「燃えよ剣!」のロケが津山城(鶴山公園)であった。
2021年11月28日の津山城(鶴山公園)のモミジがまだまだ美しい。
モミジの紅葉が終わりがけの頃だなぁ~と思いながら、津山城(鶴山公園)を一周してみると、まだまだ見ごろのモミジが沢山あり、感動してしまいました。今年もおかげさまで最初の頃(11月11日)と終わりがけのモミジの紅葉を鑑賞することができました。そして、なんと津山城(鶴山公園)で燃えよ剣のロケがあったそうで、どの場面か映画を観るのが楽しみです。
2021年11月28日の津山城(鶴山公園)のモミジがまだまだ美しい。
モミジの紅葉が終わりがけの頃だなぁ~と思いながら、津山城(鶴山公園)を一周してみると、まだまだ見ごろのモミジが沢山あり、感動してしまいました。今年もおかげさまで最初の頃(11月11日)と終わりがけのモミジの紅葉を鑑賞することができました。そして、なんと津山城(鶴山公園)で燃えよ剣のロケがあったそうで、どの場面か映画を観るのが楽しみです。
2021年8月8日の津山城(鶴山公園)であった、「お城で作る in 夏休み 体験教室」の取材に伺ったところ、藤木弘道さんから「備中櫓の横の藤棚で、狂い咲きのフジの花が咲いている。」とお話を聞き、お願いして写真を撮っていただきました。以前久米南町の森田さんから、今の時期に咲く花の事を裏花(一旦咲いて次に出てくる花)というと教えていただきました。また、ネットで調べてみると、「返り咲き・狂い咲き」ともいうらしく「二度咲きが出来るのは栄養や環境が整っている場合のみですので、普段から健康な樹であろうと推測出来ます。また、数年に1度、夏にも花をつける習性がある。」とのこと。いつもは春先に奇麗に咲いている藤の花を眺めて楽しんでいましたが、春のように沢山ではないですが、この季節の藤の花もいいもんですね。
四足門は、大手の二の丸の入口にある門です。門は、廃城後の明治7年に中山神社(津山市一宮)の神門として移築されました。絵図と比べると、屋根が瓦葺から檜皮葺に変わっていますが、現在でも見ることのできる数少ない津山城の建物の一つです。
絵図や現在の神門の調査から、薬医門であることや、扉のついていない城門であったこと、柱の位置関係が絵図と重なることが分かりました。発堀調査では、門の礎石の根石を確認しています。
ヨーロッパにつたえられた津山
17世紀のはじめ、美作にも、青い目の宣教師が、いくたびかおとずれ、キリスト教を布教しています。そのころの津山の様子が、宣教師によって、次のようにヨーロッパに伝えられています。
「森忠政は、領内にキリシタンはいないと幕府に報告して、キリスト教を黙認している。城下町の近くには、美しい墓地があって、キリシタンは、そこに行って、祈りをささげている。墓地の中央には、高さが3メートルをこえる、すばらしい十字架ががある・・・。」(『日本キリシタン宗門史』より)
津山文化センター(津山市山下68)が改修工事を終えて綺麗になりました。
津山文化センターは、永い時の流れを通じて親しまれてきた津山城跡に「現代の城」として、郷土を愛する多くの人々の力を結集して文化の向上、振興に貢献するため建設された市民のコミュニケーションの場です。『昭和モダン建築巡礼(西日本編)』の中で、屋根のない斗きょう(ときょう)建築と、天守閣のない城跡。欠落したもの同士が並ぶことで絶妙な景観が出来上がっている。と評価されています。また、『日本におけるモダン・ムーブメントの建築115選』に津山文化センターが選ばれています。2017年7月には、B'zの凱旋コンサートが行われました。
2020年4月2日の午後、津山城(鶴山公園)に満開のさくらの花を撮影しに行ってきました。
