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取材記事内を検索ワード「池」で検索した結果,313件の記事が見つかりました。

浄水場(草加部)

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 草加部に浄水場ができたのは昭和50年です。
 従来加茂川には5つの井堰があり、高野、河面、河辺の水田を養っていました。津山市ではその頃、市街地の拡大により、新たな水源の必要性が高まっていました。また、農業者も大阪方面へ農産物の出荷をする計画が持ち上がる中で、生産性の向上のため、農業の近代化が大きな課題でした。そこで津山市、地区水利組合、国県など関係者が井堰を1箇所に統合し、農業用水のパイプライン化(農業用水合理化事業)や、農地の宅地化が進む中で余剰となる農業用水を水道水源へ分与することで一致しました。この事業は全国的にも画期的な事業でした。
(文参考:むかし高野)2015年4月2日取材

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2015年 衆楽園のさくら

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2015年4月2日の衆楽園のさくらです。
  衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より衆楽園の紅葉の様子はこちらから

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【津山人】箕作秋坪(1825-1886)のエピソード

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【津山人】箕作秋坪(1825-1886)

 箕作秋坪は1825(文政8)年に菊池士郎と多美の二男として備中国下呰部村(あざえむら)に生まれました。13歳で父を亡くしますが、17歳頃から父の旧友・稲垣研嶽(いながきけんがく)の下で漢学を学び、さらに江戸へ出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)に弟子入りしました。

 1849(嘉永2)年には、大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)の適塾に入門。この時にはもう箕作家の養子になることが内々に決まっていたようです。翌年、藩に正式に養子として認められ、さらにその翌年、江戸へ戻って阮甫の三女つねと結婚。新進の医師として活動を始めました。この時秋坪は27歳でした。

 翌1852(嘉永5)年には、藩主松平斉民(まつだいらなりたみ)のお目見えもいただきました。

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津山城(鶴山公園)の冬

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2015年1月2日正午過ぎに雪が解けてきたのでやってきました。入り口でお聞きしたら雪を冠った津山城(鶴山公園)を撮りに朝から大勢のカメラマンが来られたそうです。入り口を過ぎ、ふと上を見るとこの石垣はスマートなんだと気付き写してみました。冬の鶴山公園も素敵ですね。

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2015年の衆楽園、明けましておめでとうございます。

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2015年1月2日、明けましておめでとうございます。昨年はこの「津山瓦版」というローカルなサイトを見て下さった大勢の皆様に厚く御礼申し上げます。皆様にとって今年が幸多からんことをお祈りし、本年も何卒よろしくお願い申し上げます。
 さて、元旦にかけて雪が降ってとても寒い年明けとなりましたが、それでも昼間は道路の雪も溶けたので津山を代表する観光地「衆楽園」まで行って来ました。

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『吉田牧場の阿部真理子』展 (M&Y記念館)

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『吉田牧場の阿部真理子』展2014年11月8日(土)~2015年1月18日(日) ※年末年始(12/28~1/4)は休館
 今回の作品展は、見ていると阿部さんの人柄がわかるようでした。広告なのに、可愛くて、楽しくて、それでいて自由で大きく羽ばたいている作品が多くて心が温かくなります。

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2014年 衆楽園のもみじ

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 衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が 藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に 「衆楽園」として命名されました。

 平成14年6月には国の名勝に指定されました。大名庭園としての国の指定は、岡山市の後楽園に次いで岡山県下で2例目です。
 今は一般開放(入園無料)され、四季折々の美しさを見せ、市民や観光客に親しまれています。(文:津山市HPより抜粋)2014年11月16日取材

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『吉田牧場の阿部真理子』展

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作品展(1F展示室) 『吉田牧場の阿部真理子』展

 阿部真理子さんはイラストレーター、絵本作家として活躍も、2010年に51歳で亡くなりました。

都会的センスにあふれた絵柄で雑誌、新聞などで活躍し、絵本「ボクがこんなにふとった理由」、池澤夏樹さんとの共著「メランコリア」など数多くの作品を手がけました。

 全日空機内誌「翼の王国」での連載「新・名物礼賛」で吉備中央町の吉田牧場を訪れた阿部さんは、ここを気に入り、以後何度も訪問し、同店の壁面に多数のイラストを残しています。

阿部さんは亡くなる前、手元に残る作品をすべて吉田牧場に送り託しました。

 今回は、吉田牧場の協力により、その貴重な作品の一部をお借りし展示します。

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久米歴史民俗資料館・民具館

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糘山遺跡群の発掘調査にともなう出土品を中心に、久米廃寺・宮尾遺跡などからの出土遺物を写真パネル・レプリカ・模型などにより概ね時代順にコーナーを設けて展示しています。また、民具館では明治から昭和中期にかけて、久米地域で使用された生活民具・農具等を約300点展示しています。津山市中北下1271番地 (津山市久米公民館南隣)2014.9.17

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旧勝間田郷土美術館(勝央町)

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明治45年に勝田郡役所として建築した擬洋風建物、元勝央町役場庁舎。勝央美術文学館は、明治から昭和にかけて我国の芸術文化の一翼をになった本町出身の画家・文学者らの仕事を顕彰するための施設として設立したものです。所蔵コレクションは、昭和58年に役場旧庁舎を改装、開館した旧郷土美術館のものがベースとなっています。
所蔵作品・資料中心の常設展示をはじめ各種企画展や、特別展等を実施。また、ギャラリー等では地域を拠点に活躍する芸術家の作品発表の場として、また各種普及講座を実施し地域に開かれた芸術創造空間をめざしているそうです。(文:2007.7.17取材時のもの)

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