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取材記事内を検索ワード「社」で検索した結果,1117件の記事が見つかりました。

お食事処たかくらさん宅のお庭の花たち

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 お食事処たかくらさん宅の、奇麗に咲いているお庭の花たちを送っていただきました。そして案内役は可愛いお孫さんたちです。広いお庭には芝桜や牡丹の花をはじめ色々なお花たちが美しく咲いていますね。こんな時世だからこそお花を見ると癒されます。(2020年4月28日撮影)
前回も三宝荒神社の秋季大祭の写真を送ってくださいました。)というわけで、津山市内の皆さんも自慢の景色、歴史の写真等ありましたら「津山瓦版」迄送ってくださいね。

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初心者でも楽しめる那岐山登山

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登山は人気があるけど、なかなか一歩が踏み出せない...。 そんなあなたでも、気軽に登れる山「那岐山」。 那岐山は標高1240メートル、中国山地の主峰のひとつで氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されています。コースも色々楽しめ、小学生でも登れますので初心者の方にもおすすめです。

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春の那岐連峰

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オーエヌ工業㈱の芝桜が綺麗に咲いていました。

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 2020年4月11日・14日と津山市戸島にある津山産業・流通センター内のオーエヌ工業㈱の法面に植えられている芝桜の様子を見てきました。4月14日にはほぼ満開に近い状態でとても綺麗でした。
 社長の中村 政弘さんから、「最初は芝桜を植えたら綺麗と教えてもらい植えたのですが、2度3度失敗してようやく綺麗に咲くようになった。」と教えていただきました。
 「オーエヌ工業㈱は、ステンレス配管製品の専門メーカーとして長い伝統と実績を誇っています。なかでも主力製品の拡管式管継手『ナイスジョイント』は耐久性、耐震性に優れ、高い信頼を得て国内シェア7割を占めています。また、新規業種・分野での顧客開拓、海外市場への展開など積極的に推し進めています。」とのことです。

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産業考古学会推薦産業遺産「旧津山扇形機関車庫と転車台」

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産業考古学会推薦産業遺産「旧津山扇形機関車庫と転車台」
 旧津山扇形機関車庫は1932(昭和7)年、鉄道省工作局が通達した「扇形機関車庫設計標準図」の丙種(へいしゅ)にあたり、姫新線が全線開業した1936(昭和11)年に竣工。
転車台は1917(大正6)年、内閣鉄道院が通達した図面番号「G2-1」60フィート(18.3メートル)下路式(かろしき)で、姫新線の前身となる作備線(津山口~津山~新見間)が開業した1930(昭和5)年に設置。同施設が鉄道遺産として学術的文化的にも貴重であることから、産業考古学会により「推薦産業遺産」に設定されました。2019年6月2日

津山まなびの鉄道館では、新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言を鑑み、

感染拡大防止の観点より令和2年4月20日(月)から令和2年5月11日(月)までを臨時休館いたします。

 また、令和2年5月12日(火)より再開をする予定ですが、

今後の新型コロナウィルス感染症の影響により、

休館期間の延長や屋内施設の閉鎖、予定しているイベント等を変更する場合もございます。

こちらにつきましては、ホームページ等でお知らせいたします。

 ■津山市観光協会 公式ホームページ

http://www.tsuyamakan.jp/

 大変ご迷惑をおかけいたしますが、何卒、ご理解賜りますようお願い申し上げます。


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石燈籠と水鉢(上野田)

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 石燈籠は仏堂に献燈する用具として中国・朝鮮をへて伝わり、後に神社にも用いられるようになった。
 献燈は昼に法会を行う際、浄火としたもので、照明用具としてではなく仏前の燈明か法燈を意味するものである。
 奈良時代前期の奈良当麻寺燈籠は我が国では最も古い。はじめ堂の正面にだけ建てたものが、室町時代末期より左右一対配されるようになった。
 江戸時代から明治期にかけての形式の変化は著しく、より重量感と座りのよい四角形石灯籠に撥形の竿が利用されるようになった。(文:勝北公民館発行『勝北むらの石仏』より)

