2013 道の駅久米の里「仙人まつり」がありました。
2013年4月28日(日)、9:30~15:00まで道の駅久米の里で「仙人まつり」が行われ、大勢の家族が来られていました。可愛いポニーちゃんにも出会えたし、地元の生産者のみなさんの「ちんどん劇場さん」もよかったですよ~。
2013年4月28日(日)、9:30~15:00まで道の駅久米の里で「仙人まつり」が行われ、大勢の家族が来られていました。可愛いポニーちゃんにも出会えたし、地元の生産者のみなさんの「ちんどん劇場さん」もよかったですよ~。
「なつかしの津山」池田泰弘きり絵展 3月1日(金)~3月24日(日)
江見写真館に残る昔の津山の風景を、池田さんがきり絵で表現した作品展です。
昭和初期のモノクロームの風景が、池田さんの感性により色彩豊かなきり絵作品になりました。津山の風景を知っている方から、若い方まで楽しめる作品展です。まぁ~、気が遠くなるほど細かい作業です。是非、ご自分の目でお確かめ下さい。オススメです。
棟方志功・柳井道弘記念館(M&Y記念館)
入場料:無料(2F常設展をご覧いただく場合は500円となります。)2013年3月1日(金)取材
吉井川の様子(高瀬舟です。)
津山市在住の塩山さんからご提供いただきました。(2013.1.10)
津山の様子がよくわかる貴重な写真ですね。津山も随分変ったものですね。
菩提寺略縁起
当山は、お念仏「南無阿弥陀仏」の元祖で、浄土宗を開宗されました「圓光大師法然上人」が、初めて仏教を学ばれた聖域にして、浄土宗史蹟であります。
その草創は、持統天皇(41代)朱鳥6年(692)役の小角神変大菩薩が名木の神山(那岐山)に霊地を求め、この地に修験道場を開き、後に天平年中、聖武天皇(45代)の勅願によって行基菩薩が自ら十一面観音像を刻んで中堂に安置し、「元明天皇(43代)の菩提寺」として再興開基し、七堂伽藍三十六僧坊を建てめぐらし、四宗兼学の学問道場として各地から学僧が蝟集し、その興隆数百年に及んだ。
その間"法相""天台""浄土""真言"と各宗変遷をたどり多くの名僧を輩出したが、殊に法然上人(幼名勢至丸)9才(1141)から13才まで、父漆間時国公の遺言によって、母方の叔父、勧学得業上人のもとで学問を始められた史実は、勅修「法然上人行状絵図」(四十八巻伝)に伝えられる処です。
往古の伽藍の様相を、僅かに残る中古の記録によると、'本堂九間四面""観音堂五間四面""鎮守堂四間四面""不動堂二間六面""鐘堂二間四面""通堂九間"等々記されており、広大な規模を彷佛とさせられるものがあります。
数百年の繁栄も、この地が険要であったが為、地方豪族の拠点として菩提寺城等の城砦を築き、戦国乱世に頻りに災禍を受けてついに天文2年、尼子義久の焼打によって、悉く灰燼となって以来衰微の一途を辿り、江戸末期僅かに残る草庵も焼失し、無檀、無禄につき復興のめどなしとして、一旦は廃寺となったが、法然上人遺蹟地の故、明治十年寺名再興浄土宗復宗の官許を得て作因両州近郷近在の檀越、信徒共々信心を凝して本堂再興(明治十三年)、以来現在に及んでいる。
1、本尊:十一面観世音菩薩 座像、嵯峨大覚寺から文久元年招来。
2、阿弥陀如来:芝増上寺から蔓延元年招来
3、勢至丸像:勢至丸様(法然上人幼名)の霊像で、阿弥陀如来と共に奉納された唯御一体の圓光大師少年姿、冷泉為恭の作。
4、守護神:摩利支天王を勤請し、境内の守護神として巌上に御鎮座
5、観覚塚:勢至丸様初学の師、観覚得業上人の御墓、熊谷蓮生(直実)の建立と言われる、石塔は近年の建替え。
6、大公孫樹:勢至丸様9才入山の際携えた、いちょうの杖を「我、未来に弘めんとする法門盛んならば、必ず繁生せん」と本尊に誓って挿し木したと伝えられている。
果たして念仏の興隆と共に繁茂し、目通り13m余高さ40m余の巨樹となり、昭和3年国の天然記念物に指定された。
資料提供:高貴山 菩提寺(2012年11月14日取材)
