
明治時代に「押入」と「小原」に温泉があった。

神田 神田稲荷様(小田中)

山形弘記念館

盆踊り大会と仏送り(西小学校)

2015年7月19日(日)≪前回の取材:2009年・2009年秋紅葉・2010年元旦・2010年・2011年夏・2011年秋まつり・2012年春・2014年桜・2014年夏・2015年冬・ ≫
小田中は湖水面が広がっていたと考えられる。材料として、苫南郡田中郷小田中村(現、津山市小田中)に所在の「白神社」(通称、しらかみさま)が ある。白神社は、天照天神、正哉吾勝尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊、鵜草葺不合尊の地神五代を祭神として祀ると伝へられるが、この白神社の末社である「月輪 神社」の存在は無視することの出来ない重要なものである。
月輪田稲荷 祇園社
『作陽誌』によれば、この月輪神社は
或いは月和田と号す。もと湖神に名づく。白神の本殿、もと此の地に在り。今は墾きて神田と為す。傍に小社を安んず。月輪神社と為す。按ずるに日本紀に曰く。天照大神は以って高天原を治むべきなり。
月読尊は以って滄海原潮之八百重を治むべきなり、云々と。此の社月輪を以って号と為す。或いは潮神と謂う。又月影宝箱あり。然らば則ち本殿は月読尊を祭るの説、固より因あるか。
と説かれてゐるからである。この中で特に重要なのは、この神社がかつて「潮神」と呼ばれたとの伝承を有することであり、境内を「墾きて神田」にしたといふことである。
一体、小田中は、津山市街地の外れに当たり、推定湖水の限界線上に位置する。かかる小田中地区に「湖神」すなはち「潮の守護神」と思しき神社が祀られてゐ たといふ伝があるのである。したがって、この『作陽誌』に所載の伝によって、却つて、同地区に及ぶ湖水が存在したと考へられてくる。また、祭神を月読尊と 伝へるにしても、山国美作に月読尊が祀られる可能性は、「「潮神」と呼ばれた伝と合はせて、「滄海原」の統治者としての性格の中に見出すことが、より妥当 であらう。この場合、「滄海原」が推定湖水の存在にあることは言ふまでもない。
そして、比較的平野部である小田中地区が「墾きて神田」になったのは、この湖水が後退した跡地と考へられ、湖水が無くなるに伴って「潮神」の呼称も、単なる伝承となり終わったのである。
文:「美作」国名と高野神社 八木意知男 昭和五十一年三月一日発行 神道史研究(第二十四巻 第二号)抜刷
随身門は入母屋造、本瓦葺で文久2年(1862)竣工という。
木造随身像
白加美神社社殿は津山市指定重要文化財(建造物)
白加美神社社殿
末社多賀神社社殿(津山市指定重要文化財)
末社多賀神社社殿
子どもたちが作った灯ろう
花火が始まりました。
今年も大勢の子どもたちがやってきました。
(2015年7月19日取材)