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大熊家 長屋門が復元されました。

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 大熊家屋敷跡(現津山朝日新聞社)の門が復元された。先日掲載された記事では1700年代としていたが、津山松平藩の初代家老・大熊六左衛門がここの住人になったのは1710年以降であり、それまで城内京橋門西にあった屋敷を新御殿造営に伴い転居。新築もしくは森藩時代から1世紀を経た建物を修理したと考えられる。それから約300年。明治以後150年余りの間に改修されるなどし、新聞社の業務にも使用されていた門の長屋部分は高度成長期、老朽化で取り壊された。
宝永・正徳年間(1704~13)の城下町絵図によると、大熊屋敷は現在の津山朝日新聞社に加え、土肥酒店から小野病院も含む広大な敷地を有していた。(文:津山朝日新聞2020年3月17日大熊屋敷の門復元に寄せて得能良平記事より一部抜粋)

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中山神社で咲く3月の花たち

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 2020年3月12日、お昼時間を利用して中山神社参拝に出かけてまいりました。
前日に社務所前の杏子の木が満開だったのを見ていたので、丁度晴れたので撮影してきました。また、参道両脇の樹木をよく見ると、それぞれの樹木に可愛い花が咲いていました。普段は立ち止まることもなく通り過ぎていくので気が付きませんでした。

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美作の大庄屋巡り「香山家」(野介代)

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香山家 香山太郎兵衛 東南条郡野介代村 森藩~松平藩
大庄屋まで
 香山氏は、播磨国揖保郡香山の地名によるという。康正2年(1456)山名氏の家臣となり、香山城主であった。羽柴秀吉に攻められて落城し、香山安正が美作に逃れ、高野本郷の中島隆重の婿となった。
 森藩によって大庄屋に任命され、貞享年間に川崎村から野介代村へ転居した。
大庄屋として
 貞享元年(1684)吉井川の大洪水があり、川崎村は大きな被害を受けた。翌年、森長成の命により、川崎村200余戸と川崎八幡神社高福寺を北方の丘陵や野介代村に移転した。香山太郎兵衛は、移転に反対する百姓を説得して、移転させ、丘陵の開墾に尽力した。
 元禄8年(1695)幕府は江戸の中野に犬小屋建設を森藩に命じた。その経費として特別な負担を申し出た大庄屋や大年寄の中に香山太郎兵衛の名がある。森藩改易の翌年、松平長矩が新しく津山10万石の領主となった。この時太郎兵衛は領民の代表として土居藤七と江戸へ行き祝意を表している。

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「スタジオK2」移転のため一時閉店

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 津山唯一のイベントプランニング会社のスタジオK2が、道路拡張工事に伴う立ち退きで、2020年2月24日(月・祝)をもち、一時閉店となりました。音楽好きの方々の想いでのスタジオ風景が消えるのは寂しいものです。そこで社屋が取り壊される前の3月8日のお別れ会の様子を送ってもらい写真集にしてみました。
 「敷地内でのリニューアルオープンを予定しておりますが、練習スタジオ、また、定期的なライブは現状営業再開の目途が立っておらず、暫くの期間ご不便、ご迷惑をお掛けいたします。」とのことでした。

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千代稲荷神社と赤い太鼓橋

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2020年2月21日の千代稲荷と宮川にかかる赤い太鼓橋(2009年の取材記事
 大きな赤いちょうちんが目印の千代稲荷神社(せんだいいなりじんじゃ)の本殿は津山市指定重要文化財(建造物平成15年2月17日)です。前回の取材時よりは参道の赤い太鼓橋の色が薄くなったと感じました。また、背後の樹木はすっきりして石垣がよく見えだしましたね。(嘗ては稲荷山地区に、佐平焼の登窯が五室ありました。

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