曇り空ですが津山城(鶴山公園)は満開のさくらで美しく華やいでいました。時折、自撮りに夢中な親子の笑い声がしていました。また、子どもたちは多くの階段をものともせず元気に走り回っていました。城内では、新型コロナウイルス感染が心配されるので飲食や長期滞在等はひかえるようアナウンスがあります。今週末は満開で美しいさくらの花を楽しむことができるでしょう。
さくらの開花が宣言されていたので、2020年3月29日に津山城(鶴山公園)まで行ってきました。
さくらの花は一部が満開となっていましたが、本番はこれからです。菜の花の黄色と緑、そしてさくらのピンクがとても美しく、来られていた方が「わぁ~きれい!」と写真を撮られていました。
世界中がコロナウイルス感染の恐怖のためにお客様の数も激減していましたが、来られていた方々は静かにさくらを鑑賞したら足早に帰っておられました。
2020年2月1日の早朝、お散歩がてらに小田中の小高い丘の上に上がってきました。
ここに上がると津山市内や津山城跡が見えますし、畑にはいつも季節を感じさせる野菜たちが育っています。今日も顔なじみのご近所さんご夫婦が早朝から野菜の収穫をされていました。
「この頃は昔のように農業で食べていくのも大変だ。」と言いながらも、野菜を一つ一つ丁寧に収穫されている姿にいつも感動します。
津山城に忍者、・・・・・・・と思いし行動開始したのが平成最後の年、31年2月22日(ニン・ニンじゃ) 津山城にて5名の有志によりスタートし、隊員同士の活動も徐々に組織的行動に移ることが出来、昨年4月8日津山城本丸にて忍者迷路中心に姫路、徳島、香川拠点に活動する忍者会の協力もえて公開演技、エフエム津山での生放送などの他県南テレビ局の取材なども頂き、広く作州忍者鶴山隊を紹介の機会も効して津山城観光の一助となったことに自信を頂きました。
又、忍者は「学び」から原点に おくにじまん研究会長 藤木靖史さんによる津山城の魅力発見学習をはじめ、6月15日郷土史家 山田美那子先生の学習会を皮切りに元郷博物館館長 尾島 治さま講師による学習会を毎月行ってきました。
基本は森家に繋がりのある点では、津山城内、衆楽園、本源寺、徳守神社等の現地学習はじめ西、東公民館を使用しての学習会、そして外部活動としてはお隣の「勝央金時まつり」等地域活動の一環として紹介、展示ブースを設けるとともに手裏剣体験コーナーを設けるとともに「くノ一」による「チャンバラごっこ」は子供たちに隊人気でとても好評でした。
作州忍者の広報活動としての一環として「ダンスチームベリーズ」オリジナル忍者ダンスも鶴山での初ステージに始まり勝北ふるさとまつり先般のB1グルメ明石大会等に出演し作州忍者鶴山隊の盛り上げに努めて頂いています。
今後は、令和2年2月22日作州忍者 鶴山隊創設一周年事業に向けて具体的な行動計画を皆様とご一緒に立てながら広く市民にも親しまれる作州忍者鶴山隊としての活動に皆様と共に邁進させて頂きたいと思いますので各皆様方の一層のご尽力賜れますようお願い致します。
令和2年1月吉日 作州忍者鶴山隊隊長 克丸
碁石 美作国府跡(津山市総社)
平安時代の後半(12世紀)に使われていた碁石です。白色または透明の碁石と黒色の碁石の2種類が出土しています。
碁石は、現在のように真ん丸なものは少なく、ほとんどが楕円形や少しいびつな円形です。石の厚さも薄いものから分厚いものまで様々で、自然石をあまり加工せずに碁石として使用していたようです。よく使われていたのか、石の表面はつるつるしています。
碁石は国府の建物があったと推定されている場所の近くで多く出土しているため、平安時代の役人たちの間では、休憩時間に囲碁をすることが流行っていたのかもしれません。