取材記事内検索

取材記事内を検索ワード「刀」で検索した結果,130件の記事が見つかりました。

内構(草苅氏居館跡)

monomi31-1.jpg

内構(草苅氏居館跡)
 内構(うちがまえ)は、標高756mの矢筈山の北西山麓に位置する津山市加茂町知和の大ヶ原に、戦国時代につくられた矢筈城(高山城)主草苅氏の大規模な居館跡です。
 その広さは、『東作誌』では「三反七畝十五歩とあれども甚だ宏し」と記され、『苫田郡誌』では「千五百余坪」と記されるなど、かなりの規模の居館があったことがうかがえます。
 内構のある「大ヶ原」は、江戸時代には「臺ヶ原」あるいは「台ヶ原」と記されいたことからもわかるように、城主草苅氏の居館は、周囲の地形より一段高い広大な平地に建てられ、居館のすぐ北側を流れる加茂川が堀の役目を果たしていました。
 『苫田郡誌』には、「草苅氏在城の当時は城下頗る(すこぶる)繁盛せり、今なお地中より刀剣瓦片等の遺物を発掘することあり」と記されており、内構には「石垣」や「虎口(こぐち)」等の遺構が今も残っています。
(内構は、平成18年3月17日付で岡山県指定史跡となった矢筈城跡の一部に含まれています。)
矢筈城跡保存会・津山市教育委員会(文:現地看板より)(2022年9月18日撮影)

内構(草苅氏居館跡)の続きを読む

津山郷土博物館企画展「郷土の刀剣―新刀から現代刀まで」

2022-3-11touken2.jpg

 2022年2月19日(土)〜 2022年3月21日(月)まで、津山郷土博物館3階展示室で、津山郷土博物館企画展「郷土の刀剣-新刀から現代刀まで」が開催されました。
日本美術刀剣保存協会岡山県支部津山分会の協力のもと、江戸時代初期、津山藩の12人の刀工によって作られた新刀から、現代の刀工によって作られた現代刀まで、郷土津山ゆかりの刀剣類など37点が展示されました。(2022年3月11日撮影)

津山郷土博物館企画展「郷土の刀剣―新刀から現代刀まで」の続きを読む

山田方谷生家址(高梁市)

2021-4-11houkokuseika2.jpg

 1805年(文化2年)2月21日方谷先生は、この地で産声をあげました。父は山田五郎吉重美(山田家26代)、母は梶、身分は百姓(村方三役の長百姓)で菜種油の製造販売で生計をたてていましたが、家計は苦しくとも元は武士である、との強い気概を持って日々の生活を送っていたのです。
  幼名は、「阿璘」、本名は「球」、通称「安五郎」、小さい頃両親は、呼びやすいように「おりん」と呼んでいたようです。なお先生の兄弟は妹「美知」さん(先生8才の時死亡)、弟「平人槌平」さんの3人でした。きびしい家訓の下、(衣類は木綿に限る・酒のたしなみは無用のこと・・・等々)3才のころより読み書きを両親が厳しく教えた訳は、山田家を再興したいとの強い志があったからであり、先生はこのことを常に頭に置いて勉学に励み、両親の要望に応えようと努力を惜しまず、その能力をいかんなく発揮したのです。

山田方谷生家址(高梁市)の続きを読む

つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース(1)

2021-11-21doisyku9.jpg

 はじめに
 出雲街道とは、播磨の国、姫路に端を発し、出雲の国、松江に至る約215Kmの古道を言う。また、一説によれば松江の先、出雲大社とも言われている。
 大和朝廷が、武力で全国を平定としたのに対し、出雲は神話に登場するが如く、平和裡に国譲りが行われ、朝廷より優遇され、鉄の産出も始まり、街道は繁栄してきました。
 街道は人、物、文化を運ぶ役目を果たし、その重要性は五街道(東海・中仙・甲州・日光・奥洲)に匹敵し、同等の街道として発展してきました。
 その後の街道は時代と共に、道筋は変遷、消失を繰り返していますが、現存している道で2コース有る場合は、合理性が高いか、最も古い道を採用しています。
 今回の「つながる出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会は、特別企画 第4弾として、万能乢より江見までを、「勝間田宿の会」を主催者にして、「土居宿を後世にのこす会」と「勝山宿の会」とで共催して開催いたします。また、万能乢コースと別に、古代より開けた「杉坂峠コース」がありますが、このコースは又の機会に譲り、参勤交代が始まった江戸中期(慶長9年頃)より、土居宿が設置され「万能乢コース」が開発されたので、今回は同コースを歩きます。(文:特別企画(第4弾)出雲街道(Ⅱ)を歩こう会 主催:出雲街道 勝間田宿の会、共催:土居宿を後世にのこす会・勝山宿の会案内より)

