取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「津山城」で検索した結果,560件の記事が見つかりました。

第18回 観月と邦楽の夕べ

angetsu15.jpg

2017年10月04日(水)(18:45~20:45) 鶴山公園動物園跡で、鶴山を考える会主催の「第18回 観月と邦楽の夕べ」がありました。この日は曇り空でしたが、時折見える中秋の名月を背景にした邦楽の夕べはとても幻想的で素敵なひと時でした。(第15回の様子)(第16回の様子)
謡 喜多流 津山喜多会の「高徳」、鶴山プロジェクションマッピング研究会の鶴が舞う~今昔津山の音彩、大島良子・宮川洋・先本潤子さんの月の夜に贈る和洋のしらべ、津山JC創立60周年記念観月スペシャルチームの和っしょい津山~鶴山観月バージョン等がありました。また、茶道裏千家淡交会津山青年部のお茶席が設けられていました。

第18回 観月と邦楽の夕べの続きを読む

津山・城西まるごと博物館フェア2017

marugoto20.jpg

 津山城西地区の旧出雲街道沿線を「まるごと博物館」に見立て、歴史と文化を詰め込んだイベント「津山・城西まるごと博物館フェア2017」が、2017年10月1日(日)(午前10時~午後3時)開催されました。この日は曇り空の天候でしたが、全国から来られた約50店舗のアート&クラフト店と約2万人の人出で賑わいました。年々とお店も人出も多くなり大盛況でしたね。(2016年)、(2013年)(2012年)(2011年)、

津山・城西まるごと博物館フェア2017の続きを読む

元魚町の古称刻む徳守神社境内の石灯籠

sumiyoshi2.jpg

 慶長九年(一六〇四)、森忠政は徳守神社を城下の総鎮守として、築城と城下作りに取りかかったといわれる。以後、徳守さまと呼ばれて津山の人々に親しまれ、今も津山祭の中心として秋祭はにぎわう。その境内の北西の角、住吉神社の前に高さ約二㍍の二基の石灯籠が立つ。すっきりしたデザインは風格を感じさせる。左側の石灯籠に「寛文四年(一六六四)辰九月十九日古魚町」と刻まれる。右側の石灯籠には「寛文四年(文字が消えかけているが、間違いないと思われる)辰九月十九日二丁目」とある。
 寛文四年は津山城が完成した元和二年(一六一六)から四十八年後。森藩が徳守神社北側の武家屋敷の一部を町家にして、宮脇町と名付けた明暦元年(一六五五)よりも九年後。この時期に、藺田川以西の町も城下に編入されていった。城下の町々が整い、発展を見せていた時期といえる。二基の石燈籠はそうした時期に、隣接する古魚町(元魚町)と二丁目が協力して町の発展を願い、寄進したのであろうか。森藩時代の町々の記録が少ない中で、この石燈籠に刻まれた二つの町名は当時を窺わせる貴重な資料の一つと思われる。二丁目と元魚町の中では最も古い記録である。

元魚町の古称刻む徳守神社境内の石灯籠の続きを読む

若宮神社の椋の木

wakamiya-12.jpg

 西寺町と茅町との境になる裏通りに若宮神社がある。鳥居の内に二間四方の小さな社殿があるが、この家の中から大木が生えている。樹齢四百年と言われ、優に二抱え高さ二十㍍に及ぶ椋の木である。
この木は徳守神社の社前にある椋と兄弟木という言い伝えがある。その神木伝説があるから社殿と一緒に残ったわけで、四百年ならば、築城記念の中に加えなければなるまい。徳守神社の表の石垣にもたれる椋も大きいこと周知の通りである。(文:故 白石 哲 氏)(2017年4月23日・24日)

