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美作の大庄屋「福本家」

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福本善兵衛 久米北条郡坪井下村 森藩~幕府領 挙母藩(ころもはん)
大庄屋まで
 家伝によれば、福本家の先祖は原田氏である。原田行佐の二男政次が坪井村の笠森神社近くに移住した。政次は、亀山城落城のとき戦死した叔父の福本藤兵衛の跡を継ぐため福本に姓を変えたという。政次の孫小左衛門は、村内の比津免(ひずめ)に移住し、後に森藩の大庄屋に任命された。小左衛門の孫文左衛門が、内藤藩の大庄屋に任命され、代々勤めた。
大庄屋として
 森忠政が、初めて領国を巡回した時小左衛門と父助右衛門が召されて、岩屋城攻めの話をしたという『大庄屋由緒調』。文化10年(1813)12月2日伊能忠敬の測量隊が止宿した。

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津山市文化協会 芸術文化祭「令和を生きる」

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 2020年2月1日・2日(10:00~17:00)津山市地域交流センター(アルネ・津山4階)にて、「津山市文化協会 芸術文化祭 令和を生きる ~人生と芸術大いに楽しむ~」というタイトルで津山市文化協会会員による芸術作品展・芸能発表会がにぎやかに執り行われました。
 体験教室では、お香の香り、手づくり匂い袋講座、子どもいけ花教室、からだ元気でこころ豊かにが行われ、イベントでは詩の朗読会、珈琲喫茶、ステージ発表がありました。
 また、ギャラリー展示(文芸・美術工芸)や華道展もあり、それぞれの団体のみなさんの力作が展示されていました。

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万燈山古墳 加茂町指定史跡 

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 万燈山古墳は直径24m、高さ4mの円墳と指定されています。昭和46年11月から12月にかけて発掘調査が行われ次のことがわかりました。
 南に開口する横穴式石室であり全長約11m、玄室長6.5m、幅2.2m~2.4m、高さ2.8mで、現在わかっているものでは、県北最大の石室です。この石室の中に組合わせ式の石棺1、陶棺1、木棺7があり、20体以上の埋葬者がたしかめられ、また羨道入口において大がめなどを破砕した葬送儀式あとが見つかりました。
 石室内からは次のような遺物が出土しました。金環21、勾玉7、管玉6、切子玉6、大玉・小玉類130、小金環2、空玉20、直刀9、刀子(短い刀)14、鉄鏃(鉄のやじり)10、馬具2組(鉄地金銅張飾具付)、馬鈴2、鉄滓及び土師器多数、須恵器の高坏5、坏21、まり(水や酒を盛った器)2、提瓶5、平瓶3、壺2、坩2、台付鉢1、大がめ1、他破片多数。(出土品の一部は加茂町歴史民俗資料館に展示しています。)
 この遺物のうち鉄地金銅張の馬具類や馬鈴は、石室の規模とともに、この古墳に葬られた人が当時の社会階層の上位にあることを示し、鉄滓は、鉄生産又は加工を行ったことを示しています。
 この古墳は6世紀後半(約1400年前)に築造され、7世紀始めまで追葬が行われたものです。

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2020 徳守神社節分祭(特殊神事 追儺式)

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特殊神事 追儺式
 追儺式とは、赤鬼・青鬼・小鬼たちが、たいまつを手にドラの音を勇ましく鳴らしながら境内に参入し一斉に拝殿に押し寄せ、それを拝殿で待ち構えていたお福や年男・年女(要参加予約)達が豆を投げて追い返し、これを三度繰り返した後、最後に年男・年女の方々が破魔矢を放ち、参集された方々を始め氏子の皆さまの無病息災・福徳招来を祈念するという神事です。 当社で古くから行われている神事で、年男・年女が放った矢を受け取られた方は特別な福徳招来のご利益を頂き、一年間無病息災で暮らせると伝えられております。(文:徳守神社HPより転載)(2020年2月3日撮影)

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2020年福力荒神大祭に行ってきました。

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 2020年1月25日(土)~27日(月)の旧正月に行われる「服力荒神大祭」にやってきました。
福力荒神社は、マムシ除(よ)けや安産に御利益があると言われる神社で、毎年大勢の方がお参りされています。道の両脇には出店が並び、参拝した後多くの方が買い物をされます。

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作州忍者「鶴山隊」(つるやまたい)