つながる「出雲街道(Ⅱ)」を歩こう会 万能乢コース(1)の続きを読む

作州忍者鶴山隊の活動の様子

2021-12-18ninjya7.jpg

 「七福神もちつき 縁起年の瀬市」が、2021年12月18日(土) 10:30 〜 15:30がソシオ一番街にて催されました。この催しに急遽お呼びがかかり、馳せ参じた作州忍者鶴山隊は催しを盛り上げるため、食べたり、買ったり、会場内を回り子どもたちとの撮影に応じたりと大活躍でした。
 この催しは、津山市周辺の県北東部に七福神をまつる寺があることから、寺の住職が開運や疫病退散を祈願しておはらいをしたりする催しで、地元の地域おこしのグループなどが、新年に向けて開運と疫病退散の願いを込めた餅つきなどをして市民との交流を深めました。

作州忍者鶴山隊の活動の様子の続きを読む

土師山 無量壽院 圓福寺(美作市)

2021-9enmyoji12.jpg

土師山 無量壽院 圓福寺
 寺伝によると、天平11年(739)に行基菩薩が聖武天皇の勅により開創、自ら一刀三礼の本尊無量壽如来と観音・勢至の脇仏を刻み安置されました。
 住古は、堂塔伽藍の整った大刹でありましたが、戦国乱世に兵火により、そのすべてを失いました。
 十六世紀の中頃、宇喜多直家の時代に再興され、ほぼ旧容に復興されましたが、明和5年(1768)並びに明治2年、火災に遭い、明治初期以来再建され、昭和59年に本堂、平成10年に庫裏・客殿が建立されました。
四国八十八ヶ所霊場
 境内より、約八百メートルで一周できる、四国八十八ヶ所霊場を平成12年に開創しました。各札所のご本尊を舟形の石造仏にしてお祀りしています。
 山中ですが、道中に芝桜や紫陽花等の草花や桜・紅葉を植樹し、修行大師もお祀りしています。
(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年9月19日撮影)

土師山 無量壽院 圓福寺(美作市)の続きを読む

金刀比羅宮の秋祭り(加茂町)

2021kotohitagu11.jpg

 2021年10月10日は加茂の金刀比羅宮の秋祭りの日ですが、今年も昨年に続き新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、神事のみ行われたようです。


 日詰山には、寛文年中、四国金刀比羅宮の分霊を奉還し安置す。明治42年、宇野原口、楢井行重、百々、中原成安、才ノ谷社を合祀し安置す。大三輪大明神、惣道天明神、大山祇社、大月大明神、日野目大明神、末社には19の命を祭り奉還す。
相殿に大物主命、速玉之男命、伊弉冉命。
・神を祭祀せば=悪い病いのたたりなくなると言う。
・神を祭祀せば=農耕、養蚕、織物を治め一番大切な祖神がある。
・神を祭祀せば=心おちつき事に当たりなしとげらるるという。末社、荒神社は安産の神、稲荷神社に商法の繁昌、木山神社山の神、末社多くの神々を安置す。広く県外からも参拝し祈願者も多い。
金刀比羅神社(案内板より)加茂の金刀比羅宮(2011.6.25取材)昭和52年4月氏子等によって再建

金刀比羅宮の秋祭り(加茂町)の続きを読む

瑞應山 寶珠院 蔵寶寺(美作市)

2021-10zouhouji14.jpg

瑞應山 寶珠院 蔵寶寺
 当山は、天平年間に行基菩薩によって開創されました。
 行基は時の帝であった聖武天皇が発願された東大寺大仏建立の勧進のため、当地に錫を向けられました。その際、宿を乞うあてもなく夜を迎え、野宿をされました。行基は旅の疲れのためすぐに眠りにつきましたが、ふと感じるところがあり目を開けられると、眼前に光明燦然(さんぜん)と輝く明星がありました。よくよく目をこらして見てますと、それは虚空蔵菩薩でありました。
 福徳を授けて下さる虚空蔵菩薩がご出現下さるとは、帝の御願成就の瑞祥とありがたく思われました。行基はご出現下さった虚空蔵菩薩のお姿を、自ら一刀三礼して木に刻み、庵を建立し御本尊とされました。
 以来、里人の心の拠り所として信仰を集め、今も日々香煙の絶えることがありません。
 弘仁年間、弘法大師もこの庵に立ち寄られ、それ以来、真言秘密の法門が当地に伝えられるようになりました。
 そして安土桃山時代の文禄年間に、行基が建立した庵の地より、約400m北方の現在の境内地に移転し、今に至っています。
 近年、境内にあるイチョウとモミジの古木の、黄色と紅色の紅葉のコントラストの妙趣は一見の価値ありと、参拝される方々に喜ばれています。
 また、境内はオキナグサやササユリ等の山野草を始め、シャクナゲ、ハス等の花々が四季を通して境内を彩っています。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年10月9日撮影)

瑞應山 寶珠院 蔵寶寺(美作市)の続きを読む

金龍山 江原寺(美咲町)

2021-10ebaraji15.jpg

金龍山 江原寺(こうげんじ)
 当山は、応永年間頃(1394~1415)の創建にかかり、「徳蔵坊」と号する修験寺でした。
 慶長3年(1598)、領主・江原兵庫祐親次が、慶長の役で朝鮮出兵の折、釜山浦で病死したため、家臣がその遺命を受け、遺骸を持ち帰り、当坊に葬りました。同時に当坊の相応の荘厳を図って「江原寺」と改称し、江原氏の菩提寺としました。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年10月2日撮影)

金龍山 江原寺(美咲町)の続きを読む