若宮神社の椋の木の続きを読む

百済市良右衛門 -作州鋳物の伝統五百七十年ー

800kudara.jpg

 司馬遼太郎の「街道をゆく」の第7巻は、古代の鉄生産をたずねて山陰路を歩いた記事をのせている。その帰途に四十曲峠を越えて作州に入り、苫田郡加茂町の黒木あたりのタタラ跡を見て回った。そこから岡山へ出る道、五十三号線の佐良山地区内のドライブ・インに立ち寄った。同行の鄭詔文さんがいつものくせで電話帳を借りて来てめくっているうち、津山市内に「百済姓」が四軒もあるのを発見、すぐ電話連絡をしたら、百済康氏の家だった。寄って欲しいと言われ、吹屋町に引き返して系図をみせてもらった。「いかにも風趣あり」鋳物伝来の暗示をしているようで、みごとな感じをうけた。と司馬遼太郎は書いている。このみごとな感じとは、渡来者の家系を誇りとしていることを指すと思う。いうまでもないが、新しい文化を日本にもたらしたのは多くの渡来者であった。

百済市良右衛門 -作州鋳物の伝統五百七十年ーの続きを読む

宇田川興斎旧宅跡(北町) 

udagawakousai8.jpg

宇田川興斎旧宅跡 未指定(史跡) 北町8番地の7 
 津山市北町の城北橋の西詰の一角に津山市教育委員会が建てた解説板がある。ここが箕作家と並ぶ津山洋学のもうひとつの柱、洋学者宇田川家の四代目宇田川興斎の屋敷であったところである。この場所は、土地所有者本島大道より津山市が寄贈を受け、平成9年10月に整備された。興斎は文久3年(1863)から明治5年(1872)までのあしかけ11年間津山に住んでいた。この北町の屋敷の後、林田町に家を借りて住んでいるが、その場所は不明である。当時は明治維新前後の激動の時代であり、津山にいる間、興斎は東奔西走し、公私ともに多忙な日々を過ごした。

宇田川興斎旧宅跡(北町) の続きを読む

津山の商家が伝えた文人画 ~広瀬台山と飯塚竹斎~

kandake43.jpg

 「津山郷土博物館 平成26年度特別展 津山の商家が伝えた文人画 ~広瀬台山と飯塚竹斎~(苅田家コレクションより)」が平成26年10月4日(土)~平成26年11月3日(月)まで、津山郷土博物館3階展示室で開かれました。
 苅田家は江戸時代から続く商家で、その邸宅は宝暦年間に建てられたと言われています。このたび苅田家からその邸宅を津山市に寄付されることになり、それに合わせ苅田家で所蔵していた古文書や書画類の多くが寄贈されることになりました。この書画類の中には、津山を代表する文人画家広瀬台山や飯塚竹斎の作品も数多く含まれています。
 この展覧会では、苅田家の書画類の中から広瀬台山と飯塚竹斎の文人画にスポットを当て、津山の商家が守り伝えてきた絵画コレクションの一部を紹介します。(文:津山郷土博物館チラシより)(2016年10月4日撮影)

津山の商家が伝えた文人画 ~広瀬台山と飯塚竹斎~の続きを読む

B'zコンサート前日の津山文化センター

bunka7-21-12.jpg

 2017年7月21日の津山文化センターです。午後2時過ぎには既にB'zのトラックは到着していました。初めて見るトラックに興奮する子ども連れのお父さんやファンの方です。この日は良い天気に恵まれ、時折吹く風が涼しく感じられました。それに津山城の石垣も緑の木々と美しくコラボしています。また、会場となる文化センターは、静寂な中にも美しい姿でまわりの景色と一体となって公演を待ちかねています。

B'zコンサート前日の津山文化センターの続きを読む

おもてなしイベント(文化センター会場)

omotenashi-bunka1.jpg

2017年7月22日のB'z津山公演のおもてなし会場のご案内です。
 「公演当日は、混雑が予想されますので、津山市内でご近所の方はなるべく、乗り合わせや徒歩で移動をお願いします。」との要望がありました。また、津山文化センター近くでも様々なイベントもありますので併せてご案内してみますね。

おもてなしイベント(文化センター会場)の続きを読む