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取材記事内を検索ワード「天然記念物」で検索した結果,76件の記事が見つかりました。

宰務家のヒイラギ 市指定天然記念物

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宰務家のヒイラギ 市指定天然記念物(2016年7月18日撮影)
 三浦の宰務家の玄関脇にあるヒイラギの名木である。根元周囲105㎝、眼通り1m,樹高5mで地上1mのところから約10枝を分岐している。全体の形を円錐形に造り三層に整枝されている。
 宰務家は明治6年の徴兵令による血税一揆の際、火をかけられて全焼し、家を再建したときに屋敷の角に焼け残っていたものを玄関脇に移植したものである。当時の歴史を伝える記念の木でもある。
推定樹齢330年。(津山の文化財より抜粋)

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七色樫の木(鏡野)

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岡山県指定天然記念物「七色樫」(2016年6月19日)
 ウラジロガシの一種で、四季を通じて葉の色が移り変わる珍しい木です。春の赤から始まり、橙、黄、黄緑、緑、青緑、濃緑と一年に七回変化することから「七色樫」、別名「虹の木」といわれています。
 実生もなく、とり木、挿し木も不能で、珍しい変色の原因も明らかではありません。
 樹幹周約1.5m、樹高約16m、推定樹齢350年以上と言われている名木です。
(立て看板より)(2月ごろ)(5月ごろ

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冬の七色樫(鏡野)

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 岡山県指定天然記念物「七色樫」を見てきました。雪がまだ解けていない所があったのですが、樫の木は青々としておりました。岡山県指定天然記念物「七色樫」は、ウラジロガシの一種で、四季を通じて葉の色が移り変わる珍しい木で、春の赤から始まり、橙、黄、黄緑、緑、青緑、濃緑と一年に七回変化することから「七色樫」、別名「虹の木」といわれているそうです。実生もなく、とり木、挿し木も不能で、珍しい変色の原因も明らかではありません。樹幹周約1.5m、樹高約16m、推定樹齢350年以上と言われている名木です。(立て看板より)2012年5月の七色樫の様子

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諏訪神社(勝田郡勝央町河原)

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当社の創建年月は不詳であるが、河原鏡山に古吉野庄の総社として創建されたと伝われている。
 天平5年(733)9月20日庄内の住民が集合して大祈祷を行って以来、この日を大祭日定めたとされ、当日は縫い物、畑仕事を禁じられた。
 長久3年(1042)古吉野庄の氏子の総意により、信州諏訪大社の御分霊(建御名方命)を勧請し、合祀した。
 安元2年(1176)広戸風の大烈風で本社が大破したので、移転地を信州諏訪に似たところとして、風害の少ない現在地に再建した。(御祭神 建御名方命 速秋津姫神 素盞嗚命 譽田別命 大國主命
倭建命 大己貴命)
 神社の境内にある神木(びゃくしん・いぶき)は本社移転時に諏訪豊前守藤原安盛宮司が手植えされたと伝えられ、樹齢800年の神秘な樹姿を見せる。また、十郎、徳丸(村人)の蛮勇で河原田圃開発の祈祷に使った伝承を持つ「雨乞い石」がある。(文:岡山県神社庁HPより)

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出雲街道と勝間田宿

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 出雲街道は出雲往来ともよばれ、古代には畿内から山陽道を通り播磨から出雲を結ぶ官道として機能していました。勝間田には古代の勝田郡衙が置かれ、古来人々や文物が行きかう交通の要衝として栄えていました。
 江戸時代に入ると、出雲松江藩や美作勝山藩・津山藩などの諸大名が江戸への参勤交代の交通路とするため、出雲街道が本格的に整備されていきます。それにともなって、各地に宿泊や人馬の継立てを行う宿場が設置されていきます。
 勝間田は参勤交代の宿場町として整備され、美作七宿のひとつとして発展しました。勝間田宿には、大名や供のものが泊まった旅舎が二つあり、主に津山藩主が宿泊した下山本陣と、松江・勝山藩主、宮家・勅使が宿泊した木村本陣がありました。