秋のススキが美しい美作河井駅にて2012年11月10日・11日 恒例のスローライフ列車の旅が執り行われました。この日は小雨が降って撮影日和とまでは行きませんでしたが、それでも2日間で約300名のお客様で大盛況でした。地元市民による「手打ち深山そば」をはじめ、今年はなんとだんじりまで出ていて美作河井駅は賑わっていました。(取材2012年11月10日)2011年特集、2007年特集、2008年特集、2010年特集
2012年11月5日・6日に美作加茂駅にてスローライフ列車を迎えてのイベントがありました。当日は大勢の報道陣も来られていましたよ。また、マニアの方を始め沢山の人がカメラを向けておられました。(取材2012年11月5日) 2010年特集、2011年特集
ここは美作滝尾駅 ふーてんの寅さんが来られた所で有名です。そして、駅の構内では歴代の帽子や作業服の展示がしてありました。ここの駅の雰囲気がすごく好きです。その昔私も友人を訪ねてよく来た駅ですが、当時も駅員さんがここで寝泊りしながら列車の安全を見守り続けていたのだろうと感謝しながらの取材でした。(2012年11月5日取材) 2010年特集、2011年特集
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天正の頃(1580年代)のことである。矢筈城主達が退城したとき、その若君が、この地で非業な死を遂げて成仏せず、村人が附近を通ると、哀れな幼児の泣き声が聞こえていたので、祠を建て、その霊を慰めた。
何時の頃からか、幼児の夜泣きを治めるのに、霊験顕たかと言われ、若宮様として、今も信仰されている。平成9年1月之再建 加茂町観光協会 矢筈城址保存会(案内板より)
若宮神社は第二代景継の若君を祀っています。若君が城を落ちる際の伝説と共に伝えられ、幼児の夜泣きをしずめる神として知られています。
(案内板より)2012年9月20日取材
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県指定史跡 久米廃寺 津山市宮尾(2012年7月3日・25日取材)
この地には「唐臼」呼ばれる古代寺院の塔の心礎があり、小字名も「唐臼」と称されていました。
この寺院跡は、この地方が古代の美作国久米郡久米郷に属していたことなどから、久米廃寺と呼ばれていましたが、中国縦貫自動車道(当時)建設工事に伴って実施された発掘調査(昭和44~46年)により、説明板にある復元想像図のような寺院のあったことが明らかになりました。このため日本道路公団と協議して高架橋に設計変更して遺跡が保存されました。
この久米廃寺は、今から約1,300年前(白鳳時代)に創建された寺院ですが、火災にあい、平安時代の前半には廃寺となってしまったようです。最盛期の寺域は東西130メートル、南北110メートルの規模で主要な建物である金堂・塔・講堂が、回廊または築地塀の中に東西に並列して立てられ、東側の一段低い谷の部分に雑房(寺院関係者の生活場所)がありました。この場所に接して東方に「宮尾遺跡」があり、掘立柱建物など22棟が発掘されました。これは白鳳時代から奈良時代に存在した「久米郡衙(くめぐんが)」の跡と考えられています。
当時の郡衙の役人(郡司)には地方豪族が任命されることが多く、彼らは権威の象徴として、寺院を造営し、民衆に誇示しました。久米廃寺の建立にも、こうした背景がうかがわれ、初期仏教文化の地方における受容の姿を知るうえで、この久米廃寺は貴重な遺跡といえます。昭和52年04月08日県指定史跡
主な出土品/仏像(塑像仏・塼仏)・青銅製相輪、蓮華文軒丸瓦その他多数
平成2年3月岡山県教育委員会(文:案内板ほか)
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久しぶりに津山線を利用し、所用で岡山へ出かけました。電車を利用するとき、いつも楽しみにしているのは津山駅地下道のポスターを見ることです。また、電車に揺られながら本を読んだり、景色をゆっくり見ることができるのは車では味わえないことですね。電車の旅いいですね!(2012年7月11日)