取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「桜」で検索した結果,369件の記事が見つかりました。

統合井堰(草加部)

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 成名地区は加茂川が平野になる扇状地の要のところに位置している。
加茂川にはたくさんの井堰があり上流からいえば桜橋の上手の野村井堰、桜橋下流にあった牛の子井堰、本郷橋の上手にあった福井井堰など多くの井堰がありましたが、昭和50年頃どの井堰も全部取り除き龍ヶ爪のところに統合井堰が作られ、津山市上水道に一日2万5千トンの水を分水してこの統合井堰から津山市東部地区の上水道用の水を取水するようになりました。この取水ができるまでには、多くの関係者の知恵と多額の費用がかかりましたが、5つの井堰(野村、福井、牛の子、才勝、大井手)の農業用水路は地下方式(パイプライン化)となり、各田んぼでいつでも水が取れるようになり、大変便利になりました。(文参考:むかし高野)2015年3月16日、4月2日取材

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小田中のさくら

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 小田中にある山桜(アズマヒガン)が満開です。いつもの散歩道なのですが、昨日津山朝日さんに詳しい情報が載っていたので写真に収めてきました。

「醍醐桜と同種で樹高・枝張りとも約15m、樹齢は不明」とのことでした。散歩仲間たちは一本桜と呼んで親しんでいます。また、津山城「鶴山公園」からも良く見えるのですよ~。2015年3月31日取材

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グリーンヒルズでお散歩

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2015年3月28日取材
 市内のいたる所にある公園でのお散歩がさわやかな季節になりました。老若男女がそれぞれ足腰を鍛えたり、ダイエットにもと安心して歩けるところがグリンヒルズです。もう少ししたら、お花が綺麗に咲き出し、散歩する人々を楽しませてくれます。(桜の頃)

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2015年 衆楽園のさくら

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2015年4月2日の衆楽園のさくらです。
  衆楽園は津山城の北側(津山市山北)に位置しており、庭園は南北に長い敷地で、大半を池が占めています。別邸跡の古い建物群は現存せず、それらを再現した建物(余芳閣・迎賓館・風月軒ほか)が建っています。(津山城より衆楽園の紅葉の様子はこちらから

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桜橋(津山市楢)

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 旧因幡往来が加茂川を渡るところに桜橋がある。楢部落の入り口である。楢部落は古くから物資の集散地として栄えていたところである。
 桜橋を東に渡ると川岸に立派な石垣の高燈籠がある。かつて川船の出入りしていた川船港である。加茂川の川船港としては終点である。

 森藩時代は加茂の小中原まで舟が通じていたが、松平藩の時代になり、加茂谷が天領となったので舟運は衰えている。しかし、いかだなどは通じていたようである。この港からは、川下に向かって木材、木炭、米、豆、綿、紙、油、川魚、鉄などが運ばれていた。もちろん旅人も利用している。

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『今はなき幻の天神人形さまたち』展(M&Y記念館)

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 津山は菅原道真公とは縁がある地域で、八出天満宮の道真公とのいわれをはじめ、旧暦の3月3日には男の子の節句として天神様の土人形を飾る風習もあります。
 今回は、全国各地で廃絶した土人形のさまざまな形や表情の天神様が一堂に展示されました。〔1/24(土)~2/15(日)まで開催されました。〕取材2015年2月15日

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2014年 衆楽園のもみじ

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 衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が 藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に 「衆楽園」として命名されました。

 平成14年6月には国の名勝に指定されました。大名庭園としての国の指定は、岡山市の後楽園に次いで岡山県下で2例目です。
 今は一般開放(入園無料)され、四季折々の美しさを見せ、市民や観光客に親しまれています。(文:津山市HPより抜粋)2014年11月16日取材

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