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取材記事内を検索ワード「秋」で検索した結果,492件の記事が見つかりました。

10月のイナバ化粧品店

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2017年10月15日はイナバ化粧品店のすぐ前の川崎八幡様秋祭りの日です。この日は残念ながら小雨が降っていて肌寒い日になりましたが、ダンジリは元気に町内を練り歩いていましたよ。ママからお聞きすると、昨日の宵祭りが綺麗だったこと、また、お祭りが年々寂しくなっているとのことでした。どこの町内も一緒ですね。外は雨でもイナバ化粧品店内ではお馴染みのお客様もおられて賑やかでした。突然ママが「あっ!そうじゃ、津山を宣伝せなゃ~いけんが!」と、グリーンヒルズの散歩の写真を提供してくださいました。サービス精神一杯のイナバママです。

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多禰神社(津山市種)

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多禰神社(旧村社)、主祭神:天児屋根命、例祭:十月十日、境内地:四二二坪、主要建物:本殿・拝殿・社務所
 由緒沿革 本神社創建年月由緒等不詳。もと春日神社、八幡神社、荒神社が各地に鎮座していたのを、元禄十二年十二月 村の中央の宮山の地に合祀して、多禰神社と改称した。
(文:『岡山県神社誌』より)(2017年10月9日撮影)

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赤白の彼岸花が綺麗でしたよ。

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川崎の緑地公園近くの土手に咲いた紅白の彼岸花が今年も美しく咲いていました。秋の彼岸の頃に忽然と現れて、真っ赤な花を咲かせるこの花は〔葉見ず花見ず〕とも呼ばれ、葉は花の時期にはなく、花が終わると伸びて来て秋から春まで生い茂ります。(2017年9月30日撮影)(2015年9月23日撮影

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八頭(やかみ)神社の秋祭り

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八頭(やかみ)神社の秋祭りが2017年10月1日(日)にありました。この秋祭りは津山市の中で一番早い秋祭りだそうです。ちなみに夏祭りも一番早いそうですよ。ここを皮切りに津山の秋祭りが始まります。八頭様はアルネ津山の西側に鎮座されておられます。
 八頭神社は新職人町・桶屋町・新魚町・吹屋町の四町内でお祀りしているそうです。お祭りは毎年焼き鳥をしたり賑やかに執り行われています。今年は、「城西まるごと博物館フェア」、「サンビオ・マルシェ」、「健康フェア」があり、津山の街中は賑やかな日となりました。

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2017「衆楽園の観月会」がありました。

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2017年10月5日(木)衆楽園(迎賓館と周辺広場)で、17:30~「衆楽園の観月会」がありました。今宵は曇り空で残念ながらお月さまは見えなかったのですが、邦楽とオカリナ、ベトナム音楽、琴や篠笛の演奏、そして観月俳句会やお茶席が設けられていました。秋の夜長の三味線、箏や尺八の音色が衆楽園内に響きわたり、幻想的な夜でした。

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第18回 観月と邦楽の夕べ

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2017年10月04日(水)(18:45~20:45) 鶴山公園動物園跡で、鶴山を考える会主催の「第18回 観月と邦楽の夕べ」がありました。この日は曇り空でしたが、時折見える中秋の名月を背景にした邦楽の夕べはとても幻想的で素敵なひと時でした。(第15回の様子)(第16回の様子)
謡 喜多流 津山喜多会の「高徳」、鶴山プロジェクションマッピング研究会の鶴が舞う~今昔津山の音彩、大島良子・宮川洋・先本潤子さんの月の夜に贈る和洋のしらべ、津山JC創立60周年記念観月スペシャルチームの和っしょい津山~鶴山観月バージョン等がありました。また、茶道裏千家淡交会津山青年部のお茶席が設けられていました。

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JR津山線弓削駅駅舎(岡山県最古の駅舎)

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 2017年9月15日に近くまで来たので、岡山県で最も古いとされる弓削駅に立ち寄って来ました。
 弓削駅駅舎は、岡山県最古の木造駅舎で築後115年を迎えた。
 弓削駅がある中国鉄道津山線(現在のJR津山線)は、県下で二番目の路線として1898(明治31)年12月21日に、岡山市駅から津山駅(現在の津山口駅)間が開通した。駅舎は、床面積に大小はあるが形状はほぼ同じで、当初は九駅であった。現在、開通当寺の駅舎が残るのは、玉柏・弓削・誕生寺の三駅のみであるが、玉柏駅は本屋の半分が減築され、誕生寺駅は下屋の桁に補強材の追加・方杖の部材などに変更がみられる。

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片山 潜 記念館(久米南町)

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郷土の偉人・片山潜
 片山潜は1859年(安政6年)久米南町羽出木の庄屋、藪木国平(父)きち(母)の二男として生まれ、幼名を菅太郎といい19歳まで勉学のかたわら家業に精励した。その後片山幾太郎(建部町下神目)の養子となり(徴兵回避のためともいわれる)のち復籍し、さらに片山常吉(久米南町塩之内)の養子となる。この頃、名を片山潜と改める。
 1884年(明治17年)26歳で渡米、働きながら苦学し、グリンネル大学などを卒業し、その間、社会問題、労働運動に関心を持ち社会主義者となった。そして38歳の時、13年ぶりに帰国、明治30年にキングスレー館を開き社会主義、労働運動の啓蒙、普通選挙の実現や反戦平和の運動など多彩な文筆活動、実践運動に専念し日本の社会主義運動に偉大な足跡を残した。
 大正3年9月9日、日本での弾圧下を逃れて渡米し永遠に日本には帰らなかった。
 1922年(大正11年)の暮れにコミンテルの極東民族大会(ロシア)に参加して議長を務めるなど、精力的な活動を続け1933年(昭和8年11月5日13時50分)クレムリン病院で故郷羽出木の秋の空を欧州第一のトロサックスの空よりも美しいと遠く故郷に想いをはせつつ74歳の生涯を閉じた。
(久米南町観光協会)

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大山みちを歩こう会(第2区)

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2017年5月14日、「第2回 大山みちを歩こう会」に参加して来ました。お世話になったのは、主催:出雲街道 勝山宿の会さんです。当日は爽やかな天気になり、用意された観光バスは県下各地からお集まりの皆さんで超満員でした。津山からも沢山の方々が参加されていました。途中で少し急な坂を下ってきましたが、後は比較的なだらかな坂道でした。触れ合う人々も楽しい人ばかりで、孫を連れて参加された方もいらっしゃいました。歴史をたどりながら皆で歩くのは楽しいものですね。

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徳守神社の社前にある椋の木

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 西寺町と茅町との境になる裏通りに若宮神社がある。鳥居の内に二間四方の小さな社殿があるが、この家の中から大木が生えている。樹齢四百年と言われ、優に二抱え高さ二十㍍に及ぶ椋の木である。
 この木は徳守神社の社前にある椋と兄弟木という言い伝えがある。その神木伝説があるから社殿と一緒に残ったわけで、四百年ならば、築城記念の中に加えなければなるまい。徳守神社の表の石垣にもたれる椋も大きいこと周知の通りである。(文:故 白石哲氏)(2017年4月23日・24日、9月2日撮影)

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