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 津山城に忍者、・・・・・・・と思いし行動開始したのが平成最後の年、31年2月22日(ニン・ニンじゃ) 津山城にて5名の有志によりスタートし、隊員同士の活動も徐々に組織的行動に移ることが出来、昨年4月8日津山城本丸にて忍者迷路中心に姫路、徳島、香川拠点に活動する忍者会の協力もえて公開演技、エフエム津山での生放送などの他県南テレビ局の取材なども頂き、広く作州忍者鶴山隊を紹介の機会も効して津山城観光の一助となったことに自信を頂きました。
 又、忍者は「学び」から原点に おくにじまん研究会長 藤木靖史さんによる津山城の魅力発見学習をはじめ、6月15日郷土史家 山田美那子先生の学習会を皮切りに元郷博物館館長 尾島 治さま講師による学習会を毎月行ってきました。
 基本は森家に繋がりのある点では、津山城内、衆楽園、本源寺、徳守神社等の現地学習はじめ西、東公民館を使用しての学習会、そして外部活動としてはお隣の「勝央金時まつり」等地域活動の一環として紹介、展示ブースを設けるとともに手裏剣体験コーナーを設けるとともに「くノ一」による「チャンバラごっこ」は子供たちに隊人気でとても好評でした。
作州忍者の広報活動としての一環として「ダンスチームベリーズ」オリジナル忍者ダンスも鶴山での初ステージに始まり勝北ふるさとまつり先般のB1グルメ明石大会等に出演し作州忍者鶴山隊の盛り上げに努めて頂いています。
 今後は、令和2年2月22日作州忍者 鶴山隊創設一周年事業に向けて具体的な行動計画を皆様とご一緒に立てながら広く市民にも親しまれる作州忍者鶴山隊としての活動に皆様と共に邁進させて頂きたいと思いますので各皆様方の一層のご尽力賜れますようお願い致します。             
                        令和2年1月吉日 作州忍者鶴山隊隊長 克丸

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弥生の里文化財センター「記念物100年展」

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碁石 美作国府跡(津山市総社)
 平安時代の後半(12世紀)に使われていた碁石です。白色または透明の碁石と黒色の碁石の2種類が出土しています。
 碁石は、現在のように真ん丸なものは少なく、ほとんどが楕円形や少しいびつな円形です。石の厚さも薄いものから分厚いものまで様々で、自然石をあまり加工せずに碁石として使用していたようです。よく使われていたのか、石の表面はつるつるしています。
 碁石は国府の建物があったと推定されている場所の近くで多く出土しているため、平安時代の役人たちの間では、休憩時間に囲碁をすることが流行っていたのかもしれません。

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2020年1月イナバ化粧品店・サムハラ神社へ

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 令和になって初めての正月を迎え、落ち着いたところでイナバ化粧品店さんへご挨拶に伺いました。
2020年1月13日の成人の日、お店の中はお昼休みで比較的落ち着いたところでした。ママは朝からサムハラ神社にお参りに行かれたお客様から色々と話を聞いておられたそうです。そこで、サムハラ神社へお参りに行こうということになり、急遽お参りしてきました。サムハラ神社では昨年も偶然お会いした方もお参りに来られていて、ワイワイガヤガヤ記念撮影をしてきました。

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八出天満宮で合格祈願祭がありました。

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 2020年1月13日、八出天満宮で合格祈願祭がありました。この日は青空の元朝早くから車で駆け付けた多くの受験生親子が訪れていました。受付をすますと順次拝殿に入り、吉田宮司からお札を受け取っていました。これから寒くなってきますので、体調に気を付けて受験に臨んでくださいね。どうぞご利益がありますように!
また、一日前の12日には境内でとんど焼きがあり、氏子の皆さんが家内安全を祈願しました。

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2020八出天満宮の「とんど祭」

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 2020年1月12日(日) 13:00 〜 14:00 八出天満宮の宮総代さんから案内を戴き、とんど焼きの行事を取材してきました。「とんど焼き」は、正月の松飾り・しめなわ・書き初めなどを各家から持ち寄り、一箇所に積み上げて燃やすという、日本全国に伝わるお正月の火祭り行事です。(2016年八出天満宮のとんど焼きの様子です。
 八出天満宮は菅原道真公が御祭神。古来この地に残る言い伝えによると、「天安元年(857年)美作の国司として赴任しておられた父是善が、この地に流行っていた疫病に罹り、父の病を心配した若き日の道真公(吉祥丸)が、遠く京都から見舞いに来られた全国の天満宮の中でも稀な縁起と最古に位置する起源を持つ由緒あるお宮である。

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