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本光寺と椿の花(津山市一宮)

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2015年12月7日に本光寺を訪問してきました。ここの風景は今にも長継公が出て来そうでロマンを感じる所でとても好きです。その長継公(長継は初代藩主・森忠政公の外孫で、姓は関氏といい、森家の重臣だった。)は津山藩で最も長く藩を統治した人物で、森家の盛衰を見届けた唯一の人物だったのです。(2009年に取材したのに詳しく描いておりますのでどうぞ)

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阿弥陀堂の大イチョウ(奈義町)

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阿弥陀堂の大イチョウ(奈義町指定天然記念物 昭和44年7月7日指定)
 勢至丸(後の浄土宗の開祖法然上人の幼名)が修行のため菩提寺の叔父の下へ行く時、この木の枝を杖にし、「学成れば根付けよ」と突き刺したのが、菩提寺の大イチョウになったという伝説があり、大イチョウの親木とも伝われている。
 落雷で一部が焼けるなどしているが、枝から垂れる気根は3mにもなり地中に達している、県北を代表する巨樹である。(2015年11月7日・11月20日取材)

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菩提寺の大イチョウ(奈義町)

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国指定天然記念物 菩提寺のイチョウ 昭和3年1月18日指定(2015年11月11日・20日取材)
 このイチョウは、浄土宗の開祖法然上人(幼名:勢至丸)が、仏教の手ほどきを受けるために、この菩提寺に入山の際、麓にある「阿弥陀堂の大イチョウ」の枝を杖にし、学業成就を願い挿し根付いたと云われる名木です。平成25年に奈義町教育委員会が行った樹勢診断調査の中で、「菩提寺のイチョウ」と「阿弥陀堂のイチョウ」そして隣り合って立つ「天明のイチョウ」は同じDNAを持つことが判明しました。この事は、記の育った環境を知り、今後の樹勢維持の検証するうえで貴重な発見となりました。皆さんもこの木を見上げ、900年の歴史に想いを馳せ、奇跡の生命力を感じていただければと思います。(樹高:40m、目通り幹囲:13m、樹齢:推定900年)

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河原大イチョウ(勝央町 河原地区)

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河原大イチョウ(2015年10月19日・11月11日)
 本樹は樹高30M、元から二幹に分岐し、すぐまた六枝に分岐している。根元の周囲9.1M、目通り周囲9.7枝張り南北22M、東西17.4Mで推定樹齢600年、県下屈指の巨木である。本樹は雄で銀杏はならない。樹形は二枝が合着したもの、或いは最初の幹が失われて、その株から新枝が再生して今日の姿に成長したものと考えられ、イチョウ本来の姿とは梢趣を異にしている。
昔から銘木として知られ、元禄2年(1689)「川原村名物」の記事にも載っている。傍らに燈籠がたっていて嘉永元年(1848)在銘であるところを見ると、この地は天神様の境内地で昔から神木として崇められていたものであろう。
 ここに集落環境整備事業によりイチョウの木の周辺を地区のシンボルとして又、憩いの広場として整備し、その地にある歴史を大切にした景観づくりを図るものである。
・昭和47年6月15日 町指定天然記念物
・平成4年3月 集落環境整備事業により銀杏広場として整備
  平成4年 梢に春風吹く頃
  勝央町 河原地区           (文:説明板より)

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観音寺(作東モミジ寺)美作市

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観音寺本堂
 当山は、天正7年兵火に罹災したが正徳4年中興第七世諦範上人が観音堂を再建立、のち文化元年に文暁法印が入母屋造り流れ向拝の現本堂を再建したが、草屋根の損傷が激しく約二百年を経た平成二年銅板葺により復元大修理を施工したものである。
 御本尊は、木造十一面観世音菩薩坐像(秘仏)で宝永7年の記録によれば天平年間にこの寺を開創した行基菩薩の御作と伝える。
 御開扉は、33年目ごとに行われ最近では昭和41年に高野山真言宗管長津田實雄大僧正の御親教により奉修された。(文:立札より)2014年11月16日取材

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