金龍山 江原寺(美咲町)

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金龍山 江原寺(こうげんじ)
 当山は、応永年間頃(1394~1415)の創建にかかり、「徳蔵坊」と号する修験寺でした。
 慶長3年(1598)、領主・江原兵庫祐親次が、慶長の役で朝鮮出兵の折、釜山浦で病死したため、家臣がその遺命を受け、遺骸を持ち帰り、当坊に葬りました。同時に当坊の相応の荘厳を図って「江原寺」と改称し、江原氏の菩提寺としました。(文:『高野山真言宗美作霊場めぐり』より)(2021年10月2日撮影)

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江原寺山門

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江原寺境内

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客殿

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本堂

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境内                      鐘楼堂

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境内

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牛頭天王

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手水鉢                     お接待の可愛いキーホルダー


江原寺縁起概要
 抑々當金龍山江原寺は、紀州高野山高祖院の末寺にして應永元年(1394)佛法の最も盛んなる足利義持公時代の創立に係り本尊大日如来の尊像は天長5年(828)高祖空海上人諸國巡行の砌り當所大谷の里なる一宇の草堂に於いて一刀三禮以って刻み玉ひしを後當山に安置せしものにて時の領主江原兵庫祐親次候の祈願に係るものなり
親次候は畏くも人皇62代村上天皇の後胤にして永生7年(1510)作州倭文の庄を領し當中山手里に居城を築き江原城と號し同年12月入城したる備前江原城主の嫡男江原和泉守佐次の嫡子又四郎久明の嫡男なり而して親次候は慶長元年(1596)豊臣太閤秀吉の朝鮮征討に際り備前大守宇喜多中納言秀家候の幕下となりて従軍し各地に轉戦其功績顕著なりしも不幸病魔の浸す處となり慶長3年5月17日釜山浦港に於いて卒す當時家臣其遺骨を持ち昄り當山に葬り時の住職徳藏坊に其の姓を授け尚ほ當山を金龍山江原寺と改称し以て以来候の菩提所と為す爾来當山は中本寺の格に位せり親次候の卒してより大正6年を以て320年を経る茲に本尊開扉の典を行うに際り親次候の300年祭及び高祖弘法大師の1100年忌執行す(文:高野山真言宗中本山金龍寺「寺の葉だより」檀徒通信No.1より)