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取材記事内を検索ワード「山城」で検索した結果,673件の記事が見つかりました。

神崎与五郎と勝間田宿、下山本陣

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 忠臣蔵といえば、赤穂浪士の復讐の物語で、全国津々浦々まで知れ渡っている。赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのが、元禄15年12月14日であったため、現在に至っても年の瀬が近つくと、必ずといっていいほどメディアによって放映さている。
 私が太平洋戦争のさなかに勝間田国民学校に在学していた頃、毎年12月14日には、先生に引率されて、黒土地区にある赤穂浪士の1人神崎与五郎の両親の墓参りをしていた。その頃から神崎与五郎が私たちの郷里で、家族と共に何年か過ごした後、播州赤穂藩に仕官したのどということが分かり、子ども心にも誇らしく思っていたものである。
 神崎与五郎則休は、美作津山藩主森家に仕えていた神崎又市光則を父として、寛文6年(1666)津山城下で生まれた。生母は元禄3年(1690)8月に病没し、津山市愛染寺に葬られている。

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津山城(鶴山公園)のひな祭り

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津山城ひなまつり

2016年3月2日(水)~13日(日) 9:00-16:00 ( 津山城内「鶴山館」)で、明治初期から平成までの雛かざりを展示。会場内では熱心に見入る方がおられましたよ。また、苅田家のお雛様は明治時代の初期~40年代の楽しいお雛様が沢山あって見ごたえがあります。(2016年3月2日撮影)

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2016年2月のイナバ化粧品店

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2016年2月28日(日)イナバ化粧品店に伺いました。あいにくとママにはお目にかかれませんでしたが、店員の皆さんとワイワイガヤガヤお話ししてきました。津山ではもうすぐ「お雛まつり」や4月になると津山城(鶴山公園)である「津山さくらまつり」、また、「旧津山扇形機関車庫」・展示施設「津山まなびの鉄道館」が4月2日から営業開始となり賑やかになります。是非、この機会に津山にお出で下さいね。(上の写真はイナバ化粧品店さんから頂きました。)

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笠森神社(坪井上)

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 福本の地に名跡をもつ福本藤兵衛と云う人が居住していた(天正7年亀山城にて討死する)
笠森神社は福本家氏神様であった。なかでも藤兵衛死後、子が笠森大明神神主を勤めその菩提を弔った霊社である。今日地名が福本と呼ばれているのは福本家にあやかってのものであり、福本住民は部落の氏神様として祀っている。祭神は倉稲魂命(うかのたまのみこと)
(文:北恵兆さん)(2016年2月6日撮影)

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備中櫓復元10周年記念「津山お城まつり秋の陣」

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 津山城の備中櫓復元10周年記念の一貫として開催された「津山お城まつり秋の陣」の記念事業として創作アート、創作華展、また、横野和紙紙すき、竹細工絵付け、苔玉つくりなどの体験イベントや、鳥取県賀露港から朝どれ新鮮魚の直送やカニ汁のふるまい、21日と22日には、津山ホルモンうどん、そずり鍋、牛ももの丸焼きなど地元のご当地グルメや地域産品が集まり賑わいました。(撮影:2015年11月22日)

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在りし日の津山城の天守閣

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津山城(鶴山公園)は、春には千本の桜が咲き乱れ、西日本随一の桜の名所として多くの人が花見に訪れます。桜の季節は、ぼんぼりに浮かぶ夜桜の美しさは幻想的です。 また、新緑の頃の藤、秋の紅葉、雪景色など、四季を通じて訪れる人の目を楽しませてくれます。天守閣などの建物は明治7年に取り壊されましたが、 本丸、二の丸、三の丸の石積みは、高さが45mもあり昔日の面影を今に伝えています。そこで、往時を忍んで天守閣の特集をしてみました。『津山城の石垣についての取材はこちら
津山城(鶴山公園)の過去の取材はこちら』2015年4月2日津山城(鶴山公園)内の銅版を撮影(複製写真:弥生の里文化財センター許可済み)

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大別当城跡(おおべっとうじょうせき)

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 大別当城跡は、大別当山の尾根伝いに残る中世の山城跡です。
 南北に細長い山頂部に曲輪(くるわ)がいくつも並ぶ連郭式(れんかくしき)と呼ばれる構造で、堀切(ほりきり)も確認できます。東西は急峻な斜面で、自然の地形を巧みに利用しています。
 展望台からは、町内に残る山城をはじめ、津山市、美作市の山城も遠望でき、群雄割拠の緊張感を偲ばせる遺構です。
 また、麓のイムラ遺跡(高円構)は、城主、家臣団の暮らした跡と伝わっています。(文:案内板より)(撮影2016年1月3日)

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国宝になる前の松江城

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 松江城は平山城で、天守がある本丸の周辺に二ノ丸上ノ段、二ノ丸下ノ段、後郭がめぐり、南には堀を挟んで三ノ丸がある。
 城全体の構えは東側を正面とするが、天守自体は南向きとなっている。天守は、彦根城・犬山城と同じように附櫓を設けた複合式望楼型で、一、二重目は大入母屋屋根で全面下見板張り、望楼部と附櫓も一部白漆喰であるが窓廻りの木部はすべて黒塗りで、黒を基調とした天守である。
 全国に現存する12天守の一つで、天守の平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは5番目である(国宝・重要文化財建造物目録/文化庁編)。昭和10年に国宝に指定され、昭和25年には文化財保護法の制定により重要文化財と改称されたが、平成27年7月8日、国宝に再指定された。
 明治の初め、全国の城はほとんど取り壊されたが、松江城天守は地元の豪農勝部本右衛門、旧松江藩士高城権八ら有志の奔走によって山陰で唯一保存され、松江のシンボルとして親しまれている。[文:(一社)松江観光協会HPより抜粋]、(2013年10月13日撮影)

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美作の国 [歴史]

[歴史]
 古代から江戸時代に至る岡山県北東部の行政区画、東は播磨、西は備中、南は備前、北は因幡、伯耆の諸国に接する。「続日本記」和銅6年(713)4月3日の条に、備前国の、英多、勝田、苫田、久米、大庭、真嶋(島)の6郡を割いて、初めて美作国を置いたとある。美作は、「和名抄」では、<美萬佐加>と読む。国衙(こくが)は苫田郡(とまだ)内(現津山市総社)、国分寺は勝田郡(現津山市国分寺)に置かれた。863年(貞観5)苫田郡を苫西、苫東と分割する。奈良時代の終わりから平安、鎌倉時代にかけて多くの荘園が成立した。神護寺領佐良庄をはじめ、稲岡庄、梶並庄、倭文庄(しとりの)、河内庄、英多保、林野保、真島庄などが有名。武士団としては"菅家党"が有名。平安末期には稲岡庄で法然が誕生した。

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