沼の住居跡地の今
2014年11月6日取材 (前回の取材)
弥生時代以降、津山は農業を基盤として発達してきました。江 戸時代に津山城が置かれてからも、城下町は周辺の農業集落を背景として成り立っていました。明治時代になってからも、近代産業の発達はたち遅れたため、交 通の要衝(ようしょう)という位置をいかし、周辺の農業収入を背景とした商業を特に発達させてきました。
2014年11月6日取材 (前回の取材)
弥生時代以降、津山は農業を基盤として発達してきました。江 戸時代に津山城が置かれてからも、城下町は周辺の農業集落を背景として成り立っていました。明治時代になってからも、近代産業の発達はたち遅れたため、交 通の要衝(ようしょう)という位置をいかし、周辺の農業収入を背景とした商業を特に発達させてきました。
2014年11月21日の津山城(鶴山公園)の様子です。
衆楽園は、江戸時代初期に津山藩主・森家によって築造された回遊式の庭園です。元禄11年(1698)に松平家が 藩主となって以後幕末までは、家臣や他藩・他家からの使者を謁見するための「御対面所」、または藩主の隠居所の庭園として使われ、明治3年(1870)に 「衆楽園」として命名されました。
平成14年6月には国の名勝に指定されました。大名庭園としての国の指定は、岡山市の後楽園に次いで岡山県下で2例目です。
今は一般開放(入園無料)され、四季折々の美しさを見せ、市民や観光客に親しまれています。(文:津山市HPより抜粋)2014年11月16日取材
名木百選 「長法寺のイチョウ イチョウ(イチョウカ)」 津山市井口 推定樹齢200年
明治の詩人薄田泣菫がその名著「二十五弦」に出した長詩の一節のモデルといわれているイチョウである。2014年11月20日取材
(2009年の取材)(2010年の取材)(2012年の取材)(2014年の取材)
秋の津山城2014ご当地グルメフェスティバル・つやま地域産品まつり同時開催
2014年11月22日・23日の津山城(鶴山公園)は良い天気に恵まれ沢山の皆様にお出で頂き、賑やかな2日間となりました。また、モミジが美しく紅葉していました。
2014年11月14日・21日の津山城(鶴山公園)のモミジ
平成元年から続いてきたイベント「第24回 出雲街道 津山城東むかし町」の祭りが2014年11月2日(日)にありました。城下町の構造や長屋形式の町家が多く残る国の「重要伝統的建造物群保存地区」で開催されました。このお祭りは伝統的な町並みがつづく城東地区を知っていただけるイベントが盛り沢山の懐かしい優しさに満ちたお祭りです。江戸時代は参勤交代路としてもにぎわったところです。(城東界隈の取材)(↑写真:石川富久美さん)
本坊「勅使の間」
現在の本堂不動院、本坊客殿などは、津山城主、森忠政公(森蘭丸の弟)により慶長9年(1604年)に城主祈願所として再建されました。
「雁の間」は、小説「宮本武蔵」執筆にあたり吉川英治氏が、昭和5年から翌年にかけ逗留をくりかえした客殿庫裏にあります。(大聖寺の詳しい取材はこちらから)
美術の秋を迎えましたが、津山にはまだまだ素晴らしい美術があるのを私たちは案外知らないのかもしれませんね。一般に公開されているものは数少ないのですが、私設美術館など今まで取材したものを少しまとめておりますのでご覧くださいね。それから、資料館・近隣の美術館なども併せてご紹介。(営業日時や場所は各HPなどでご確認ください。)
津山市林田755(若宮谷)。祭神 大巳貴命(オオナムチノミコト)(大国主命)。少彦名命(スクナヒコノミコト)。森忠政が鶴山城の鬼門の守護のため、元和6年(1620)3月23日大隅に遷座した。村民は氏神を失ったので、跡地に小祠を建てて若宮神社と称した。元禄年間(1697~1703)松平藩の時に大隅神社の旧号をとなえるようになった。末社 御先社、三宝荒神社。(取材:2014.6.15)