第23回 城西まるごと博物館フェア
今年も「第23回 城西まるごと博物館フェア」が2018年10月7日に賑やかに開催されました。
宮脇町から西今町までの旧出雲街道を歩行者天国にして大正時代のにぎわいを再現しようと開かれています。恒例のクラフト作家の作品がずらりと並んで大賑わいでした。また、フラダンスやブラスバンドの演奏をはじめ沢山のイベントがありました。今年初めて聞いた生バンドの演奏も流れていてよかったです。(過去の様子です。)
今年も「第23回 城西まるごと博物館フェア」が2018年10月7日に賑やかに開催されました。
宮脇町から西今町までの旧出雲街道を歩行者天国にして大正時代のにぎわいを再現しようと開かれています。恒例のクラフト作家の作品がずらりと並んで大賑わいでした。また、フラダンスやブラスバンドの演奏をはじめ沢山のイベントがありました。今年初めて聞いた生バンドの演奏も流れていてよかったです。(過去の様子です。)
「佐保姫に合ふ靴をおく花の下」 白石不舎(しらいしふしゃ)
白石不舎(大正13年9月1日~平成24年2月26日)は西東三鬼に師事。以降、俳句教室や俳句結社「綱」を主宰。句集「作州」を発表。
三鬼の句墓碑や生誕地句碑を建立したほか、「三鬼顕彰全国俳句大会」「西東三鬼賞」「曲水の宴俳句会」の開催にも精力的に取り組み、直弟子として師の顕彰に努めた。
津山市出身。本名 白石 哲。津山文化センター 平成24年9月 設置
(文:『津山市文化協会創立60周年記念誌 津山文化』より)
日本に古くからある病気に「おこり(瘧)」という病気がありました。これは古代から知られており、「わらはやみ」とか「おこりやまい」などと呼ばれていました。定期的に悪寒・発熱などが起こる病気で、現在ではマラリヤ性の熱病と考えられています。
このおこりを治す方法というのがさまざまに伝えられていて、たとえば石のコケやリンドウの花を煎じて飲むなどという療法が、伝承として残されています。また、こうした民間療法的なもののほかに、おこり石というものもありました。おこり石とは、霊験のある石に祈願しておこりを治すという呪術的な治療法です。これは各地に残されていますが、その一種と思われるものが丹後山にあります。
それは石仏と呼ばれているものですが、今では訪れる人もなく、付近は荒れ放題になっていて、クマザサのやぶの端で斜めに倒れかかっています。この石仏は、他の地域でも見られるような地蔵などではなく、縦横一メートル五十センチほどの平らな石で、表に銘が彫られていますが正確には読み取れません。(上記地図写真:津山郷土博物館より)
2018年9月26日、曇り空の津山城(鶴山公園)です。すでに富士山には初冠雪があったようですね。そんな気候の津山ですが、もう、彼岸花は終わりを告げているだろうと思いながら上がってきました。所々に花盛りの箇所があり、さっそく教えて頂いた職員さん(感謝)に許可をもらって撮って来ましたよ~。ほんと、いつ来ても新たな発見があるものですね。
2018年9月15日津山城跡(鶴山公園)三の丸北側に於いて発掘調査現地説明会がありました。
津山市教育委員会文化課では、史跡津山城跡の整備事業の一環として、通路部分の調査を年次的におこなっています。平成30年度は、二の丸にある裏下門櫓台石垣の構造や、三の丸北側の江戸期の地表面を把握するために発掘調査を実施しました。
植月城跡 勝田郡勝央町植月中字小山(岡山の中世城館跡)
永正九年(1512)宮山城と改名する。10㍍余りの高台のうえにあり、本丸は一三間×一三間、二の丸は一八間×一八間、北側に約一間半の築地が現存する。
菅原満佐の四男公興が宝治2年(1248)、植月、広野の地頭職となった時築城したといわれ、植月一族の本城である。城主は公興ー安嗣ー重嗣ー重佐ー重長ー重可ー可直ー佐豊ー基可ー重直ー重豊ー重政ー基佐ー能佐ー佐峻ー佐教。
四代重佐は菅家一族とともに京都六波羅討伐に出陣戦死す。この功で大正5年正五位の追賞をうける。(城跡に記念碑が立つ)永正9年城主基佐は、日吉神社を現在地に遷座し、本城も宮山城と改名する。三星城に味方し出陣するも、城主佐教をはじめ多くの一族戦死する。城は岡豊前守が接収、城主となる。毎年4月8日、植月一族城跡に集まり、先祖供養を盛大に行っている。(文:『勝央町誌』より)(2018年8月18日撮影)
徳守神社のこの石灯籠は森長継が贈ったと書かれておりますが、詳しい事は解りません。ただ、類似の石燈籠がある中山神社の石灯籠には下記のように書かれている。
由緒・沿革
八幡神社の創立
旧高取五ヶ村の氏神「八幡神社の由緒書きによると、貞観2年(860年)に美作の国、勝田郡の人で大宅鷹守の子鷹取が備中権守に任命された時、貰った神功皇后のお腹帯と忍態皇子(応神天皇の第3皇子)の衣の袖を父の鷹取に贈ったところ、この親子が備中美作と、遠くは離れて住んでいるにもかかわらず、毎晩同じように八幡大神の夢を見るので「不思議なこともあるものだ、これはきっと神のお告げに違いない」と信じて宇佐八幡の神を黒坂の水清川の源である清野山(場所不明)に祀ったのが八幡神社の起源であるということです。(湯谷八幡神社)
その後、天徳2年(958年)に再建され、永承3年(1048年)に源実朝が美作権守になって赴任した時、当時の神主である大杉次郎太夫が古殿を改築し、神楽殿を建立しました。
2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。八幡神社から続いて向かったのは、西賀茂神社(杉さま古墳群・ナナミノ木)→苫勝霊場78番と石造物群→成名公民館駐車場までです。
2018年3月10日の晴れた日に、津山郷土博物館主催の第114回文化財めぐり(近長~杉宮周辺を歩く)に参加して来ました。出発は津山市野村にある成名公民館駐車場10:30出発です。今回は近長から杉宮周辺です。周辺には土浦藩の代官所跡や、多くの石造物などが残されており、歴史のある地区となっています。道のりは約7.5kmです。(2011年 川港が栄えた町楢の今)
No.1は、念仏講碑・近長四ツ塚古墳群→近長代官所跡・八坂神社→八幡神社までです。続きはNo.2で