渡し後、元禄15年春に江戸へ下向するまでに那波に移住。同寺は同年に那波の得乗寺から分寺したとされるため。
 与五郎は江戸で商人を装い、吉良邸の奉公人らから内部の様子を聞き取るなどして討ち入りに貢献したとされる。(情報提供:真宗 大谷派の寺院、明顕寺)

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グラスハウス附近冬散歩

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2016年1月31日グラスハウス周辺をお散歩してきました。そこで、中睦ましいシルエットにほっこり!
それに、冬だというのにトリムの森では子ども連れで賑わっていました。子どもは風の子、年配者はお散歩。広いグリーンヒルズ津山を散歩すると丁度アップダウンもありで運動不足な方にはおススメです。(前回の取材はこちら)

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第36回 津山市医師会美術展

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2016年2月17日(水)~21日(日)までアルネ津山4階文化展示ホールに於いて「第36回 津山市医師会美術展」が開かれました。目をみはる写真や絵画、手の込んだちりめん細工、鮮やかな色のブリザーブドフラワー、ステンドグラス等々を拝見してきました。

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昔のくらしあれこれ館(河辺)

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 津山市河辺の清水さん宅に昔からあった日常生活用品、農作業用具や新たに収集した古民具などを自宅の納屋の一室を整備し「昔のくらしあれこれ館」として、平成23年11月から展示している。
 展示室は、自宅とともに希望者には開放している。
 津山市立河辺小学校の3年生が毎年、社会科の校外学習で見学に訪れており、当主の清水さんは、展示をしている物の説明をしている。子どもたちは、各々の展示品に興味を示し、昔の五右衛門風呂の説明で薪を燃やし風呂をわかしていたことや煙突があったこと。また、庭先にある井戸の話をすると、めずらしそうに井戸をのぞき込み「どうなっているの水がきれい、どうして汲むの」とたずねる者もおり、煙突や井戸も知らない子どもたちが多くいることに時代の流れを感じると話していた。(文:河辺の歴史を考える会発行の河辺のむかしと今より)(2016年2月19日撮影)

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文化財めぐり(本源寺)

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  2015年12月6日(日)津山郷土博物館友の会 第107回 文化財めぐり「森長継の生母 渓花院ゆかりの史跡探訪」があり、本源寺(森家墓所)を拝見してきました。
 本源寺(森家墓所)
 本源寺の由緒:山号は東海山、臨済宗東海派。元は足利尊氏が創建した神戸村の萬松山安国寺。森忠政の美作入国時に小田中に移転。慶長12年(1607)忠政夫人の於岩が没すると西今町の北方に埋葬され、ここへ再び安国寺を移転し龍雲寺と改称、森家から200石の寄進を受けて菩提所となり、元和年間に山号が東海と改められた。寛永11年(1634)に京都で急逝した忠政は大徳寺三玄院に葬られたが、津山の龍雲寺にも供養墓が建立された。天和3年(1683)忠政の50回忌に当たり、法名にちなみ本源寺と改称。(矢吹正則『津山誌』参照)

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2016年「勝山のお雛まつり」

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 町並み保存地区を中心とした勝山市街地で2016年3月2日(水)~3月6日(日)まで開かれた「勝山のお雛まつり」は訪れる人びとをわくわくさせてくれます。旧出雲街道として栄えた勝山の民家らしい風景が今年のメインビジュアルだそうです。今年はいろんなお家の中を拝見させていただき発見することが多い勝山のお雛まつりでした。まず、河川敷の駐車場があんなに広かったとは知りませんでした。(2016年3月5日撮影)

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